第023話 大精霊
北大陸の北端。ホリゾンタルエデン教団の聖地リベルに世界中から攫われてきた奴隷たちが集められていた。
聖堂前にズラリと並べられ、ペターパイ教皇による選別が始まっている。選別とはツルオカ神復活に向けて生け贄を選ぶことであり、教皇は適切な魂を捧げるために選別する役目を請け負っていた。
「マットソン僧兵長、穢れた女ばかりじゃないか? これでは贄として相応しくない」
眉間にシワを寄せたのはペターパイだ。女の奴隷は特に念入りに穢れの有無が調べられ、穢れと認定されてしまえば強制労働を強いられる奴隷となった。
また贄となるのは穢れのない女性と認定されたものだけであるが、教皇に気に入られた女性はリベルの住人として迎えられることもある。
「申し訳ございません。最近は穢れが分からぬ下劣な下着が開発されておりますので……」
「まったく……。我らはツルオカ様の意志を継ぐ者だ。ホリゾンタルエデンは地平のみを愛す。巨乳などは教義に反するのだからな」
地平の楽園ホリゾンタルエデン教団はツルオカの性癖をそのまま受け継いでいた。
男性は全員が板胸を愛し、女性は平たくあるべきと定めている。
順番に女性をチェックするペターパイはとある女性の前で立ち止まった。
「この女の資料をくれないか?」
「は、はい! 南大陸から連れてきた女です!」
ここで初めてお眼鏡にかなう女性が見つかったのかもしれない。ペターパイは即座に資料を要求している。
「女、お前には権利がある。我らは地平のみを愛すホリゾンタルエデン教団。もしも忠誠を誓うのであれば、ツルオカ様の加護を与えてやろう」
ペターパイに話しかけられ、女性は顔を上げる。スラム街にでも住んでいたかのような身なりだが、彼女の目はまだ死んでいない。
「私はディーテ教が許せない。もしもチャンスを与えてくださるというのなら、どんな汚れ仕事も請け負います。ディーテ教徒など皆殺しにすべきです……」
鋭い目つきで女性が言った。ここまでの話を盗み聞きしていたのか、ペターパイが望む回答を口にしている。
「殺意が込められた良い目だ。ならば、お前は生け贄から解放してやる。我らは地平で満たされた世界を望んでいるのだ。無駄な凹凸は穢れでしかなく、お前はその点でも優秀だからな」
「ありがとうございます。必ずやディーテ教徒共を殲滅してみせましょう」
女性はどれだけ酷い扱いを受けてきたのか、この場限りの嘘とは思えぬ怒りに満ちた表情である。
「この世に巨乳など存在すべきではありません……」
「その通りだ。ツルオカ様が復活なされた折りには全ての人間がへべたくあるべき。優秀な遺伝子以外は滅ぼすしかない」
ペターパイは嫌らしい笑みを浮かべている。どうやら彼は女性を救済したのではなく、単に彼女が好みであったらしい。中腰になるや、ペターパイは女性の着衣にある隙間へと手を差し込んでいた。
「これはいい。あとで私の部屋に来なさい。加護を授けてやろう」
「あ、ありがとうございます!」
「礼には及ばん。期待しているぞ?」
言ってペターパイは満足げに自室へと戻っていく。去り際に彼女の名を口にしながら。
「アリス・バーランドよ――――」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
エルスを発ってから一ヶ月あまり。クリエスはようやく国境線付近にまで辿り着いている。考えていたよりも登山道であったため、予定よりかなり遅れての到着であった。
「共和国ってデカかったんだな……」
まさか国を出るまで一ヶ月もかかるとは考えていない。司祭であった頃は馬車での移動がメインであったし、前世のクリエスが国外に出たのはこれから向かうフォントーレス公国だけであったのだ。
「ま、公国は小国だし、一週間もあれば抜けられるだろう」
ここまで道中の魔物は全てクリエスがトドメを刺していた。悪霊の二人が威圧するだけで魔物は動けなくなってしまうのだ。彼女たちを祓う目的も含むレベルアップであったものの、何も考えていないのか二人はクリエスに協力的なままである。
「レベルは28……」
剣士のサブジョブを得てから、随分と戦いやすくなっている。魔物によっては二人の助力がなくとも難なく斬り捨てることができた。
