第011話 綺麗な泉の畔にて

 リトルドラゴンを討伐したクリエス。ステータスが大幅にアップしたおかげか、体力が回復している。立ち上がるのさえ困難であったというのに、今では戦闘前よりも元気になったと感じるほどだ。


 再びクリエスは港町エルスを目指す。しかしながら、既に日が落ちてしまったことから、彼は途中にあった泉の畔で野宿することに。


「透視が魔眼に昇格してよかった。マジで死ぬところだったな……」


 アイテムボックスからパンを取り出して食べながら考える。先ほどの戦闘は一つ間違えると確実に輪廻へ還っていただろうと。


 何口かパンを囓ったあと、ふとクリエスは気付く。どうしてか泉の上に女性が浮かんでいることを。


「精霊……?」

 金色に輝く長い髪をした美しい女性。とはいえ身体は半透明である。澄んだ泉に現れたのだから、きっと神秘的な存在であろう。クリエスは彼女が精霊なのだと思う。


 しかしながら、女性は首を振った。直感的に思った精霊ではないらしい。

 小首を傾げるクリエスの疑問を察したのか、女性が答え始める。


『地縛霊です――――』


 思わずパンを吹き出してしまう。濁りのない泉に現れた美しい女性が地縛霊だなんて信じられない。


「マジ? 何なら祓ってやろうか? 俺はこれでも聖職者だし」


 クリエスの言葉に彼女はまたも首を振る。この地に縛られているというのに、彼女は輪廻へと還ることを拒否していた。


『もう問題はなくなりました。千年もこの泉に縛られていたのですけれど……』

「へぇ、それは良かったな?」


 まるで他人事のようにクリエス。地縛霊が浮遊霊になっただけ。害もなさそうだし、彼女を放置することにした。


『ええ、本当に良かったです……』

 笑顔の彼女は嬉々として、その理由を語る。


『貴方に取り憑けて良かった!』

「ちょっと待てぇぇっっ!」


 即座に彼女の方を振り向く。今し方、聞いた話が事実であれば、泉に縛られていた霊はクリエスを宿り木にしたはずだ。これでもクリエスはクレリックである。聖職者であるというのに、霊体に憑依されるなどあってはならない。


「俺に取り憑けるとか、どんな霊体だよ!? 普通の霊なら消失するはずだぞ!?」

『そう言われましても。現に憑依しております。生前の力が貴方様に勝ったのかもしれません』


 生前に英雄的な存在であった可能性。とはいえ、前世を含めて四十年も生きていないクリエスに分かるはずもない。何しろ彼女は地縛霊として千年もこの地にいたと語っているのだ。


