第033話 二人の女神と

 フォントーレス公国を発ったクリエスは一週間を要してアーレスト王国へと到着していた。関所では公王にいただいた親書を見せただけで、馬車が用意されている。関所から王都デカルネまで歩く必要はなかった。


「久しぶりだな……」


 実に十六年ぶり。所々、街並みに変化はあったけれど、大聖堂はクリエスが生きていた頃とまるで変化がない。


「お祈りしていこう……」


『やめるのじゃ、婿殿!』

『そうですよ! 教会なんて辛気くさい場所に!』

『主人様、私も教会は……』


 クリエスの思考は三人に筒抜けである。

 召喚していないチチクリまで脳裏に訴えていた。


「るせぇよ。俺の死後、どうなったのかを見てみたいんだ」


 恐らくは何も変わっていない。司祭が一人失われただけなのだ。

 ディーテ聖教会は巨大な組織であるし、クリエスが失われたところで何の支障もない。世界と同様に回り続けていたことだろう。


 悪霊と悪魔を放置して、クリエスは大聖堂へと入っていく。

 昼間ということもあって、人はまばらだが、シルアンナの教会と比べれば、やはり礼拝に訪れる人の数は多い。


 懐かしさすら覚えるディーテ像の前に跪き、クリエスは手を合わせて祈り始めた。

 ここでの祈りは巨乳な彼女が欲しいと願ったあのとき以来である。


「ディーテ様……」


 すると脳裏に煌めきを感じる。それはなぜかシルアンナが降臨する瞬間と似ていた。ここはディーテ教の大聖堂であったというのに。


『お久しぶりね。クリエス君……』


 脳裏に現れたのはどうしてかディーテである。現状のクリエスは彼女の信徒ではなかったのだが、見覚えのある顔は間違いなくディーテであった。


『ディーテ様、どうして?』


『ふふ、クリエス君。ワタシは貴方に加護を与えました。透視というスキルを授けたのを忘れましたか?』


 そういえばクリエスはディーテが引いた透視スキルを授かっていた。どうやら顕現してくれたのは、そういった繋がりがあったからだろう。


『現状はシルアンナの使徒でありますが、ワタシの使徒でもあるのですよ。我が教会で祈りを捧げたなら、ワタシの元へと届きます。熱心に祈られたものですから、思わず降臨してしまいました』


『えっと、ありがとうございます……』


 流石に恐縮してしまう。もうシルアンナの使徒としてクリエスは違和感を覚えない。あれ程までに心酔していたディーテを前にしても舞い上がることなどなかった。


『シルアンナと接続するわね』


 ここで妙な話となる。脳裏に降臨したのはディーテであるというのに、シルアンナまで割り込んでくるような話であった。


『ディーテ様、クリエスがお世話になっております!』


 即座にシルアンナまで脳裏へと現れていた。何がどうなっているのかまるで分からなかったけれど、共和国を離れてもシルアンナに報告できるのだと理解もしている。


『クリエス君はかなり強くなったのね? もう単独でドラゴンと戦えるステータスじゃない?』


 シルアンナからステータスを見せてもらったのか、ディーテが笑顔で言った。

 ステータスは四分の一であったけれど、既にヒナの制約に手が届くくらいに強くなったのだ。戦闘特化のドワーフでさえ、クリエスには敵わないだろう。


『ありがとうございます。でも悪霊二人のおかげです。ディーテ様は彼女たちを祓おうとしているのですよね?』


『あの二人は災禍なのよ? 今はクリエス君に従順だけど、身体を乗っ取られでもすれば、世界は混沌の渦に飲み込まれていくことでしょう』


 クリエス自身も彼女たちの能力を理解している。女神が恐れるほどの脅威であることを。


『俺も祓うのには賛成ですけど、一方で彼女たちは常識が欠けているだけかもと考えています。強大な力を持ちすぎて加減を知らないだけ。世界平和に活かせる可能性を俺は感じています』


 意外な話だったのか、ディーテは丸い目をする。

 ディーテが知る彼女たちは災禍そのものであり、彼女たちが役に立つとは少しも思えなかった。


『祓うにしても俺が責任を持って処理します。どうかヒナを制約に専念させてください』


『クリエス!?』


 確かにクリエスは自分自身で祓うと話していた。けれど、ディーテを前にそれを口にするだなんてシルアンナは想定していない。


 さりとてディーテは微笑んでいた。それが同意であるとは思わなかったけれど、クリエスは考慮してもらえるはずと疑わない。


『クリエス君、貴方は良い男に成長したわね? 流石は元ワタシの信徒。やはり男は女を守るべき。でもね、ヒナは既に聖女になると決めている。しかも、その上で制約をクリアするのだと意気込んでいるわ』


