第037話 古代遺跡のダンジョン

 四階層へと降り立ったクリエス。けれど、予想外に魔物の姿はなかった。


「少しくらいいても良かったのにな……」


『婿殿、何もいないはずがないのじゃ。魔素濃度は三階層と比べて段違いじゃし、これはある程度以上の魔物がいて然るべき濃さじゃぞ?』


『旦那様、何か召喚しましょうか?』


 悪霊の二人はクラエスの身を案じている。恐らく彼女たちはクリエスが太刀打ちできないような気配を感じ取っているのだろう。


「いや、いざとなればチチクリを出す。俺はレベルアップしてぇんだ。ミアの使い魔なら瞬殺してしまうだろう?」

『まあ確かに……』


 幾ら強敵が現れようと、このダンジョンの創造者より強いはずがない。イーサが魔力を注いでダンジョン化したのだ。彼女を超える魔物なんて覚醒魔王くらいしかいないはず。確信があったからこそ、クリエスは強気でいられた。


「進むぞ……」


 慎重に歩いていく。クリエスは愛剣を握る手に力を込めている。

 徐々に寒気を覚えていた。迫って来る威圧感。姿は見えなかったけれど、強大な何かが近寄って来るのが分かる。


「来る……」


 ここでクリエスは立ち止まり、迎え撃つことに。恐らく四階層の魔物は前方から迫り来るものが殲滅したに違いない。


 地面を叩く音と、唸り声が聞こえた。どうやら魔物は考えていたほど大きくないらしい。威圧感の原因はレベルがやたらと高い魔物であるからだろう。


 待ち構えたクリエスの眼前に現れる影。しかしながら、予想した魔物とは異なっていた。


「えっ……?」


 クリエスは戸惑っている。あらゆる魔物を想定していたけれど、現れた魔物は早々に候補から除外していたものであったのだ。


「ケルベロス?――――」


 確かイーサのペットはケルベロスであり、五階層の守り神であったという。だが、その契約は既に満了しており、新たに現れた強者によって殺されたはずだ。


 困惑するクリエスの隣でイーサが急に声を上げる。


『お主、生きておったのか……?』


 何度も顔を振るイーサ。どうやら現れたケルベロスは彼女がバタ○犬としていたペットで間違いないようだ。


「主人様、俺っちのこと覚えているのか!?」


 ケルベロスが返す。千年が経過した今も主人と呼ぶ彼は契約が切れたあともイーサの事を覚えていたらしい。


『忘れるはずがないだろう? 幾星霜過ぎようともお主のことは片時も忘れたことがないのじゃ!』


「なら主人様、名前を呼んでよ! 覚えているのなら、俺っちの名を呼んで欲しい!」


 感動の再会である。声を震わすケルベロスにクリエスまで思わず涙ぐんでしまう。


『ふふん、可愛いやつ。何しろ他者に名を与えたのは初めてじゃったからな。あの日のことは忘れん。どのような名前が相応しいのか、街道で拾った犬っころの名を夜通し考えておったわ。だから妾が貴様の名を忘れることなどあり得んのじゃ……』