「何やってたんだよ? どうして地縛霊をしてた?」

 クリエスは彼女の話を聞くことに。無理矢理に祓うより、心残りを解消させ自発的に現世から旅立てるようにと。


『私はミア・グランティス。この泉で溺れて死にました……』

 クリエスは眉根を寄せる。なぜなら、この泉は溺れるような深さがない。ここで溺れるとすれば、余程の馬鹿か赤子くらいだろう。


「子供でも溺れないと思うが?」

『そうなのですが、溺れる理由があったのです』

 頷きながらミアは溺れたわけを口にする。遠い目をしながら、ゆっくりとした口調で。


『地縛霊に憑依され、溺死させられたのですよ……』

 クリエスは目が点になってしまう。たった今、ミアが地縛霊だと聞いたばかり。その難解な話は詳細を聞く必要がありそうだ。


「ミアよりも前に地縛霊がここにいたのか?」

 ミアが頷くと、彼女の背後から新たな影が浮かび上がる。


『フハハ、妾こそがその地縛霊よ!』


 現れたのは銀髪をした魔族らしき女性の霊。南大陸には魔族も割と住んでいたけれど、前世を通してクリエスは初めて魔族を目にする。


「いや、憑依した依り代が死ねば、取り憑いた霊も同時に滅びるはずだろ?」

 地縛霊ならともかく、何かに取り憑いた霊は基本的に憑依した者と運命を共にする。依り代が失われると、霊もまた天へと還ることになった。


『こやつが霊となり、輪廻へと還らなかったからな。結果として妾は消失せなんだ!』

 どうやら憑依した先のミアが地縛霊となったことで、彼女は消失を逃れたらしい。


「なら、お前もまた俺に取り憑いたと?」

『その通りじゃ! 妾はサキュバス族の女王をしておった! 名をイーサ・メイテルという!』


 聞いてもいないというのに、クリエスは無駄な情報を得てしまう。イーサ曰く、彼女はサキュバス族の女王をしていたらしい。


「それで、その女王がどうして泉で地縛霊をやってたんだ?」

 薄い目を向けながら聞く。魔物とは異なり、魔族は死ねば輪廻へと還るのだが、基本的に信仰心を持っていない。従って種族によっては人族たちの敵となる場合もあった。


 かといって彼女は既に霊体なのだ。クレリックであるクリエスは差別することなく成仏させてやろうと考えている。


『実はのぉ、目をつけていた男がこの泉で休んでいたのじゃ。じゃから妾は襲いかかり、男の精に貪りついた。しかし、その男は妾の身体が貧相だといって、まるで反応しよらんかったのじゃ。ナイスバディを自負しておった妾はショック死してしもうた……』


 ぐぬぬと怒りを込めた声がイーサから漏れた。彼女の心残りはサキュバスらしく、やはり男なのだろう。

 しかも、どこかで聞いたような話だ。どうにも他人事だとは思えない。


「いや、イーサはかなり巨乳だと思うぞ。俺の判断基準からだと……」

『そうじゃろ!? 妾はギガメロン級なのじゃ! なのにあの男ときたら、まるで興奮しないと言い切ったのじゃよ!』


 取り憑かれたからだろうか、彼女の怒りはクリエスにも伝わっている。

 やはり女性はスタイルを気にするらしい。生前の自分が刺し殺された理由をクリエスは間接的に知らされていた。補足としてアストラル世界のバストサイズは概ね野菜か果実で表現されている。


「だから、イーサはその男を恨み続けているのか?」

『ああいや、それは違う。妾の心残りは……』

 小さな声で告げられていく。イーサがこの世に残り続けている原因について。


『爆乳、許すまじ!!』

「八つ当たりじゃねぇかよ!?」


 どうやら男への愛は本物であったようだ。本来なら恨むべき男ではなく、イーサは彼が愛した爆乳への恨みを募らせているらしい。


 長い息を吐いたあと、クリエスは結論を口にする。

「てことは、ミアが爆乳だったからイーサはそれを許せなかったのだな?」

 ようやく話が見えてきた。心残りにより地縛霊となったイーサは泉に来たミアの爆乳が許せなかったのだと。


『いえ、私は爆乳ではありませんよ? ほら、超ドデカカボチャ級ギリギリのサイズですし……』


 胸元をはだけさせるミア。思わずクリエスは食い入るように見てしまう。ミアが話す超ドデカカボチャ級はアストラル世界において最大級のサイズである。


 これほどまでに立派な連山をクリエスは前世を含めて初めて目撃していた。薄く透けて見えていたけれど、それは間違いなく息を呑む光景であって、クリエスは目が離せなくなっている。


『キィィ! やはり許せぬ! この駄肉は霊になってまで妾を愚弄するつもりか!』

『知ったこっちゃありません! 貴方の貧相なギガメロン級は目障りです!』


 地縛霊二人はクリエスを放置して喧嘩を始めてしまう。千年もこの二人はこういった関係を続けてきたのかもしれない。


「あー、静かにしろ!」

 とりあえずクリエスは先にミアの心残りを解消しようと思う。流石に全世界の爆乳を全滅させるだなんて願いは許可できないのだと。


「ミアはどうして成仏できなかった? お前は別に悩みなどなかったんじゃないか?」

 クリエスの言葉にミアは悲しげな表情をする。どうやら彼女にも現世にしがみつくほどの心残りがあったらしい。


『ハイエルフである私は何百年と生きました。しかし、一度もないのです!』

 ミアは訴える。自身の望みを赤裸々に語っていた。


『殿方との交際も知らずに天になど還られません!』


 クリエスは頭を抱えた。彼女もまた死んでいるのだ。そんな望みは今さら叶うはずがない。


「ああ、分かった。お前たちの望みはもう叶わん。よってお前たちはこの場で除霊する。悪く思うなよ?」


『ま、待つのじゃ! 妾のナイスバディを好きにして良いぞ!?』

『待ってください! 私と交際していただければ、成仏できるかもしれません!』

 ここにきて地縛霊二人の意見が一致。除霊は待ってくれとクリエスに頼み込む。


「悪霊の都合など知らん! 成仏せよ!」

 クリエスは問答無用で浄化魔法を実行する。


 刹那にクリエスの手の平から目映い光が現れ、地縛霊二人を包み込んでいく。ロッドを携帯していない現状では充分な効果が見込めないけれど、大幅にステータスが向上した今であれば問題なく祓えるはずだ。


