第012話 ヒナの悩みは……

 グランタル聖王国は北大陸の西側に広大な領土を持つ北大陸屈指の大国である。

 その首都、聖都ネオシュバルツはアストラル世界屈指の大都市であり、ディーテ教の総本山がある聖地でもあった。


「はぁ、どうしてピンク色の髪に生まれてしまったのかしら?」


 ヒナは手鏡を眺めながら嘆息していた。悪役令嬢になりたかったというのに、ヒロイン感丸出しの桃色をした髪が気になっている。


「金髪か、せめて黒髪が良かったですわ。ピンク髪では縦巻きロールの迫力が損なわれてしまいます。ブルーの瞳は期待通りなのですけれど……」

 悪役令嬢と呼ばれないのは見た目の印象もあるだろうと、ヒナは考えている。


 アストラル世界に髪を染める習慣はない。髪色は神が与えた個性であり、染め直すなんて神への冒涜だとされているのだ。従ってヒナに染め直しなんてできるはずもなく、現状を嘆くだけであった。


 ヒナが意味もなく髪を触っていると、

「お嬢様、お祈りの時間です」

 専属メイドのエルサが現れた。どうやらディーテ神に祈りを捧げる時間らしい。


「エルサ、ありがとう。今向かおうと思っていたところよ」

 ヒナはエルサに礼を言い、馬車へと向かう。朝と夕方の祈りは欠かしたことがない。お試しではあったけれど、転生させてくれた感謝をヒナは忘れていなかった。


 馬車での移動中、溜め息を吐くヒナにエルサが話しかける。

「お嬢様、自費出版されました書籍ですけれど、貴族や上級市民を中心として多くが買い求めてくれました。なかなか好評を博しているようですよ?」


 彼女が話すようにヒナは小説を書いていた。悪役令嬢とは何かを世に知らしめるため、読み漁った漫画を思い出して物語にしている。


 不意に知らされた話にヒナは笑みを浮かべた。何しろ、それは悪役令嬢となるための布石。聖女というイメージを一変しようと書きしたためたものである。


「エルサ、まずは世の認識を変えねばなりません。世間に悪役令嬢を認知させるためですから、たとえ白金貨が一万枚必要だろうと重版してください」

「お嬢様、重版はいたしますけれど、金貨でも充分です」


 今世では無敵のブラックカードを持たされていない。しかしながら、ヒナの小遣いは白金貨単位である。転生しようと彼女の金銭感覚はズレたままであった。


「とにかく世間に悪役令嬢を認知させるしかないのです。お願いしますね?」


 悪役令嬢ロールをするだけではいつまで経っても変わらない。目的を遂げるための一歩として、悪役令嬢とは何かを知ってもらおうと考えたのだ。


「いやでも、ますますお嬢様の評価が高まっておりますけれど……? 聖女であるだけでなく、文才までお持ちとは流石だと」


 ところが、予想と異なる現実になっているらしい。どうやら聖女という認識は固定されており、民衆は悪役令嬢とヒナを重ねてくれないようだ。


「じゃあ、わたくしはどうすればいいのです? なぜ聖女などと呼ばれるのでしょうか?」

「お嬢様、失礼ですが執筆されたあと読み返されましたか? 私の印象でも聖女としか思えませんでしたが……」


 どうも内容に聖女成分が含まれていた感じだ。かといってヒナは校正も兼ねて読み返しており、彼女が知る悪役令嬢がそこには綴られているはず。


「どういうシーンでしょうか? 精一杯に悪役を演じさせたつもりなのですけれど」


 物語の主人公は公爵家のご令嬢。名前こそ変えていたけれど、読者に自分が悪役令嬢だと分かるように書いたつもりだ。


「お嬢様、あの内容は絶対に悪ではありません。せめて下級貴族を叱責する場面はもっと冷酷に処置すべき。主人公は全ての罪を許すような印象ですし、そもそも公開説教に至ったのは彼らが犯罪行為をしたからです。主人公の取り巻きも明らかに善人ですし、お嬢様に悪の素養がないことだけが浮き彫りとなっていますね」


 ヒナだって頭の中では分かっている。しかし、いざ書いてみると厳しすぎるような気がして、気付けばエルサが指摘するような内容になっていた。


「しかもですね……」

「まだあるのですか……?」


 ヒナは苦い顔をしている。力作だと考えていたというのに、感想を聞くと正反対の物語となっていたらしい。


「王子様に断罪されるシーン。主人公は無実であり、罠であったことを知っていました。けれど、下級貴族を庇うように罪を認めております。大勢がこの断罪シーンで涙したという話を私は耳にしていますよ」


 エルサの文句ともいえる指摘が続く。既にヒナの精神ライフはゼロであったというのに。


「王国を追放されたあともそう。僻地で食べることすら苦労していましたが、それでも弱者に施しを与え、自身は痩せ細っていました。餓死寸前の少年を助けようと神に祈るシーンは聖女そのもので、私も思わず目頭が熱くなってしまいましたね……」


