第038話 魅了

『妾がアリンコを魅了する』


 全員が目を白黒とさせていた。確かに彼女はサキュバスであるけれど、アリンコにも魅了が有効なのかと疑問しか思い浮かばない。


「アリンコにも魅了が効くのか?」

『妾の魅了は竜神さえも落としたのじゃぞ? アリンコなど容易いものじゃよ!』


 ケタケタと笑うイーサにクリエスも考えさせられている。恐らくは自分が倒すと言ったから、イーサはこのような提案をしているのだろうと。


「任せる。俺は魅了されたアリンコをタコ殴りにすればいいのだな?」


『そういうことじゃ。てな訳じゃから、バターはもう一個頭を食われてこい!』

「えええっ!? 主人様、マジっすか!?」


 バターはまたも涙目である。既に頭を一つ失っているのだ。この先にもう一つ失えば、完全に犬っころであった。


『魅了には静止してもらう必要があるでの。頭一つ失うまでに魅了をかけ終わる』

「いや、ですが……」


『早くしろ! 舐めるだけの簡単な仕事ではないのじゃ!』


 怒鳴られたバターは渋々と階段を降りていく。そのあとをイーサが続き、クリエスとミアも二人に追従している。


 遂に最下層である五階層へと到達。クリエスは直ぐさまダイヤモンドアントの位置をバターへと伝える。


「部屋の中心部にいる! 周りには蟻がいないから直ぐに見つけられるはずだ!」


「アニキのスキルのせいで……」

『ぶつくさ言うな! さっさと食われて来い!』


 無慈悲な命令だが、バターは逆らえない。大粒の涙を零しながら、通路状になった五階層をバターはタッタと走っていく。


『ふはは! コレはイケるぞ! 案外良いオスのようじゃ!』


 既に精力を感じ取ったのか破顔一笑のイーサ。魅了が完了することに少しの疑いも持っていない。


「うぎゃゃあ! 二郎ォォッ!?」


 バターの絶叫が木霊する中、イーサは声を張る。


『チャーム耐性とかちょこざいな! しかぁし、妾の魅了に抵抗などできぬわぁぁ!』


 少しもバターを心配していない。

 クリエスはバターが気の毒に感じている。明らかに襲われているペットを飼い主が少しも心配しないだなんてと。


 一方でバターの頭部(二郎)はみるみる内に容積を減らしている。聞いていたように、ダイヤモンドアントは大食漢であるらしい。


 ダイヤモンドアントが二郎を食い尽くした頃、

『よし、魅了にかかったのじゃ!』

 ようやくイーサの魅了が効果を発揮した。まるで二郎が食い尽くされる時を待っていたかのように。


「ヒール!」

 流石に捨ておけないクリエスはバターにヒールをかける。かといって近付くのは躊躇われたので、かなり距離をとっての詠唱であった。


『婿殿、もうこのアリンコは動かん。少しも動くなと命令したからの!』

「マジ? なら攻撃し放題ってわけか」


 動かぬのなら敵ではない。クリエスは豆粒よりも小さいダイヤモンドアントに思い切り剣を振り下ろす。


 刹那に響き渡る金属音。軽く潰れたかと思えば、ダイヤモンドアントはまだその身体を維持したままである。


「硬ぇぇ!!」


 少しも動かないダイヤモンドアントだが、潰れてもいない。レベルに相応しい防御力をダイヤモンドアントは持っているようだ。


「アニキ、言ったでしょ? 滅茶苦茶に強いって……」

「いやだけど、蟻だぞ!? 程度が知れてると思うじゃねぇか?」


 イーサが笑っている。余裕があるところを見ると、魅了はちょっとやそっとじゃ解けない感じだ。であれば、クリエスは剣を振るだけ。ダイヤモンドアントが潰れるまで愛剣を振り下ろすだけである。