『ぐあああ! 妾はまだ爆乳を根絶しておらぬぅぅ!』

『い、いやぁぁっ! あんなことやこんなこと、まだ経験してないんですぅぅ!』


 悪霊にありがちな最後である。利己的な理由しか存在しない彼女たちに生きる価値などない。


 程なく浄化魔法が解けた。既に輝きは失せ、浄化の術式により除霊できたはずである。


『んお? 妾はまだ消失しておらんぞ!?』

『わ、私もです! きっと神様があんなことやこんなことを経験するようにと……』


 どうしてか二体共が除霊されずにいる。おかしいなと首を傾げながら、クリエスはステータスをチェックしてみた。



【名前】クリエス

【種別】人族

【年齢】16

【ジョブ】クレリック

【属性】光・闇

【レベル】15

【体力】52

【魔力】38

【戦闘】41

【知恵】29

【俊敏】16

【信仰】40

【魅力】22(女性+160)

【幸運】3



 なぜかステータスが四分の一になっている。レベルは変わっていないというのに、クリエスは弱体化していた。加えて、どうしてか属性に闇が追加されている。


「どうしてこうなったんだ?」

 不思議に思ったクリエスだが、ようやく真相へと行き着く。



【付与】

・貧乳の怨念[★★★☆☆]

・女難[★★★☆☆]



 魂に付与されていた【貧乳の呪い】が強化され【貧乳の怨念】となっている。加えて呪いの類は両方がランクを上げていた。


 弱体化した今も男性の平均値より強くあったけれど、クリエスは魔王や邪竜を討伐しなければならないのだ。このステータスダウンは今後に不安を覚えさせている。


「これって地縛霊がパーティーメンバー扱いとなっているのか?」

 そうとしか考えられない。貧乳の呪いが強化された原因は恐らくイーサの爆乳根絶願望だろう。また地縛霊の二人は双方が巨乳とカウントされ、★1から★3になったのだと思われる。


「祓えなかった原因は恐らくステータスの低下。浄化魔法の熟練度もあるだろうけど、このステータスじゃ……」

 ずっと治療院で働いていたクリエスだが、呪われたり取り憑かれたりする患者は少なく、浄化魔法の熟練度上げが満足にできなかった。まさか自分自身に必要となるなんて考えもしないことだ。


「しかし、こいつら考えていたより強力な悪霊だな。ステータスが低下したとして、俺が祓えないなんて……」

 ジッと二人を睨み付ける。そもそも霊自体に問題があるのではないかと。並々ならぬ現世への執着心だけでなく、彼女たちは名を馳せていた人物であり、クリエスには祓えない魂の格を持っていた可能性がある。


「お前たち、生前について教えろ。俺はこれでも将来を有望視されていたクレリックなんだ。ステータスが下がったとして祓えないなんておかしすぎる」

 まずは目が合ったミアからである。彼女は頷いたあと、遠い昔の記憶を語り始めた。


『私はライオネッティ皇国の娘。ハイエルフの国の第一王女をしておりました。しかしながら、騎士でもあり、常に戦線を転々としておりましたね』


 聞けばミアもまた皇族であったらしい。イーサは女王だというし、二人は共にそれなりの地位とステータスを持っていたに違いない。


「しかもハイエルフときたか……」

 ハイエルフ族はエルフやダークエルフを従え、南大陸に堂々と国を構えている。明確にエルフの上位種であり、魔法の適性はずっと高かった。


「それでミアのジョブは何だ? 戦線を転々としていたらしいが……」

 踏み込んだ話をしていく。既にミアを祓えなかった原因は明らかであったものの、疑問は解消しておくべきなのだと。


『お恥ずかしながら、ネクロマンサーです……』

 唖然とするクリエス。ネクロマンサーは高位ジョブである。人族社会においてはシャーマンと並んで忌み嫌われるジョブなのだが、死霊や死体を意のままに操るという闇属性でも強力なスキルを持つジョブであった。


 しかし、おかしなことである。彼女が返答通りにネクロマンサーであったのなら、一つの疑問が浮上してしまう。


「お前はネクロマンサーなのに霊体に取り憑かれ、殺されたっていうのか?」


『口惜しや……。不意打ちでさえなければ、このような貧の者に……』

『バーカ! バーカ! 胸に栄養を取られすぎなんじゃ!』

『何ですって!?』


 またも喧嘩が始まりそうになるけれど、クリエスは二人の間に入り、邪魔くさい事態を回避。更にはイーサを睨んでは考え込んでいる。


『なんじゃ……?』

 愛らしい顔をして、ネクロマンサーに取り憑いてしまうサキュバスの霊。明らかに異常な話である。


「ハイエルフのネクロマンサーに取り憑けるってことは……」

 導かれる結論は一つしかない。一人旅をしていたハイエルフよりも確実にイーサが上位者であること。死因はショック死という馬鹿らしいものであったが、実のところ、この三人で一番の強者なのだと分かる。


