第029話 悪役令嬢の矜持

 ヒナは着々と旅立つ準備をこなしている。

 ディーテが手回しした教皇への神託は想像以上の効果があり、公爵家の一人娘ながらヒナの旅立ちを全員が受け入れていた。


 本日は大聖堂にてエバートン教皇による演説が行われている。何でも神託にあった世界の危機を世に伝えるためらしい。その様子は映写魔法により、国中に生中継されるのだという。


「アストラル世界は存亡の機にある! ディーテ様は世界の未来を危惧しておられるのだ。しかし、安心して構わない。ディーテ様がこの世を救うべく使わせた女性がいるのだから。数奇な運命を背負う彼女こそが世界の希望。我ら信徒は使徒様の旅を影ながら支えていこうではないか!」


 エバートンの声に万雷の拍手が返されていた。

 グランタル聖王国聖都ネオシュバルツはディーテ教の総本山である。トップである教皇が神託を受けたという話は衝撃であり、信徒たちは全員が世界の危機について真剣に受け止めていた。


「では若き聖女様を紹介しよう。ディーテ様の加護を受ける聡明なお方だ。また彼女はこのままでは十八歳の誕生日を迎えられないという。けれども、臆することなく、地に足を付け未来を見ておられる。尊い自己犠牲の精神をお持ちだ。我らはディーテ様の御使であるヒナ様を敬わなければならない」


 あまりにも規模が大きすぎる話にヒナはかなり緊張していた。実をいうと自身が期待されていないこと。天界での遣り取りを知らない信徒たちが盛り上がるほどに恐縮してしまう。


 エバートンに手を引かれ、ヒナは壇上に立つ。


「皆様、ヒナ・テオドールでございます。わたくしは常々悪役令嬢として邁進してきましたが……」


 ヒナが話し始めて直ぐ、エバートンが割って入る。どうやら彼女の話に補足があるらしい。


「ああ、ヒナ様が仰る悪役令嬢とは困難に打ち勝つ者を指すようだ。ディーテ様は悪を屠る役目を持つ令嬢のことだと話しておられた」


「いや、それは違いま……」


 どうやらディーテは悪役令嬢について誤解しているようだ。よって彼女は間違った認識をエバートンに伝えてしまったらしい。

 ヒナは慌てて訂正しようと思うも、またもやエバートンに遮られてしまう。


「ヒナ様こそが聖女。朝晩の祈りを欠かしたことがない敬虔なディーテ教信者である。弱者を守り、強大な困難にも立ち向かう。世界の未来を彼女は背負っておられるのだ。十六歳にして邪竜だけでなく魔王と対峙する覚悟を決められるなど、他の如何なる勇者にも不可能だろう。ヒナ様にディーテ神様の祝福がありますように!」


