第032話 諦めない王子
刻一刻とヒナの旅立ちが近づいていた。
ヒナが語る話と教皇が受けた神託の内容が同じであったこと。その事実は相互に信憑性を与え、結果としてヒナの旅立ちを後押しする格好となっていた。
ただし、たった一人を除いて……。
「ヒナ、考え直してくれ! 僕にできることは何でもする! 二人でヒナが生き抜く方法を考えるんだ!」
公務があるはずなのに、ルーカス殿下は毎日のようにテオドール邸へと来ていた。まだ諦めきれないのか、ヒナの旅立ちに反対している。
「殿下、わたくしは旅立つしかないのです。婚約も誤解ですし、わたくしは王家に嫁ぐつもりなどありません」
もうヒナは言葉を濁さない。ここまで意思疎通が図れなかったのだ。全ては曖昧に答えた結果であり、ヒナの使命が公表された現在では濁す必要がなかった。
「しかしヒナ、僕はもう君しか考えられない……」
長い息を吐くヒナ。前世を通して初めて純粋な好意を寄せられているが、まるで心に響かなかったし、正直に迷惑にも感じている。
王子に求愛されるという漫画で憧れたシチュエーションなのに、どうしてもルーカスに惹かれない。欲望丸出しのクリエスの方が、どうしてか気になる存在であった。
「殿下はわたくしの何が好きなのです?」
大した関わりはない。まともに話したのは王家主催の誕生パーティーのみ。それも馬鹿と罵ったのだ。よってヒナには好かれる理由が分からなかった。
「僕は君の……」
言葉に詰まるルーカス。不意に見た笑みに惹かれたのだ。従って具体的に述べるなど彼にはできない。
「殿下、わたくしは何もしなければ18歳を前に失われる運命です。ですから戦うしかありません。こうした話し合いの時間さえ惜しいのです。もしも、わたくしが殿下に望むことがあるとすれば、わたくしを聖王国から追放し自由な身としてくれることしかありませんね」
ヒナは願望を伝えた。話し合うだけ無駄。自身の希望は聖王国から追放されることだけなのだと。
「追放? ヒナを追放できるはずがないだろ?」
「それですよ。わたくしは殿下にしかできないと考えておりました。だからこそ悪口を言って追放されようとしていたのです。でもなければ、公爵家の娘であるわたくしが旅立つなど不可能でしたから……」
追放からの旅立ちこそがスムーズな流れだと思っていた。ディーテの神託により、それらの考えは根本から覆ったけれど、今でもそうした旅立ちをヒナは望んでいる。
「今さらだよ。ヒナは聖女として認知されている。そんな君を一方的に追放できると思うかい? 王家はそれだけで民衆の反感を買い、存続できなくなるだろう」
ルーカスの意見はもっともであったが、語った全てはヒナの願望である。追放されたあとにある大逆転劇こそがカタルシスであり、悪役令嬢になりたいと思う理由であった。
「テオドール公爵家は長く王家と関わりを持っていない。ここでヒナを妃として迎えることは何も間違っていないと思うけれど?」
まだ諦めていないルーカスは婚姻の理由として、テオドール公爵家の問題を提起する。
八つある公爵家の内で王家に嫁がせていない期間はテオドール公爵家が一番長かったのだ。関わりが薄れると発言力が低下し、所領の運営にも影響があるのだと。
「別にルーカス殿下が気にすることではございません。わたくしはテオドール公爵家のためだけに結婚なんて考えもしていませんわ!」
口調を荒らげてヒナ。ルーカスのそういったところが、ときめかない原因なのだ。
自分の意志ではないようなズルい言い回し。真っ直ぐに気持ちが届かないのは体裁を取り繕う姿勢のせいである。
「わたくしには心に決めた方がおりますし……」
ここでヒナは口にする。必ずしも自身の意志ではなかったけれど、天界で確かに約束したのだ。
彼が是認してくれなければ現状はない。転生するには彼の許可が必要だった。だからこそヒナは彼との約束を守る。この世界で彼こそがパートナーなのだと。
「え……? そんな話は公爵から聞いていないぞ!?」
「お父様は存じません。ディーテ様から授かった未来ですから。わたくしには結ばれるべき方がこの世界におります」
流石にルーカスは反論を導けない。ディーテ神の神託によって相手が決まっているのなら、王子であろうとどうにもできないのだと。
「それは……事実か?」
「わたくしが嘘を言ってどうするのです? この生を受けてより決まっていたこと。わたくしの運命を切り開くお方。クリエス様と共に歩む以外、わたくしの運命は十八の誕生日を迎えられません……」
脚色を加えながら話しているのはヒナ自身だが、どうにも胸が高鳴ってしまう。
運命の人。そう考えるだけで魂を揺さぶられるような感覚に陥っていく。
「わたくしはクリエス様をお慕い申し上げます――――」
遂には決定的な台詞を口にする。ヒナ自身、クリエスは胸しか見ていないと考えていたというのに、どうしてか否定するような感情はなく、ただ彼の偏った愛に応えたいと思う。
「そんな……」
ヒナの発言にルーカスは何度も首を振る。この歳になって初めて好きな人ができた。しかし、その彼女には想い人がいるという。
「どこの……どいつなんだ……?」
精一杯の勇気でもって聞く。グランタル聖王国の第一王子よりも有望な人材なのかと。
ルーカスの疑問にヒナは小さく頷いていた。彼女自身もろくな情報を持っていなかったけれど、知り得ることを返している。
「南大陸に住む一般人です……」
予期せぬ話にルーカスは頭を抱えている。どうして女神ディーテがそのような者をパートナーとして指名したのか。仮にもヒナは聖女と呼ばれる人材である。一般人を相手としたディーテには疑問しか思い浮かばない。
「ヒナは会ったこともない男を慕っているのか?」
「容姿も性格も嗜好ですら存じております。彼もまた世界を救うべく使命を負う者。彼がわたくしを望むと仰るので、わたくしはその申し出を受けております……」
神託だと考えていたけれど、既に二人は通じ合っている感じだ。
ルーカスは何度も首を振りながらも、溜め息と共に返している。
「ディーテ様のお考えは理解した。でも僕は諦めない。もしも君が世界を救ったあと。そのときに付け入る隙があるのなら、僕は再び君に求婚しよう。たとえ聖教会を敵に回したとしても……」
予期せぬ話にヒナはハッと驚かされていた。
その言葉は初めてヒナの心に届く。人間らしさを覚えた。決して曲げられない信念のような想いをヒナは感じている。
この場限りの嘘かもしれない。だが、聖王国の第一王子が軽々しく口にする言葉ではなく、ルーカスもそれなりの覚悟をもって語ったはずだ。
ヒナは徐に頭を上下させた。
もし仮に世界を救ったあと。もしもクリエスが自分に興味を示さなかったならば、改めて彼の申し出を受けてみても構わないとヒナは思い直している。
「わたくしは殿下のお申し出を嬉しく存じます。しかし、期待はしないよう願います。恐らく、わたくしと殿下に縁などございませんから」
それ以上のことは返せない。現状で明らかなのはクリエスと旅をすることだけだ。彼を蝕む悪霊を自身が祓い、彼の力を借りて制約を果たすこと。
その先は未定なのだ。十八歳の誕生日を無事に迎えられるのかどうか。本当に世界を救えるのかどうかも……。
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