第019話 報告

 教会は閑散としていた。シルアンナの神力を考えると当たり前かもしれないが、僧兵の見回りが来るくらいで聖堂は静まり返っている。


 やはり悪霊たちの姿は見えなくなっていた。教会に入れないのか、或いは隠れているだけか。何にせよ、うるさい二体がいないのは好都合でもある。


「シルアンナ、顕現してくれ……」


 熱心に祈ると、目の前が輝き出す。此度は脳裏ではなく、シルアンナ像の前に現れてくれるらしい。


「お祈りありがとね!」


 顕現するやシルアンナは礼を言う。国教に指定したレクリゾン共和国でもこの有り様なのだ。クリエスの祈りも貴重な神力となった。


「知ってると思うが、俺はこれから西へと向かうことにした。まあそれで俺は道中にアリスと出会うかもしれない……」


 自身が先天的に持つ女難。トラブルを引き寄せるそれは手配書がフラグであると通知しているかのよう。アリスの存在を知ってしまった今であれば、再会は必然であるように感じる。


「そうね。ないとは言い切れない。かといって彼女の情報はディーテ様に聞くしかない。私はレクリゾン共和国内とクリエスが経験する事しか監視できないし」


 女神も万能ではない。主に信徒たちと繋がるのであって、信仰心が低いものを監視するのは難しかった。


「まあでも真相を語らない限りは平気よ。クリエスは転生してるのだし、彼女とは年齢が違いすぎるからね」


「いや、俺はアリスに謝りたいと考えているんだ……」


 予想外の話にシルアンナは唖然と顔を振る。なぜなら謝るには転生から伝え始める必要があったからだ。


「本気? 名乗り出たとしてメリットなんかないわよ?」

「メリットならあるさ……」


 どうしてかクリエスに利点があるという。彼女は犯罪者であり、前世でクリエスを刺し殺した者であるというのに。


「アリスなら呪いを解除できるんじゃないか?――――」


 絶句するシルアンナ。そういえば貧乳の呪いはアリスがかけたものだ。今は昇格してしまったが、根本となっている呪いが解呪されたのなら、影響は緩和されるに違いない。


「可能性はあるけど、心配だわ。脱獄した彼女は恐らく目的を持っている。監獄から逃げ出すだけだとは思えないのよね」


 その意見にはクリエスも同意するしかない。脱獄という罪を重ねたのは何らかの目的があったからだろう。


「ま、それでも俺はアリスに会ってみたい。全ては俺のせいだし、俺が謝るべきなのは事実だ。それで悪霊については何か分かったか?」


 クリエスは問答を続けることなく話題を変える。ステータスダウンの原因となっている悪霊二体について。


「一応は判明したわ。やはりイーサとミアは千年前の災禍みたいよ。イーサは竜神と呼ばれる現地神を吸収して魔王候補となった。覚醒には世界が認めなかっただけで、それでも時間の問題だったらしいわ」


 イーサは魔王化にあまり興味を示さなかったようだ。彼女は本能のままに男漁りをしていたのだから。


「ミアは南大陸に大量のアンデッドを生みだし、世界のバランスを大きく崩した張本人。彼女が率いたライオネッティ皇国は大陸の西端にある小さな国であったというのに、瞬く間に南大陸を制圧してしまった。手段を選ばぬ戦いぶりから、狂気のハイエルフなんて二つ名で呼ばれてたみたいね。二人ともが災禍となり、世界を震撼させていたのだけど、あるときを境に忽然と姿を消したとディーテ様は仰っていたわ」


 眉根を寄せるクリエス。二人の前世は予想通り凶悪なものであったが、確かイーサは名もなき男の悪口によりショック死したと聞いたのだ。主神であるディーテが把握していないなど疑問である。


「イーサとミアの死因をディーテ様は知らなかったのか?」


「仕方ないわよ。ディーテ様の管理エリアは広大なの。それに信仰心が薄い者は監視しにくいし。加えてディーテ様の目となるべく転生させた勇者ツルオカは指示を何一つ聞かなかったらしいの。ディーテ様に対する信仰心はゼロで、少年期を脱してからは加護による監視すらできない状態だったみたい。おかげでディーテ様は状況を把握するのにとても苦労されたらしいわ」


