第034話 バナム大司教

 祈りを終えたクリエスは長い息を吐いていた。ヒナが自力で制約をクリアすると聞いたけれど、やはり彼女が心配になる。


「祈りは届いたかい?」


 ふとクリエスは背後から声をかけられている。しかし、知らない声ではなかった。その優しい声。前世において何度も聞いたことのある声であった。


「バナム司教!?」


 振り返るクリエスが見た人は、やはり知った顔であった。前世のクリエスが最も世話になった人。女性関係で問題を起こしたときも、彼が仲裁してくれたのだ。


「おや? 私は大司教だよ? 司教だったのは君が生まれてまもない頃だろうね」


 バナムは笑っている。転生したあとの十六年。世界が同じであるはずもなく、バナムは大司教に昇進しているらしい。


「申し訳ございません!」

「いやいや、構わないよ。何やら熱心に祈っていたね?」


 クリエスは女神の二人と話し込んでいたのだ。傍目に見ると祈り続けていると思えたことだろう。


「ええまあ……」


 かといってクリエスには返答できる内容がない。

 流石にディーテやシルアンナと会っていたなんて、神託であっても不可能だ。祈っていた事にした方がややこしくないと思う。


「しかし、君を見ていると思い出すな。もう十六年になるのか……」


 ここで意外な話が続く。十六年前といえばクリエスが転生した時期と重なっている。


「ディーテ教デカルネ支部デカルネ大聖堂には優秀な司祭がいたんだよ。君によく似た澄んだ目をしていたな……」


 クリエスは今更ながらに後日談というべき話を聞かされている。自分の死後については何も聞かされていない。バナムが語る全てはあの瞬間よりあとのことだろう。


「大いなるディーテ様に愛されし青年だった。信仰心は厚く、弱者に対する姿勢も正義そのもの。神聖魔法はいうに及ばす、内面も立派な司祭だった……」


 面と向かって褒められるのはむず痒い。いつも怒られていた記憶が彷彿と蘇っている。


「まあ、度が過ぎたエロ小僧だったがな……」


 ここで一度に落とされてしまう。まあしかし、生前のクリエスは女性を取っ替え引っ替えしていたのだ。教会まで怒鳴り込みに来ることもあったのだから、クリエスは苦笑いを返すしかない。


「その彼はどこに行ったのでしょうか?」


 クリエスは知りたく思う。アリスに心臓を一突きされたあとのこと。意識が途切れたあとの世界を聞いてみたかった。


「惜しい若者を亡くした。彼はここで殺されたんだ。ちょうど君が立っているその場所で……」


 それはクリエスも知っている。祈りを終えたあと、アリスが聖堂にやってきたのだから。


「聖職者らしからぬ最後だったが、あの子らしいとも言えるな。付き合っていた女性に彼は刺し殺されたんだよ」


 心なしバナムの声は沈んで聞こえている。十六年が過ぎた今も、彼はクリエスの死を受け入れたくないのかもしれない。


「その現場に私はいた――――」


 ここでクリエスの知らない内容が飛び出す。

 アリスはクリエスを刺殺したあと、逃亡したのかと考えていたけれど、どうやら第一発見者が時を移さず現れたらしい。


「惨たらしい現場だった。クリエスからは滝のように血が噴き出していたんだ。私は即座にハイヒールを唱えたけれど、彼の死に抗うことはできなかった……」


 溜め息と共に告げられていた。最後の現場に居合わせたバナムはハイヒールを唱えてくれたという。治療に関するお布施でいうならハイヒールは金貨五枚もする高額治療であったというのに。