 意外にも人間的な話であった。

 一晩かけて熟考し、イーサはペットのケルベロスに名前を与えたらしい。


『久しいな、バターよ――――』

「そのまんまじゃねぇか!!」


 バターだなんて最悪である。絶対に思いつきで付けたはず。一晩中考えたなんて、明確な嘘であると思う。


「やったぁぁっ! 主人様……って、あれ? 主人様の身体に触れられない!?」


『バターよ。残念だが、妾はもう霊体なのじゃ。肉体はとうの昔に朽ち果てた……』


「嘘だ!? 主人様が死んじゃったなんて!?」


 再び感動ルートへと戻る。またもやケルベロスは目に涙を浮かべて、声を震わせていた。

 せっかくの再会だというのに、抱きしめることすら叶わない。流石のクリエスも目に涙を浮かべている。


「あ、主人様ぁぁっ!!」

『泣くな、バターよ……。どんなときも強くあれと教えてきたじゃろ? あの言葉を実戦するのじゃ。今ならお主にも意味が分かるはず……』


 二人の遣り取りにクリエスは胸を打たれている。感動せずにはいられなかった。

 どうやらイーサは飼い主として真っ当な教育をしていたようだ。逆境にも負けない強い意志を持つ魔法の言葉を授けていたらしい。


『泣くより、舐めろじゃ……』

「俺の感動を返せ!!」


 やはりオチがあった。どこまで言ってもバターはバ○ー犬であるようだ。それ以上でもそれ以下でもない扱いである。


『それでバターよ、お主は三つ首であったじゃろ? どうして二つしかないのじゃ?』


 現れたケルベロスの頭部はなぜか二つしかない。左の頭が根元からなくなっていたのだ。

 痛い所を突かれたのか、バターは言い淀む。だが、二度ほど頭を振ってから、彼はその理由を口にした。


「実はダンジョンボスにやられたっす……」


『何じゃと!? お主、遺跡の主導権を奪われたというのか!?』


 声を大きくするイーサ。元魔王軍のプライドだろうか。彼女は怒りを露わにしている。


「主人様、ごめんなさい。契約が切れてなかったら、殺されていたっす」

『まあ、よい。それで五階層には何がいる? ギガンテスか? それともノーライフキングか?』


 問い質すイーサにクリエスは呆れたような目をしている。

 仮に強大な魔物がいたとして、伝説級の魔物がいるとは思えない。不死王やら伝説の巨人が城下に住んでいるなんて信じたくない話だ。


「いえ、アリンコっす――――」


 バターの返答に一堂揃って目が点となっている。蟻は魔物に区分されていない。毒を持つ種や大きめの蟻はいたけれど、昆虫がケルベロスの頭を食べてしまうなんてあり得ないのだ。