「おらぁぁあああぁっ!」


 まるで素振りをしているかのよう。硬い何かを叩いた証拠として金属音が響くだけだ。

 虚しく感じるくらいに手応えを感じない。


「魔眼!!」


 ここでクリエスは魔眼を使用してみる。離れていたときはレベルしか分からなかったのだ。目の前にいる今であれば詳細が分かるのではないかと。


【ダイヤモンドアント】

【種別】昆虫

【属性】土

【レベル】591

【体力】10

【魔力】10

【戦闘】498

【知恵】10

【俊敏】901

【幸運】151

【説明】ポイズンアントから進化。猛毒に注意。


「何だよ……これ?」

『どうした、婿殿?』


 呆気にとられたクリエスにイーサが問う。魔眼の使用により何が見えたのかと。


「体力値とか、すげぇ弱いんだけど。10しかない……」


 どうやら表向きではないステータスがある感じだ。体力値が10しかないならば、流石にもう倒しているはず。もう何十回と剣を振り下ろしていたのだから。


『うむ、防御値だろうの。神眼を持つ配下がそんなことを言っておったわい』


 なるほどとクリエス。魔眼に昇格したけれど、透視の昇格先はまだ先があるのだろう。神眼さえ習得したのなら、ダイヤモンドアントの硬さの説明ができるはずだ。


『もう十回以上叩いたじゃろ? つまりはもう婿殿には倒せん。ダメージが1以下しか入ってないのじゃからな』


「いや、俺はまだ諦めねぇぞ! 元々11あったかもしれないだろ? 累積ダメージで一つ減らせたのかもしれないし」


 言ってクリエスは再び剣を振る。徒労かと思えたけれど、1以下のダメージでも累積していくと信じて。


 無駄な足掻きであるのかもしれない。素振りにも似た攻撃が繰り返されている。クリエスが体力値を確認してから、もうかれこれ一時間が経過していた。

 クリエスは自分自身にヒールをかけながら、一心不乱に剣を振り続けている。


『旦那様、魔力はまだ持つのでしょうか?』


 ミアが聞いた。それもそのはずクリエスは一撃ごとに魔力を流していたのだ。先のアクアドラゴン戦で身につけた技。ダイヤモンドアントに属性攻撃が通用するのか分からなかったけれど、クリエスは念には念をと魔力を放出している。