「てことは、まぁた名もなき男に感謝するっきゃねぇな。それにしてもディーテ様の命令に従わないとか、召喚した勇者はクソすぎねぇか?」


 ディーテが把握しきれなかったのは召喚された勇者ツルオカの祈りが一度もなかったことが原因である。彼がどこにいるのかも分からなかったディーテに魔王候補と狂気のハイエルフを追跡する術はなかった。


「まあでも恐らく魔王候補イーサはツルオカによって殺されたみたいよ。ディーテ様が仰ってたのだけど、ツルオカは言霊というSランクスキルを持っていたの。彼が口にする言葉は力を得て、妙な真実味を与えてしまうらしいわ」


「じゃあ結果的に召喚は大成功ってわけか?」


 名もなき男がツルオカであれば、ディーテの召喚は使命を遂げたことになる。命令を聞かずとも魔王候補を討伐し、地縛霊となったイーサにより狂気のハイエルフもまた殺されていたのだから。


「そうとも言えない」


 ところが、クリエスの予想に反した返答がある。勇者ツルオカは懸念であった魔王候補と狂気のハイエルフを結果的に倒していたというのに。


「ツルオカは今回起きた災禍警報の中心人物なの――――」


 クリエスは小首を傾げている。急展開すぎる話には眉根を寄せるだけであった。


「千年の時を経て彼は邪神として復活するかもしれない……」


 旅立つ連絡であったというのに、クリエスは思いもしない話を聞かされている。

 どうやら天界では警報に関する情報収集が進んでいるようだ。


「邪神? 魔王と邪竜だけじゃなくなったんだな?」


「そういうこと。これから先に災禍警報から終末警報に格上げされる可能性が高い。ホリゾンタルエデン教団という邪教が動きを活発化させ、世界のバランスを崩し始めているの。そのせいで予定よりも早く北大陸に魔王候補が発生してしまったってわけよ」


 その話はクリエスにも覚えがある。つい先ほどリリアに聞いたばかり。新興宗教がディーテ教徒たちを襲っているとかどうとか。


「魔王候補だけじゃなく、そいつらを倒せばいいのか? 俺は弱体化してっけど……」


「まあそうなる。邪神を復活させてはいけない。魔王どころの話じゃないからね。またツルオカはオールS評価の魂だったの。復活を果たす前にどうにかしなければ、アストラル世界は終末を迎えるでしょう」


 ステータス四分の一が痛すぎる。新人にしては強いとリリアに褒められていたけれど、本来ならクリエスは現状よりもずっと強いのだ。


「それでイーサたちなんだけど、やはり現状のアストラル世界に二人を祓える聖職者はいない。まあ、それでもディーテ様は成長の過程で祓えるだろう人物の目星を付けておられる」


 クリエスは何とか二人を成仏させようと考えていたのだが、ディーテもまた脅威に感じたのか悪霊二体を祓う算段を立てているらしい。


 シルアンナはその解決策を示す。天界が出した無慈悲な回答をそのままに。


「ディーテ様はヒナを聖女にジョブチェンジさせることで悪霊祓いしようとしている。制約が果たせなくなることを承知で……」


 受け入れ難い話にクリエスは声を失う。前衛職縛りの制約が課せられていたのを彼は知っているのだ。聖女が前線で大剣を振り回すジョブではないことくらいクリエスにも分かった。


「ディーテ様はヒナを切り捨てるつもりか?」


「何しろ終末警報に格上げされそうな状況だからね。本心をいうと私だってヒナを助けたいわ。でも、大局的に考えることも必要なの。クリエスの基礎ステータスがヒナよりもずっと上がっていたことはジョブランクの差なのよ。ヒナにはなくて、クリエスに才能があっただけ。クリエスには大勢を救う力がある。よく覚えておきなさい。貴方はたった一人のために転生したのではないってことを……」


 宥めるような話をするシルアンナ。静かに聞いてくれることには安堵したけれど、まだ話には続きがある。シルアンナは躊躇いながらも、主神ディーテと共に決めた方針を伝えていく。