『それは岩山ほどもある新種の蟻か?』

「小さいっす。でも、滅茶苦茶に強ぇんすよ!」


 どうにも分からない。幾ら強くても蟻は蟻である。しかしながら、ケルベロスが撤退してしまうほどの強さがあるのは明らかだ。


『詳しく話してみよ……』


 イーサは怒りを飲み込み、話を促している。まさかダンジョンボスがアリンコだなんて想定外も甚だしいけれど、事実としてケルベロスをも追い払ってしまったのだ。


「あれは契約が切れて五年ほどした頃っす。俺っちは偶に湧く魔物を喰って生活していたんすよ。まあでも腹が一杯なら無理に他の奴を襲うことはしないっす」


 どうやらケルベロスが五階層を支配していた頃は割と平和であったらしい。無差別に襲うことなく、魔物たちは比較的自由を得ていたようだ。


「俺っちは昼寝をしていたんすけど、なぜかミノタウロスが急に苦しみ出したんすよ」


 ミノタウロスは人族にとってかなりの強敵である。街道に現れようものなら、衛兵だけでなく冒険者まで動員されるレベルの魔物であった。


『原因はなんじゃ?』

「ミノタウロスは残していた肉を食べていただけなんす。苦しみ出してから近寄ってみると、肉には大量のポイズンアントがたかっていました……」


 ポイズンアントには毒があるけれど、所詮はただの蟻である。しかし、ポイズンアントは地下深くに住んでいるため、生態は詳しく分かっていない。


「ミノタウロスは気にせず喰ったのだと思うっす。どれだけ喰ったのか分からないっすけど、苦しみ出したと言うことは腹の中に大量の毒素を吐かれたはずっすね……」


『むう、アリンコがミノタウロスを倒したというのか?』

『普通なら毒素を吐いたとしても、胃液で共倒れでしょうねぇ』


 ここでミアが口を挟む。毒素を吐いたとしてミノタウロスの胃液が消えてなくなるなんて考えられない。結果はミノタウロスが死に、アリンコも全滅したはずだ。


「俺っちもそう考えてたっすよ。でも次の日、ミノタウロスの死体が半分になってたんす!」


 話が動き始めた。たった一晩でミノタウロスの巨体が半分も朽ち果てるとは思えない。また毒素で死んだ肉を食べようとする魔物も限られているはずだ。


「よく見るとポイズンアントが死体を食ってたんすよ。たった一匹が……」


 バターは思い出したのか全身の毛を逆立てて、ブルブルと震えている。頭を一つ食われた彼はトラウマになっているのかもしれない。


「その一匹は進化してるっす――――」


 続けられた話にクリエスは息を呑む。

 まあでも分からない話でもない。何しろミノタウロスを倒したのだ。そのアリンコは尋常ではない魂強度を獲得したのだと考えられた。


「俺っちの鑑定眼では詳しく分からないっす。でも魂強度は俺っちよりも強く、進化先はダイヤモンドアントっすから……」


 もちろん猛毒を吐きますとバター。名前から察するに、防御力がかなり強化された種に進化したのだろう。


 バターのレベルは495である。彼自身もかなりの猛者であったというのに、ダイヤモンドアントはそれ以上なのだという。


『何と、たった一匹のアリンコに負けたというのか!?』


 再びイーサが声を荒らげている。レベル500超えは確実に災害レベルだというのに。


「主人様、すみません。ダイヤモンドアントは知能こそ進化してない感じっすけど、とんでもない大食感なんす。俺っちは寝込みを襲われて、三郎を失いました……」


 どうやら三つの頭には呼び名があったようだ。バター曰く、三郎がダイヤモンドアントの餌食になってしまったとのこと。


 溜め息を吐くイーサだが、直ぐさまクリエスと視線を合わせる。


『婿殿、聞いた通りじゃ。妾は落とし前をつけねばならん。妾の配下を傷つけたアリンコにの……』


 気持ちは理解したけれど、クリエスは頭を振る。レベル500超えのアリンコなのだ。美味しいレベルアップの素材としか思えない。


「イーサ、俺がやる。何しろ俺には魔眼があるんだ。ダイヤモンドアントが何処にいるのか俺には分かるからな」

「アニキってすげぇんすね!?」


 羨望の眼差しでバターに見られてしまう。まさか魔物に憧れの視線を向けられるなんて考えたこともなかった。


『なら婿殿、四階層から五階層の様子は分かるかの?』


 イーサが問う。正直に試したことはないが、魔眼の熟練度は85である。ずっと使っている魔眼は再び昇格を狙えるところまできていた。


「やってみる。ダイヤモンドアントを探せばいいのか?」

『うむ、気になることがあっての……』


 五階層へ続く階段の手前。クリエスは魔眼を実行している。

 かなりの距離があるはず。しかし、クラエスの視界には情報がもたらされていた。


【ダイヤモンドアント Lv591】


 大半がポイズンアントであったけれど、一匹だけダイヤモンドアントが存在していた。奥行きがあればその限りではなかったが、見える範囲には聞いた通りに災害級のアリンコがいる。


「マズイな。既にレベルは591だ。ちなみにバターは495だからな?」


 クリエスはレベルの説明から始める。レベルの概念は転生者にしか分からない。アストラル世界に生きる者たちは魂強度という漠然とした表現しかできないのだから。


『婿殿、詳しく見れんか? 大きさや特長とか?』


 イーサの問いにクリエスは目を凝らした。魔眼を再実行し、問題のアリンコに集中する。


「大きさは他の蟻とそれほど変わらない。でもよく見ると羽がある……」


 流石に分かりにくかったが、クリエスは羽らしきものを見つけていた。

 彼の声に頷くイーサ。彼女は結論に至ったのか、自信満々に言い放つ。


『ならばアリンコはオスじゃな』


 小首を傾げるのはクリエスだ。意味の分からぬ話である。仮にオスだとして、イーサはどうするつもりなのだろうと。


「オスかどうかは重要か? それになぜオスだと分かる?」


『うむ、妾は子供の頃にポイズンアントを飼ったことがあっての。羽は女王蟻とオス蟻にしかないのじゃよ。また働き蟻と大きさが変わらないのなら女王蟻じゃないの。つまりはオスだということじゃ』


 オス蟻であることは理解できたけれど、イーサの意図は不明なままだ。クリエスは眉間にしわを寄せながら聞く。


「オスだとどうなるんだ?」

『婿殿、まだ分からんのか? 困った婿殿じゃなぁ……』


 過度に腹が立つ表情を浮かべつつ、イーサが意図を語る。

 誰にも思いつかない方法。サキュバスである彼女が思い描く勝利への道筋を。


『妾がアリンコを魅了する――――』


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