「一応な。俺もレベルアップしたからさ。魔力放出は全開じゃないし、ヒールに使う分はしれているからな」


『何なら供給しますけれど?』

「やめてくれ。ここは古代遺跡なんだぞ? お前たちの無尽蔵な魔力を放出すれば、崩壊してしまうかもしれない」


 悪霊二人はとにかく加減を知らないのだ。外ならばともかく、古代遺跡という場所では軽はずみに魔力供給を依頼すべきではない。


『でしたら、アリンコを腐食させましょうか?』

「え? そんなことできんの?」


 意外な提案であった。もし仮にアリンコが腐食するのなら、確実に防御力は低下するだろう。


『お任せください。美しく腐らせて差し上げます!』

「絶対に殺すなよ? お前が倒したら、二度と口きかねぇからな?」


 念押ししておく。ミアはクリエスに小さく笑ってから、ダイヤモンドアントに手をかざした。何やら謎の文言を口にすると、直ぐさま魔法陣が展開されていく。


『腐食術【極】!!』


 ミアが声高に叫ぶと禍々しい魔素と共に術式が発動。時空が歪むほどの魔力波がダイヤモンドアントへと降り注ぐ。

 小さすぎて何が起きているのか分からない。しかしながら、ミアの表情を見る限りは手応えがあったのだと思われる。


『こんなものでしょうかね。加減しましたので、まだ硬度が残ってるかもしれませんけど、旦那様なら大丈夫です!』


 純真さを覚える爽やかな笑みをミアは浮かべている。

 使用したのが腐食術ではなければ愛らしくも感じるけれど、生憎と彼女のスキルは全てを腐らせる外道魔法である。


「よっしゃ、あとは任せろ!」


 再びクリエスが剣を振り始める。けれども、感覚的には何も変化がない。硬い何かを叩いた手応えしかなかった。

 このあと30分ばかり叩いたあと、クリエスは魔眼を再使用する。ダイヤモンドアントに何かしらの変化があることを願って。


【体力値】10


「嘘だろ……?」


 まだ一つも減っていなかった。せっかくミアが腐食術を行使してくれたというのに。


 やはりイーサが話したように、ダイヤモンドアントの防御値を上回らない限り、ダメージを与えられないのかもしれない。


『婿殿、その様子じゃと減っていないようじゃの? ここは妾に任せてはくれんか? バターの弔いでもあるのだし……』

「主人様、俺っちはまだ生きてますよ!」


 嘆息するクリエスだが、首を振って答えた。

 絶対にダメージは入っているはず。彼はそう信じて剣を振り続ける。


 再び一時間が経過していた。クリエスは魔力値の残量を確認しようとステータスを開く。正直にもう後がない。ヒールを温存し、魔力放出も絞っていたけれど、魔力切れは時間の問題であった。


「あれ……?」


 間違いなく魔力は減っていたけれど、増えているものがあることにクリエスは気付く。


【剣術】(99)


 ゴクリと唾を呑み込む。それは剣術を習い始めて割と直ぐに習得したスキル。しかしながら、なかなか熟練度が上がらなかったのだ。


「もしかして、強敵を相手に剣を振った方が上がりやすい?」


 そうとしか思えない。旅立ちのときは確か21であった。6歳から始めてそれだけしか上がっていないのだ。しかし、リトルドラゴンやアクアドラゴンの討伐時には間違いなく上がっていた。従って強者であるほど伸びやすいのだと分かる。


「一体どれだけ上がったんだ?」


 もうかれこれ三時間近く戦っている。詳しく調べていないけれど、間違いなく熟練度は50もなかった。僅か三時間で99まで伸びたのは、ひとえにダイヤモンドアントの魂強度が強すぎたからだろう。


「昇格すればダメージが入るかもしれない……」


 俄に希望を見出すクリエス。ここは魔力を温存し、ただひたすら叩きつけてやろうと思う。予想通りに運ぶかどうかは未知数であったけれど。


 熟練度がマックスになると通知があるのだ。昇格先があるスキルであれば自動的に昇格を果たす。よってクリエスはその時が来ると信じて剣を振るだけであった。


 五分ほど経過したそのとき、


『剣術の熟練度が100になりました』


 待望の通知があった。けれど、緊張の一瞬でもある。続く通知がないのであれば、この通知に意味などないのだ。


 クリエスは唖然としている。期待したままに通知が続いたのだが、その内容は困惑するものであったのだ。


『剣術は昇格可能です。また既存の称号【ドラゴンスレイヤー】との統合が可能です。お選びください』


 戸惑うしかない。昇格だけかと思いきや、称号との統合が可能だという。さりとて、昇格先の情報が何もない。


『どうした、婿殿?』


 困惑したクリエスにイーサが聞く。動きを止めた彼に疑問を覚えたらしい。


「いや、剣術の熟練度がマックスになったんだ。でも昇格先が二つあって……」


 クリエスは二人に説明する。普通に昇格する場合と称号と統合の末に昇格する場合があることを。


『私は剣術とか習ってませんし……』

『妾も魔法だけで事足りるからな……』


 ところが、悪霊の二人にも分からないとのこと。

 こうなると自分自身で決めるしかない。クリエスは分岐ルートの正解を掴み取るだけだ。


「ドラゴンスレイヤーとの統合って何になるんだ? 恐らくドラゴン関係のスキルになる気がする……」


 スキルではなかったが、称号ドラゴンスレイヤーは竜種相手に戦闘値50%増の恩恵を受けられるというものだ。


「ああいや、ドラゴンスレイヤーは単体でも有能なんだ。それに今必要なのは竜種に有効なスキルじゃない……」


 戦っているのはダイヤモンドアントである。魔眼による鑑定でも昆虫と出ていた。従って竜種に有効なスキルが必要な場面ではない。


「決めた! 通常昇格だ!」


 心に念じるのではなくクリエスは声を張る。ドラゴンスレイヤーを温存し、通常の昇格ルートを選択するのだと。

 通常昇格の結果が効果的なスキルであると願いながら、クリエスは次なる通知を待つ。


『スキル【剣術】は【剣豪】に昇格しました――――』


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