「エクストラヒールさえ私が使えたなら。クリエスは死なずに済んだのだ……」


 悔恨の言葉が続く。しかしながら、エクストラヒールは伝説級の神聖魔法である。ただの大司教でしかないバナムが習得できるはずもなかった。


「そのクリエスさんも大司教の治療が嬉しかったと思いますよ?」


 クリエスは口を挟まずにいられない。アリスに刺されたことは完全に自己責任なのだ。居合わせただけのバナムに後悔させるなんて最低だと思う。


「そうだといいね……。君はクリエスにとても似ている。だからかな、こんな事を君に話すなんて私はどうかしているよ……」


 言ってバナムは笑い飛ばした。初めて会う少年にする話ではないと。

 さりとて彼の責任ではない。現状は想像もできない現実なのだ。バナムが語った相手こそがクリエス自身であるだなんて。


「クリエスさんを刺した人はどうなったのですか?」


「ああ、彼女は逃げることなく、呆然と突っ立っていたね。私が割り込んだ事で感情的になっていたと気付いたのかもしれない」


 どうやらアリスは抵抗することなく拘束されたようだ。彼女は刃物を持っていたのだし、年老いた司教一人くらいなら幾らでも逃げ延びることができたはず。


「それで彼女は何を語っていましたか?」


 ここからがクリエスにとって本番である。アリスが一体何を口にしたのか。脱獄してまで、やり遂げたい願い。拘束後の話はその回答へ続いている可能性があった。


「ああ、あの子は殺人については後悔していた。憎むべきことを誤っていたと……」


 アリスは感情のままにクリエスを刺したことを悔やんでいたらしい。彼女を振ったのは間違いなくクリエスであったはずが、どうしてかアリスは怒りの矛先が間違っていると気付いたという。


 バナムは少しばかり躊躇いながらも、アリスの台詞を口にした。


「ディーテ教は許さない――――と」


 クリエスは愕然としている。なぜかアリスはディーテ教団に不信感を抱いたようだ。

 まあしかし、分からない話でもない。クリエスは貧乳であることを理由にしてアリスと別れていたのだから。


「俺のせいだ……。俺がペチャパイは駄目だとか言ったから……」


 思わず声が漏れてしまう。敬虔なディーテ信者であったクリエス。同じ信徒であったアリスの心変わりに責任を感じている。


「んん? 君のせいって、そんなことはないよ。もうかれこれ十六年が経とうとしている昔話なのだからね」


 宥めるようなバナムにクリエスは首を振った。

 今ならアリスの動機が分かる。彼女が脱獄した理由はディーテ教団に対する反旗なのだと。


「大司教、確かクリエス司祭を刺した女性は脱獄したのですよね?」

「よく知っているんだね? まあ残念だが、彼女は罪を重ねてしまったようだ」


 嘆息するバナム大司教。罪を償う期間は一生涯であったけれど、アリスがそれを全うすることを彼は望んでいたらしい。


「彼女は恐らくホリゾンタルエデン教団に入信するでしょう。ディーテ様のような身体つきを恨むあまりに……」


 クリエスは唇を噛んだ。既にアリスの脱走はホリゾンタルエデン教団への入信であるとしか思えない。創設者であるツルオカは無乳好きであったと聞かされているのだから。


「むぅ、君は若いのに色々と知っているんだね? ディーテ教団でもその予想はされているんだ。どうにもきな臭い話だね……」


「俺はホリゾンタルエデン教団と戦おうと考えています。個々の嗜好については理解しますけど、押し付けたり対立するのは間違っている。俺自身はシルアンナ教の信徒ですが、ディーテ教団を悪く思ってはいません」


 バナムは首を振った。熱心にディーテ像へと祈っていた若者。間違いなく信徒だと考えていたというのに、その彼は新興宗教の信徒なのだという。


「君はシルアンナ教徒なのに、あれほど熱心に祈っていたのか?」


「シルアンナ様もディーテ様も世界を見守る女神様に違いありません。アストラル世界を良い方向へと導く女神様を俺は尊敬しております」


 最近の若者とは思えない落ち着き。若者には異なる者への理解が欠けていることが多い。しかし、眼前の若者は異教が崇拝する女神まで尊敬しているらしい。


「君は大した男だ。世界は信仰によって区別されている。善悪の思考は信仰によって区分されていると言ってもいい。だが、君は印象で判断することなく、理解した上で区別している……」


 バナムは評価していた。クリエスが生まれ変わりとしらない彼は柔軟な思考を持つ少年にしか思えなかったのだろう。


「俺は司祭殺害犯の女性と会って話をします。彼女がきちんと罪を償うように。元ディーテ信徒であれば説得できるはずです」


 予想外の話にバナムは難しい顔をする。十六歳である彼がその事件を知るはずもないし、執着する必要もない。加えて彼はシルアンナ教徒だと自ら告白したのだから。


「別に君が無理をする必要はないのだぞ? 年寄りの昔話だよ。忘れてくれ……」


「いいえ、忘れません。俺は俺が信じるままに戦うつもりです。間違いを正すこと。理由があったとして彼女は明らかに間違っている。だからこそ、俺は彼女と話がしたい。来世において彼女の魂が穢れないように」