「やっぱステータスの上昇率も四分の一なんだな」
以前、リトルドラゴンを討伐したときにはステータスが跳ね上がっていたのだ。この旅路でもレベルは12も上がっていたけれど、まだステータスダウン前の半分にも満たない強さでしかない。
【名前】クリエス
【種別】人族
【年齢】16
【ジョブ】クレリック(剣士)
【属性】光・闇
【レベル】28
【体力】88
【魔力】59
【戦闘】76
【知恵】42
【俊敏】80
【信仰】89
【魅力】30(女性+160)
【幸運】5
【加護】シルアンナの加護
【スキル】
・魔眼(41)
・剣術(23)
・ヒール(98)
・浄化(45)
【付与】
・貧乳の怨念[★★★☆☆]
・女難[★★★☆☆]
クレリックであるクリエスは知恵と信仰値が伸びやすい。けれど、サブジョブに剣士が付いてからは戦闘値や体力値もそれなりに上がるようになっていた。
ステータス的にはなかなかの強者であったけれど、クリエスの目的は世界を救うことである。現状で満足することなく、更なる精進が必要であった。
「しかし、こいつらがいなければ、四倍の強さなんだよなぁ……」
『婿殿、ツルオカはもっと強かったぞ! 四倍にしたとして!』
「るせぇ。モチベの問題だ。四倍成長する方が成長を実感できんだよ」
長く下った坂が終わり、ようやくと街道は平地に入っていた。朝まで歩き続けたのなら、恐らくは関所まで到着できるだろう。
「いよいよフォントーレス公国だ……」
かつて存在した土地に戻ること。前世に未練など残していないつもりだが、不思議と気持ちが逸る。やはり二十年と生きたのだ。懐かしく感じると同時に、その変化をこの目で見たいと思う。
月明かりのみを頼りにして悠々と歩く。だが、クリエスは察知していた。善良ではない気配が闇の中から漂っていたことに。
『婿殿!?』
『旦那様、殺意が向けられています!』
悪霊の二人も気付いたらしい。もっとも彼女たちはクリエスよりもずっと詳細に理解していた。
『少々、厄介な気配ですわ』
『うむ、妾に任せるのじゃ』
殺気を感じたクリエスだが、現れた者の強さまでは察知できない。ミアとイーサが間違うはずもなく、現れた何かは紛れもなく強者であることだろう。
「魔物か?」
『いや、それがよう分からん』
『特殊ですね。人のようで人ではない感じ……』
二人から笑みが消えていた。かつて世界を震撼させた二人をも緊張させる何か。クリエスは覚悟を決める必要がある。
迎え撃つようにして三人。クリエスの正面にはミアとイーサが浮かんでいる。しばらくして、月明かりに影が浮かび、徐々にその存在が明らかとなっていく。
現れたのは人族っぽい男性だった。しかし、ミア曰く人ではないはずだ。
「お前たちは何者だ?」
クリエスは先に声をかけられている。また男性はクリエスが一人ではないことを分かっている感じだ。
思わず三人は顔を見合わせている。浴びせられた殺気から、いきなり戦闘となる予感があったけれど、どうやら戦闘を回避する選択もあるらしい。
『お主こそ何者じゃ? 妾にはまともな人間に見えんぞ?』
代表してイーサが問う。街道を外れた森の中から闇に紛れるように現れた男。割と上等な鎧を着込んだ彼は明らかに人族であったけれど、イーサもまたクリエスの本質を見抜いた強者だ。人族を装っているのだと察している。
「悪霊風情が僕に楯突くつもりか?」
やはり彼にはイーサの姿が見えているらしい。男性は剣先をイーサに向け、ニヤリとした笑みを浮かべている。
『旦那様、あの男性は身体を乗っ取られています。恐らく高位の精霊様ではないかと……』
ここでミアが男の正体について見解を示す。
精霊と言えばエルフが崇める存在だ。ハイエルフであるミアも例外ではなく、敵対していそうな相手に敬称を付けている。
「君は何をしているんだ? 俺たちはレクリゾン共和国から来たんだが、君はフォントーレス公国側から来たのではないのか?」
クリエスが問いを投げる。現れた男は明らかに関所を通っていないはず。深い森の奥から現れた彼が正規の手続きを踏んで共和国側へ来たとは思えない。