「既にディーテ様はかなりの神力を集めてられているわ。再召喚には何の支障もない。よってヒナの役目は明確に切り替わり、悪霊を祓うだけとなった……」


 重い口ぶりから、女神たちも苦渋の選択であったのだと思われる。何事もなければ切り捨てるような手段を選ばなかったはずだ。


「イーサとミアは俺の命令をよく聞くぞ? ヒナが犠牲となるくらいなら、俺は取り憑かれたままでも構わないんだが……」


「それは駄目よ。やはり悪霊の二人は災禍なの。もし仮にクリエスの身体を完全に乗っ取ってしまったのなら、世界は更なる混乱をきたす。クリエスに従順な今の段階で処理すべき案件なのよ」


 ディーテ神の考えならばクリエスも受け入れるしかない。彼女は少しばかり幸運に見放されているだけで、常に世界を正しく導いているのだから。


「あいつらは頭のネジがぶっ飛んでるからな。祓うという方針に異論はないし、俺はディーテ様の考えも理解できる」


 ショッキングな通達であっただろうが、シルアンナの予想とは異なりクリエスは落ち着いたままだ。天界で見せたような聞き分けのなさは見られない。


「でもな……」


 しかし、急に表情を厳しくするクリエス。彼は睨むようにしてシルアンナに言葉を投げていた。


「俺はヒナを生かす――――」


 続けられた話にシルアンナは声を失っていた。ディーテの命令ならば即座に受け入れていたクリエスが、ここにきてディーテの意志に背くなんてと。


 強い意志が込められた揺るぎない視線。鬼気迫る表情は決意の表れであろう。


「本気なの? 彼女を生かすならクリエス自身が悪霊祓いするしかないわよ? ディーテ様は必ず祓うというスタンスだし、納得してもらうにはそれしかない」


「じゃあ、祓ってやんよ。ステータスダウンとか知るもんか。要は悪霊より強くなりゃ良いだけ。ステータスが四分の一になるのなら、俺は四倍以上努力して強くなんだよ」


 シルアンナにもクリエスの本気が伝わっていた。押し殺された怒り。まるで心が震えているかのよう。加護を与えたクリエスの感情がシルアンナへと流れ込んでいる。


「分かった。やれるだけやってみなさい。ヒナが聖女にジョブチェンジするまで、そう長くはないでしょう。なぜなら世界が彼女を聖女と呼び始めているから。恐らく世界は既にヒナを聖女として認めている。ヒナがステータスを満たせば、ジョブチェンジは成されることでしょう。彼女は聖女に必要なステータス評価が高いし、時間はあまり残されていないはず。聖女になってしまうと戦闘値と体力値は今以上に伸びにくくなってしまう。ヒナが生き続けるためには聖女となる前に制約の値を満たすしかないわ」


「分かってるよ。ディーテ様の意に反していたとしても、俺は必ずヒナを救うからな……」


 クリエスは唇を噛んだ。ヒナに会いたいと思って旅立ったはず。しかし、悪霊に取り憑かれるというトラブルによって、ヒナが死を宣告されることになった。情けないと同時に悔しくて堪らない。


「死ぬほど努力するよ。ディーテ様にも予期できないくらいの最強になってやんよ……」


 溢れる出す感情に従いクリエスは言葉を繋げていく。決意を覚悟に変えるため。自身を追い込み、後戻りできないようにと。


「魔王も邪竜も任せとけ。俺の前に立ち塞がる敵は全部ぶった斬ってやる……」


 自身はクレリックである。しかしながら、クリエスは本気だった。だからこそ想いのままに告げる。女神でさえも血の気が引くような怒りに満ちた表情をして。


「たとえ敵が神であろうとも――――」


 もうシルアンナは何も言えなかった。神格を持つ邪悪が現れようとしているというのに、意気込むクリエスに対して。


 自身の使徒がやる気に満ちているのだ。意欲を挫くなんてできるはずもなく、彼女はクリエスの背中を押すしかない。


「頑張れ、私のクリエス!」


 精一杯のエールと共にシルアンナは薄く消えゆく。それはこの急な話し合いが終わりであることの通知である。クリエスの瞳に映るシルアンナはもう何処にも姿がない。


 聖堂は再び静寂を取り戻していた……。

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