「おいイーサ、お前の生前はただのサキュバスじゃねぇだろ?」

 薄い目をして聞く。もう間違いないとさえ考えている。正直に最悪の状況までクリエスは覚悟していた。


『妾か? ジョブは魔王候補であったの――――』


 やはりそうかとクリエス。恐らくは天界で聞いた千年前の危機。魔王が誕生寸前であったとディーテが話していたのだ。


「これは名も知らぬ男に感謝だな……」

 やはり巨乳好きに悪はいないのだとクリエスは思う。まさか魔王候補を精神攻撃で討伐してしまうなんて、選ばれし勇者でもできないことだろう。


「てことは、ハイエルフの王女殿下と元魔王候補に俺は取り憑かれたってわけか……」

 落胆を通り越して笑うしかない。この先に除霊しようにもステータスが不足しすぎているのだ。魂の格が上回らない限り、クリエスに彼女たちを祓う手段はないだろう。


「お前たち、泉に戻れよ?」


『嫌じゃ! お主からはとても良い匂いがする。極上の精力を持っておるはずじゃ! 妾はお主についていく。仮にお主が死んでも一緒におるからな! お主は今より妾の婿となるのじゃ!』


『私も貴方様と共に。私の姿が見える殿方は非常に稀有な存在です。一目見てこの人だと思いました。どうか私の旦那様となってくださいまし!』


 なぜか地縛霊の二人に言い寄られてしまう。祓えないのなら、離れてもらおうと考えただけであるが、妙に懐かれてしまったようだ。


「ちくしょう。女難ってのは霊体にも有効なのかよ……」

 二つランクアップしたことにより、女性に対する魅力値の補正は+160と四倍である。恐らくは近くにいる女性の数だけ倍々になるのだと予想できた。また以前よりもトラブルに見舞われやすくなっているのは明らかであろう。


『妾のことはハニーと呼ぶのじゃ、婿殿!』

『旦那様、私は地獄の果てまでお供いたします!』


 即座に切り捨てたいと思うも、クリエスには祓えないし、断り切れない理由もあった。

 なぜならイーサはギガメロン級であり、ミアは超ドデカカボチャ級なのだ。周囲に巨乳女子がいた経験のないクリエス。たわわなそれらの絶景は失いたくないものであった。


「お前たちは何ができる? 俺に憑依したってことは依り代である俺が失われると、お前たちも同時に失われるんだぞ? 何か俺を守る特別な力を持っているんだろうな?」


 クリエスが問う。大きすぎるデメリットを補うことが可能かどうか。弱体化した分を彼女たちに任せられるのかどうかと。


『私はお話ししましたようにネクロマンサーですので、この貧乳以外なら大抵の悪霊は使役できますけれど……』

 まずはミアからだ。彼女は魔王以外なら何でも使役できると言いたげである。


『妾は何もできんな……』

「えっ?」

 意外な話にクリエスは眉根を寄せる。魔王候補だなんて災禍にも等しい。淫夢を見せるだけのサキュバスがなれるジョブではないというのに。


『世界征服くらいしか……』

「充分な脅威だからな!!」


 やはり名も知らぬ男に感謝である。魔王化する前に食い止めた勇敢な男について、世界はもっと知るべきだと思う。


「じゃあ、俺の旅に同行しろ。俺は世界を救う役割を担っている……」

『ほう、婿殿は救世主じゃったか! 流石は妾のダーリンじゃ!』

『素敵です! ぽっ……』


 好意を寄せられるのは嬉しく感じるけれど、二人は既に死人である。迷える魂に好かれたとして、虚しいだけであった。


 長い息を吐きつつも、クリエスは気持ちを切り替える。祓えないのだから仕方がないことであると。


 クリエスは再び立ち上がっていた。夜中ではあったが、既に目は冴えている。

 目指すはレクリゾン共和国内にある港町エルス。クリエスはそこで冒険者となり、旅の軍資金を稼ぐつもりだ。


 悪霊ともいえる二人を引き連れてクリエスは歩き始めている。

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