 もうヒナは否定できなくなっていた。向けられる大歓声が咽から漏れ出そうとする言葉を飲み込ませている。


「聖女様に幸あれ! アストラル世界に光あれ!」


 結局、ヒナは挨拶以上の話ができないままだ。この場を借りて悪役令嬢であることを周知させようと考えていたというのに、気付けば益々聖女として認知されてしまった。


「どうして、わたくしは悪役令嬢になれないのでしょう……?」


 小さな声で呟く。聖女として悪霊を祓うという役割は全うするつもりだが、やはり転生前に願った姿になりたいと思う。


 そんな折り、急に大聖堂の扉が開かれている。現れたのは僧兵。まだヒナの紹介が途中であったため、エバートン教皇は怪訝な表情を浮かべて叫んだ。


「何事だ!? これからヒナ様の大切な所信表明があるのだぞ!?」


「申し訳ございません! ガーゴイルの一団が飛来しているのです!」


 聞けば聖都ネオシュバルツに魔物が飛来したという。大聖堂の直ぐ近くとのことで、使者の目的は緊急的な避難を促すものであった。


 これでは流石に演説は続けられない。エバートンは大聖堂にいる信徒たちに向けて声を張る。


「皆の者、落ち着いてくれ! 避難は西門からだ! 僧兵はヒナ様をお守りしろ!」


 直ぐさま壇上を警護していた僧兵がヒナの手を引く。魔物被害の反対側。西側の通用出口へと連れられていた。


「わたくし、戦います……」


 ここでヒナは決意を告げる。この先にある旅の予行演習とばかりに。


「いや、ヒナ様!?」

「エルサ、わたくしの剣を!」


 直ぐさまメイドに指示を出す。馬車まで愛剣を取りに行くようにと。

 大聖堂に直付けしていたのは幸運であった。幾ばくもせずにエルサが戻って来る。


「お嬢様、ガーゴイルは十体とのこと。僧兵では相手になりません。衛兵の到着を待っていては被害が拡大するでしょう」


 エルサもまた剣を持っていた。彼女はヒナのメイドであるだけでなく、剣術の指南役でもある。従ってヒナを止めるどころか、参戦する気満々であった。


「ヒナ様、その格好で戦われるのでしょうか!?」


 エバートン教皇が聞いた。というのもヒナはスカートを穿いたまま。防具は何もなく、壇上にいた制服姿であったからだ。


「エバートン教皇様、わたくしはこの格好でないと真の実力が発揮できません。防具などは不要です」


 固有スキル『華の女子高生』は制服の着用にてステータスが増加する。加算されるのは二割であったけれど、全ステータスに影響を及ぼすのだ。結果として防具により得られる恩恵よりも制服で戦う方が強くなっている。


「エルサ、行きましょう!」

「はい、お嬢様!」


 二人はエバートンに礼をしてから、現場である大聖堂の東側へ。暴れ回っているというガーゴイルの対処を始めている。


「お嬢様、何体かお任せしてよろしいですか? 初めての実戦ですけれど……」

「問題ありません。ガーゴイルはDランクの魔物。一人でも殲滅できるほどの力がなければ、この先などありませんから」


 勇ましい返事にエルサはニコリと微笑む。Dランクの魔物は決して弱くない。街道を彷徨くような魔物は概ねFランクなのだ。教え子の勇敢な姿には目を細めずにいられない。


「ならば私は左側を!」

「エルサ、頼みます!」


 早速と戦闘が始まる。ガーゴイルは石像が魂を得て魔物と化したものだ。古城などで発生する魔物であり、街に飛来する事例は極めて少ない。また石像の名残で防御力が高く、魔法も効きづらいという特性があった。


「大丈夫。わたくしは戦うために努力してきたのです……」


 ヒナは心を強く持った。先の見えない新しい人生。自分でも信じられないくらい自己研鑽に励んでいる。十八年という区切りを与えられたことにより、彼女は一分一秒を大切にして生きてきた。