 ディーテの話にクリエスは唖然としている。

 悪霊の力を借りるのなら、簡単なことかもしれない。だが、ヒナには悪霊も悪魔もいないのだ。力技で強引にレベルアップする方法を彼女は持っていない。


『クリエス君、君と同じなのよ。ヒナはね……』


 何度も頭を振るクリエス。ディーテは困惑する彼に構わず、ヒナが制約を遂げるだろう理由を告げる。


『とても心が強い――――』


 せっかくの説明であったけれど、今さら精神論はないと思う。

 誰だって死にたくないし、生命の危機にあるのなら、それこそ死ぬ気で頑張れるだろう。しかし、不可能なものは不可能であり、努力や根性なんてものでは覆せないのだ。


『ディーテ様、やはり俺は自分自身でけりをつけますから……』


『クリエス君、貴方は優秀だけど、少しくらいは他人を信頼するべきよ。女神ディーテの名において明言いたします』


 ディーテは本心を告げる。未来予想ともいえる内容であるが、彼女は確信を持っているかのようだ。


『ヒナは必ずや制約を成し遂げるでしょう』


 女神ディーテの予言。それでもクリエスには届かなかったけれど、彼女が断言したことを否定できない。この世界の主神が見る未来は可能性を含んでいるはずなのだから。


『何も努力だけで成し遂げるとは、ワタシだって考えていないわよ?』


 懐疑的なクリエスにディーテが続けた。信じるにたる明確な理由が彼女にはあったのだ。


『ヒナが持つ固有スキル【華の女子高生】。現状は20%アップでしかないけれど、そのスキルが昇格すれば、50%アップとなるかもしれない。レベルアップと併用するのなら充分に間に合う数値となるでしょう』


 そういえばヒナはジョブスキルを最初から持っていた。しかし、それはJKというジョブに付随していたはず。


『聖女になったら、そのスキルは使えないのではないですか?』


『言ったでしょ? 彼女固有のスキルだと。ジョブからして特殊だったのよ。世界はヒナのジョブスキルを固有の先天スキルとして処理したみたいね』


 ここでようやくクリエスが笑みを浮かべた。

 個人に限定するスキルならばジョブに縛られない。聖女となっても華の女子高生は機能するはずだ。


『じゃあ、ヒナは生き続けられるのですか? 俺は彼女に会いたいのです!』


 思念通話であるはず。けれど、女神たちはクリエスの強い想いを感じ取っていた。

 どこまでも押し寄せる大きな波のように、幾つもの波紋が女神の心にまで届いている。


『クリエス、あんたも頑張りなよ? ヒナに会ったとき、クリエスの方が弱いんじゃカッコ悪いわよ?』


 ここでシルアンナが揶揄するように言った。

 まあしかし、クリエスは笑っている。シルアンナはとても気が利く女神だ。この十六年でそれは充分に理解している。


『任せろ。俺は魔王も邪竜も邪神さえもぶった斬ってやる。アストラル世界は必ず守ってやんよ。悪霊の二人も問題なく祓ってやる……』


 転生を経て色々と学んだ。この世界には自分だけがいるのではない。孤児として育ったクリエスは大勢に助けられて生きてきたのだ。主義主張に差はあれど、会話を交わすことで全員が理解し合える。転生前に懸念していたシルアンナ教徒という立場でさえ、迫害を受けることなどなかったのだ。


 人と人との繋がりは美しく、クリエスが守りたいものである。だからこそ、クリエスは世界を破壊しようとする者たちを許せない。


『やっぱクリエスは凄いわ。あのレベルの悪霊に取り憑かれたら、普通は一体でも彼女たちの重さに魂が耐えられなくなる。それを抑え込むだけじゃなく、ちゃんと制御できるなんてクリエスの魂評価はSランクだったのでしょうね』


 シルアンナの返答にクリエスは小首を傾げた。自身が知る内容と違っているように思う。


『んん? 俺は確かAランクだったよな?』


『そうなんだけど、強力な呪いのせいでランクダウンしているってことよ。魂の格が強くなければ、災禍とも呼ばれた悪霊に取り憑かれて平気なはずがないわ』


 なるほどとクリエス。祓えはしなかったが、呪殺されない現状は目に見えて魂の格が劣っていないということらしい。


『てことは、俺がもっと強くなれば、あの二人を輪廻に還せるってわけだな?』


 クリエスは希望を抱く。

 やはりヒナを頼るのではなく、自分自身で祓ってやりたい。自分を慕う悪霊たちはヒナに祓われることを良しとしないはず。最後はクリエスの手によって天へと還りたいだろうと。


『そゆこと。何かあったらまた連絡するわ。問題があればディーテ様に祈ってくれたら、私も降臨できるからね。絶対に一人で抱え込んじゃ駄目よ? クリエスもヒナも一人じゃない。私たち女神がついているのだからね』


 シルアンナが優しく微笑んだあと、脳裏に浮かぶ彼女たちは薄く消えゆく。


 クリエスはしばしボウッとしていた。なぜなら最後に見たシルアンナの笑顔にどうしてか見惚れていたからだ。

 女神と使徒という絆。この十六年で充分に深いものとなっている。従って彼女の笑顔も見慣れていたはずが、妙に心をざわつかせていた。


 クリエスは目を開き、長い息を吐く。

 脳裏へと残る残像には溜め息を吐くしかない。


「ド貧乳じゃなければな――――」

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