「いや、そこは悪評を覆すためのシーンですし……」

「そもそも悪評など存在しましたか!? 首尾一貫、聖女だったでしょ!? 恐らく物語の読者は悪役令嬢を誤解しているはずです!」


 反論しようと思うも、即座に否定されてしまう。完全に逆効果であったことをヒナは知らされていた。


「そんなぁ……」

「ま、まあお嬢様はそれで良いのです! 泣き顔はやめてくださいまし! 美しいお顔が台無しですから……」


 悲しげな表情をするヒナにエルサは直ぐさま反省している。流石に言いすぎたと思い直していた。

 幼い頃からずっと聞かされているヒナの悪役令嬢願望。それを知るエルサはもっと優しく諭すべきであったと。


 程なく二人は大聖堂に到着し、ヒナは聖母神ディーテ像の前へと跪く。いつも通りに手を合わせて熱心に祈りを捧げていた。


「主よ、この世界をお救いください……」


 悪役令嬢を自称するヒナであったが、祈りに関しては真面目そのものだ。熱心に祈る彼女の姿には大司教も感銘を受けている。


「ヒナ様、これから礼拝集会があるのですが、是非ともヒナ様に一言お願いしたいのです」


 聖堂に現れた大司教はそんなことをいう。ヒナ自身が悪役令嬢を自称していることは彼も知っていたというのに。


「それは構いませんが、わたくしは悪役令嬢ですよ?」


「私こそ勉強不足で申し訳ございません。ヒナ様の著書でしか悪役令嬢を学んでおりませんが、きっと聡明なヒナ様に相応しいものなのでしょうな。信徒たちはヒナ様がディーテ様の御使だと口々に申しております」


 その認識は間違っていなかったが、流石に嘆息するしかない。日増しに評価が高まっているのだ。悪役令嬢の認識については自分で蒔いた種かもしれないけれど、それでも聖女とされてしまうなんて心外であった。


 しばらくして大聖堂に信徒たちが集まり出す。安請け合いをしたヒナは席が埋まるや、信徒たちを前に語り始めている。


「皆様、ヒナ・テオドールでございます。未熟なわたくしではございますけれど、ディーテ様を崇める心は皆様と同じ。大いなる神に我らは祈り続けましょう……」


 ヒナの話に万雷の拍手が送られている。これでは益々悪い方向へと進んでしまいそうだ。


 簡単に予想できる未来を危惧したヒナ。悪役令嬢として認められるため、本日行った悪事を彼女は口にしていく。


「わたくしは本日、配膳されたサラダを食べませんでした。農家の方たちが丹精込めて育ててくれたにもかかわらず……」


 一転して聖堂がどよめく。思いもしない話に信徒たちは困惑していた。


「わたくしはこっそりと中庭にサラダを撒いたのです。中庭には小動物が沢山おりますから……」


 これ以上の悪事はないだろうとヒナは考えている。好き嫌いをした挙げ句、中庭に捨てたのだから。


 ところが、刹那に拍手が返されてしまう。それはヒナがまるで予想していない反応であった。


「天候不順が続き、動物たちも餓えていると聞きます! まだ成長期であられるというのに、自身の食料を動物に与えられるだなんて! 何と慈悲深いことだろう! ヒナ様こそが聖女に違いない!」


 どこの誰かは知らないが、ヒナに賛辞を送る。ヒナの思惑を考慮せずに、脚色を加えて美談としてしまった。


「み、みなさま! わたくしは聖堂前にいた孤児たちにお金ではなく、食べかけのお菓子しか与えなかったのですよ! ポーチには白金貨が何枚も入っていたというのに!」


 精一杯に訴えたけれど、それは無駄なことであった。ヒナが語る全ては美化されて、彼女は聖女として崇められるだけだ。


「流石です! 孤児たちに大金を手渡したとして、悪党が暴行を加えた上に奪っていくのは歴然としております。しかし、開封された菓子であればその限りではない。悪党は金目のもの以外に興味がないのですからな!」


 盛大な拍手がヒナに送られていた。何を言っても無駄。悪役令嬢を勘違いした人々にヒナの悪事が連想できるはずもない。


 そもそも悪役令嬢の素質がヒナにはなかった。理想とする姿は明確であったというのに、彼女が考える悪事は世間一般からすると大した問題ではなく、簡単に善行だと勘違いされてしまうものだ。


「み、みなさま……?」

「うおお! 聖女様、我々に祝福を! ディーテ様の使徒である聖女様に我々は永遠の忠誠を誓います!」


 大喝采に沸き返る大聖堂。ヒナは魂が抜けたような顔をして信徒たちを見ていた。もう既にどうしようもないのだと。


 鳴り止まない拍手の中、ヒナが大聖堂をあとにしていく。肩を落とし、長い息を吐きながら……。


「ねぇエルサ、わたくしはどうして悪役令嬢として認められないのでしょうか?」


 堪らず問いを投げた。彼女なら分かるはずと。聖女なんて目指すところとは正反対であり、何が間違っているのかをヒナは知りたく思う。


「お嬢様、人は自分にないものに憧れを抱きます。隣の芝が青く見えるのと同じ。よってお嬢様が憧れる悪というものは、お嬢様と本質的に異なっているものです。だから漠然と望むだけでいいのではないでしょうか? お嬢様はアストラル世界の希望なのだと、これまで私はずっとそう考えていました」


 それは違うと訂正しようと思うも、無駄な足掻きであるのは理解している。エルサは未だかつて一度もヒナを悪く言わないのだ。ヒナの考える悪事を肯定するのはエルサも民衆と同じである。


 とはいえ、流石に落胆してしまう。ヒナはエルサに聞こえないような小さな声で愚痴を漏らしている。


 聖女じゃ追放されないじゃないの――――と。

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