「ガーゴイルに恨みはございませんが、わたくしは冷酷非道な悪役令嬢ですの」


 剣に魔力を乗せ、全身全霊で斬りかかる。予想していたよりも遥かに硬い。だが、ヒナは長剣を振りきって、ガーゴイルを砕くように討伐していた。


「わたくしでも戦えます! ガーゴイルを一撃ですわ!」


 笑みを浮かべるヒナ。剣を掲げて周囲に聞こえるよ大声を張る。

 注目を浴びるべきとき。今こそ悪役令嬢として認めてもらうときなのだと。


「弱者は跪くのです! わたくしは悪役令嬢ヒナ・テオドールですの!」


 ヒナは昂揚していた。自分でも戦えると知った彼女は漫画で読んだ冒険譚のプロローグを体験しているような気になった。


「ひょっとして、この状況は……?」


 ヒナはゴクリと息を呑む。危険度Dランクのガーゴイルを一撃で倒した事実に。

 二体目のガーゴイルもまた一刀にて仕留めた現実に。


「きっと、これは俺TUEEEですわっ!」


 笑みを浮かべたヒナ。努力し続けた過去が実を結んでいるのだと知れたのだ。

 彼女は再びガーゴイルに向かっていく。もう少しも怖くなかった。まるで物語の主人公になったかのように、ヒナは次々とガーゴイルを討伐している。


「お嬢様、三体が空に!」


 ここでエルサが叫んだ。二人の強者に恐れをなしたのか、残りの三体は大きく羽を開き、宙を舞う。


「逃がしません! 俺TUEEEは常に殲滅と相場が決まっているのですから!」


 調子が出てきたヒナは魔法を詠唱し始めている。彼女の武器は剣術だけではない。制約さえなければ、魔術に専念したといえるほど魔法の才能を秘めていた。

 尖った知恵のステータスは全て魔法能力に還元され、魔力量に長けただけでなく魔法術式の理解力もズバ抜けていたのだ。


「ガーゴイル、申し訳ございませんけれど、わたくしは弱者を蹂躙しなければならない身の上なのです!」


 ヒナの選択は爆裂魔法。彼女の属性は光と火のダブルエレメントである。

 爆裂魔法の大分類は火属性であり、派生術式がカテゴリー化されたものだ。魔法耐性が高いガーゴイルには表面を焼くよりも、衝撃を生む爆裂魔法が効果的であった。


「ハイプロージョン!!」


 見守る全員が息を呑んだ。聖女と聞いて想像していたものと明確に異なる。とても貴族院の学生だとは思えない。中級魔法をいとも容易く唱えた彼女は、まるで円熟の冒険者だと見紛うほどであった。


 もう既にガーゴイルは死に体である。逃げることもままならず全滅となってしまった。


 ふぅっと息を吐くヒナ。しかし、落ち着いている場合ではないと気付く。耳目を集めた今こそが前世から練習していたことの見せ場であるはずと。


 悪役令嬢の矜持ともいえる甲高い笑い声をヒナはここで披露するのだった。


「オーホッホッ!!」


 周囲に悪役令嬢的な高笑いが響く。堂々としたその姿。まるで漫画の主人公であるかのように。


 すると瞬時に大歓声が木霊した。鳴り止まぬ拍手と声援。被害を最小限に食い止めたヒナに惜しみない賛辞が送られている。


「聖女様!」「聖女様ァァッ!」


 しかしながら、ヒナが期待した声はない。せっかく高笑いを見せたというのに、街の危機を救った彼女は聖女との名声を高めてしまう。


「み、皆様、わたくしは弱者を倒しただけ……」


 何とか認識を変えようと試みるも、ヒナの側にはエバートン教皇の姿があった。


「ヒナ様、ガーゴイルは弱者などではございません。正直にお見それいたしました。まさに貴方様はディーテ様の使い。神託で見た美しいディーテ様のお姿と今や明確に重なって見えます」


 エバートンはヒナに一礼したあと、高らかに宣言していた。


「ヒナ様こそが聖女! 皆の者、天より使わされし聖女ヒナ様を称えよ! この愛らしい女神をこの地に使わせたディーテ様に感謝を!」


 再び大通りは沸き返ってしまう。こうなるとヒナにはどうにもできなかった。

 歓喜の声に湧く大通りの中で、ヒナは一人肩を落としている。


「エルサ、わたくしは悪役令嬢になりたいのに……」


「お嬢様、まだ十六歳ではありませんか? それに旅立ちの日は近いのです。各地で悪役令嬢として振る舞えばいいのですよ。噂が広まれば、自然とそう呼ばれることになりますから」


 エルサ自身はヒナに悪事の素質がないことを知っている。しかし、肩を落とすヒナにかける言葉は未来に期待させることだけだ。彼女には世界を救う使命があり、旅立ち前に沈み込む時間などあるはずもないのだから。


 大歓声を背に受けながら、ヒナたちは屋敷へと戻っていく。

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