 罪を償うことは魂の浄化である。

 真実とは少しばかり異なっていたけれど、それはアストラル世界に残る伝承なのだ。浄化されない魂は来世において魔物になってしまうのだと。


「なるほど、それは確かに。是非とも浄化してやって欲しいが、脱獄までした女性なんだ。説得は簡単ではないぞ?」


「分かっています。俺は彼女に会って説得するだけ。それに俺は最後の覚悟もできている。もし仮に彼女を説得できなかったとして……」


 クリエスは語る。自身が考える全てを。最悪の結末まで。


「そのときには彼女を斬ります――――」


 再び顔を振るバナム。彼の力強い眼差しには思わず視線を逸らしそうになってしまう。揺らぐことすらないクリエスの視線にバナムは彼の覚悟を見ている。


「本当に君は似ているな。その目だけでなく内に秘めたる強い意志も。加えて君は相当な猛者であるようだね? 光と闇の聖職者とか珍しい」


 目を丸くするクリエス。しかし、直ぐに気が付く。そういえばバナムは鑑定スキルを持っていたのだと。


「鑑定スキルですか?」


「まあ大したことは分からんがね。その若さでその強さ。ひたむきな努力の賜だろう。しかし、君はどうやら呪われているようだね?」


 どうやら気付かれてしまった。かといって呪いとの言葉はどれを指すのか疑問だ。貧乳の怨念なのか、或いは物理的に取り憑いた悪霊のことであるのか。はたまた魂が先天的に持っている女難のことかもしれない。


「これは悪霊の類いか……」


 バナムが続けた。悪霊の二人は教会の入り口で待っているはずなのに、彼は取り憑いたものが悪霊だと理解したらしい。


「チチクリは使い魔契約だし、バレなかったのか……」

「んん? 悪霊に思い当たる節でもあるのか?」


 独り言を聞かれて苦笑いを浮かべる。悪霊二体に加えて悪魔を使役しているなんて、神聖な教会に出入りする聖職者として穢れすぎなのだ。


「実はかなり上位の悪霊二体に取り憑かれています。どうにかして祓いたいのですけど、何か方法を知っていませんか?」


「自ら祓うというのか? まあ私には無理そうな悪霊だと思う。魂の格が違いすぎて何も分からんからな……」


 世界を震撼させた二人が大司教に祓えるはずもなく、アストラル世界に祓える人間はいないと既にシルアンナから聞かされているのだ。


「私では祓えないが、方法を記した書物ならある。少し待っていなさい……」


 思わぬところで手がかりが見つかっていた。確実かどうかは不明なのだが、バナム自身は悪霊を祓えると考えているようだ。


 しばらくして聖堂にバナム大司教が戻ってきた。その手には古めかしい書物。悪霊祓いの方法が記されたものに違いない。


「これはボイナー教皇が残された神聖魔法に関する書物だ。第七代教皇である彼は類い希なる力を持っており、あらゆる神聖魔法に精通しておったらしい。これは写本であるけれど、内容は正確だ。君の助けとなるだろう」


 書物を手にするクリエス。早速とページを開こうとするも、


「まあ宿でも泊まってゆっくりと読みなさい。それは私が写した書物でね。勇敢で正義感に溢れる君にプレゼントしよう」


「ええ!? 本当ですか!?」


「もちろん。かつていた弟子に似た君が困難に直面しているのなら、私は手を差し伸べるだけ。罪滅ぼしになるはずもないが、もらってやってくれ……」


 思わず泣き出しそうになってしまう。生前は弟子だなんて言われた経験がない。だが、転生した今になって、バナムはクリエスを弟子であったと明らかにしている。


「ありがとうございます。俺はこの先に世界を救いたい。ホリゾンタルエデン教団だけでなく、世界を苦しめる魔王や邪竜といった存在も叩き斬ってきます」


「それは大きく出たな。シルアンナ教徒でなければ勧誘したいくらいだ。まあでも、君ならば世を救う力があると思う。さっさと悪霊を祓い、今の言葉を実現させて欲しい」


 バナムは信じていないはずだ。クリエスが世界を救うだなんてことは……。しかしながら、期待していたのは事実であり、彼にはその素養があることも分かっている。


「一つ忠告しておこうか……」


 別れの時であることをクリエスは知った。大司教となったバナムには旅人と話し込んでいるような時間などないのだと。


 どのような忠告であろうと紳士に受け止めるつもり。クリエスは心して聞く。

 さりとて、バナムの忠告はこれからの戦闘や試練についてではない。十六年前を後悔したバナムはまだ若いクリエスに諭している。


 女遊びはするんじゃないぞ?――――と。

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