「ふん、君はなかなか良い男だね。それに度胸もある。かつて四大精霊と呼ばれた僕と対等に会話しようとするなんて……」
四大精霊とは風を統べるシルフ・イードに火を統べるサラ・マン・ダァァ。更には水を統べるウンディー・ネネ、土を統べるノア・オムを指す。彼が話す通りだとすれば、目の前の人物は大精霊に身体を乗っ取られていることになる。
「ミア、そんなことあり得るのか? 四大精霊は世界を守る存在だろ?」
『そうなのですが、彼の話は否定できません。何しろ千年ほど前に四大精霊の内、三体の大精霊様が行方不明となっていたのですから。彼には神格を感じますし、その中の一体である可能性は充分に考えられます』
どうやら四大精霊はかつてその殆どが失われたらしい。自然を統べる大精霊が消失した時代は想像を絶するほど荒廃していたに違いない。
「そういえば千年前はお前たちが暴れ回った頃……」
『妾は何も知らんのじゃ!』
『私も無実です! 大精霊様に牙を剥くなんてことはしません!』
薄い目をして二人を見る。どうにも狂気のハイエルフと魔王候補の仕業じゃないかと思う。さりとて大精霊は神にも匹敵する力を持つ。戦闘力は低めだとしても、三体の神格を相手に戦うのは彼女たちでも骨が折れるはずだ。
「それでその大精霊様とやらが、どうして夜逃げみたいな真似をしているんだ?」
「本来なら姿を見た君たちには死んでもらわなきゃだけど、素敵な君に免じて見逃してあげるよ」
何だか女難の好感度アップが機能している感じだ。クリエスは堪らずミアと視線を合わせる。
「おい、大精霊って女なのか?」
『ええまあ。大精霊様は四体とも女性ですね。見た目の話ですが……』
女難はミアたちによって強化され、今や女性に対して160という値が魅力にプラスされてしまう。大精霊にも効果を発揮しているとしか思えなかった。
「僕の名はシルフ・イード。もっとも今の世界には新しいシルフ・イードがいるだろうけれど。僕はこの鎧に封印されているんだよ」
大精霊が名乗る。どうやら身体を乗っ取っているのは風の大精霊らしい。また自然界を支える大精霊は彼女の消失後に新たな個体が選定されているとのこと。
『いや、大精霊様を封印できるような人間が存在するとは思えませんけれど!?』
ミアが声を上げた。彼女が口にした人間とは人族だけでなく、エルフやドワーフ、魔族まで含んでいるが、大精霊を封印できるほどの力を持つ存在はいないという。
「残念だけど、存在するんだよ。ベリルマッド六世という鍛治師によって僕は封印されたんだ……」
『もしかしてベリルマッド工房の方でしょうか? 確か国宝級の武具を数多く製造しているとか』
ミアが続ける。クリエスはまるで分からなかったけれど、割と有名な工房なのかもしれない。
「そう言ってたね。彼は僕の力を鎧に付加するつもりだったらしい。まあそれで僕は言葉巧みに誘い出されてしまったんだよ……」
確か勇者ツルオカも言霊というSランクスキルを持っていたのだ。ベリルマッド六世が発言に力を加えられるスキルを持っていても不思議ではない。
「どんなスキルを使われたんだ?」
「今考えると罠だったよ。甘い囁きに僕は屈してしまった。彼は僕に向かって甘言を並べたんだ……」
やはり特殊な能力を有していたのだろう。でまかせの甘言が大精霊を騙してしまうなんてそうとしか考えられない。
「飴玉をくれるって……」
「実際に甘いやつかよ!?」
スキルでも何でもなかった。大精霊シルフは飴玉一つだけで、喜々としてついていってしまったらしい。
「飴玉は甘いんだぞ!?」
「わぁっとるわい!」
頭痛を覚えてしまう。クリエスは大精霊が非常に残念な存在であると知った。こんな存在に自然界を任せた世界には苦言を呈したいところである。
『しかし、シルフ様を封印するには連れて行くだけでは不可能かと……』
「明確な罠だったんだ。ベリルマッドはこの鎧の穴に入れといった。そこで待ち構えていたのはサラ。僕の天敵であるサラ・マン・ダァァだよ……」
説明されると納得できる話であった。風属性は火属性に弱い。よってシルフは火の大精霊サラによって容易に封じられたのだと分かる。
「サラは絶対に許せない。サラを見つけ出し、僕は必ず殺すと決めたんだ。何しろサラは……」
シルフは自分を封じたサラを恨んでいるようだ。自由を奪われたシルフは千年が経過した今もサラを憎んでいる。
「飴玉を二つも食べていたんだ!」
「大精霊ってバカなの!?」
クリエスは頭を振る。元々精霊は次元が異なる存在だが、諸悪であるベリルマッド六世や封印された事実よりも、報酬の差に殺意を覚えるなんて理解できる存在ではない。
「それで、お兄ちゃん。道中にサラを見なかったかい?」
「俺は見てないが、もし目的を果たしたのなら、その男性は解放してやるんだぞ?」
「まあそのつもりだけど、もうこの男には未来なんてないよ?」
シルフが封じられた鎧はともかくとして、男性は豪華な装飾をあしらった長剣を持っているし、盾には家紋まで刻まれている。どう見ても貴族風の男に未来がないとは考えられない。
「家に帰ればそいつなら暮らしていけるだろ?」
「そういう意味じゃない。愚かにも僕を装備したこの男は公国の王子様でね……」
想像よりも身分が高い。何とシルフはフォントーレス公国の王子様を乗っ取ってしまったようだ。
「婚約者やら取り巻きを全員斬り殺したんだ……」
クリエスはゴクリと息を呑む。ここでようやく関所から現れなかった理由を知らされたのだ。どうやらシルフは王子に大量殺人を強いたらしい。
「そんなわけでね、僕は関所を通れなかった。力の大部分が鎧に封じられているし、この男の身体がなきゃサラを捜せないんだよ」
不適に笑うシルフ。王子の身体であれば飴玉くらい幾らでも手に入るのだが、盲目的にサラを憎む彼女は大量に人を斬った挙げ句、国外へと逃亡してしまった。
「サラという大精霊を見つけるのなら、ベリルマッド六世が製造した盾や剣を探せ。サラも恐らく封印されている……」
ここでクリエスは予想できる話を口にしていく。シルフが捜すサラの行方について。
「え? お兄ちゃん、どうして分かるの!?」
千年前に大精霊が三体消失したという事実からクリエスは導いていた。大精霊の鎧を生み出したベリルマッド六世が他に何をしたのかと。
「サラはウンディー・ネネに封印され、ウンディー・ネネもまた土の大精霊ノア・オムに封じられたはず。一つずつ多く飴玉を用意して……」
『旦那様、それでは千年前に起きた大精霊様の消失はベリルマッド六世が犯人なのでしょうか?』
精霊信仰が根強いハイエルフ。ミアは当時の真相を知りたがっている。
「まあ恐らく。全員がシルフと同じような馬鹿なら簡単なことだよ。つまりノア・オム以外は封じられたと考えるべきだ」
飴玉だけで封印できるのであれば、三体を封印するのに労力など必要ない。最後のノアに四個の飴玉をあげるだけで良いのだから。
「ゆ、許せない。何てことだ……」
再び声を震わすシルフ。その姿は大精霊全員が手玉に取られた事実に打ち震えているようだった。
「僕だけ一個だなんて!!」
「ホント馬鹿だな!?」
もう本当にそれが真実だと思えてならない。飴玉の数だけで大量殺戮してしまうのだ。大精霊はイメージと異なり、かなり短慮であり向こう見ずであった。
「お兄ちゃん、ありがとう。素敵な見た目だけでなく、いい人で良かった。もしもサラやウンディーをぶっ殺したあとは僕を好きにして欲しい」
「うん、すまん。悪霊は間に合っているんだ……」
深く関わってはいけないとクリエスは思う。どうみても厄介な存在なのだ。今以上に爆弾を抱えるわけにはならない。
「俺たちは先を急いでいる。サラが早く見つかるといいな?」
「お兄ちゃん、分かってるだろうけど、僕のことは他言無用だよ?」
「了解した。シルフも俺に会ったことは誰にもいうな。俺たちも訳ありでな……」
クリエスもまた条件を付けた。確実に罪人であるシルフとの繋がりを断っておくべきだと。
「分かったよ、素敵なお兄ちゃん。じゃあ、また会おうね……」
突然のくだらなくも意味のある邂逅はこれにて別れとなる。互いが互いの行動をするため。互いが互いを干渉しないように。
月明かりに照らされながら、二人は進路を明け渡していた……。
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