第009話 ヒナ・テオドール公爵令嬢

 レクリゾン共和国から遠く離れた北大陸の西端。グランタル聖王国の聖都ネオシュバルツで桐乃宮陽菜は生活していた。


 ディーテに願ったまま彼女は公爵家のご令嬢となっている。現在の名はヒナ・テオドールという。


 テオドール公爵領はネオシュバルツよりも、ずっと西側に位置していたけれど、公爵が王城勤めであったことと、ヒナ自身が聖都にある貴族学院に通っていることもあって、ヒナはネオシュバルツの別邸にて暮らしている。


 ヒナは鍛錬する傍ら、ずっと悪役令嬢になろうと努力し続けていた。しかしながら、元々の性格からして上手く悪役令嬢を演じきれていない。彼女の評判は悪役令嬢なんてものではなく、まるで正反対の聖女。願望とは裏腹に不本意な呼ばれ方をしていた。もしも仮に上手くできていることがあるとするならば、それは毎日練習している高笑いだけである。


 授業が終わり、迎えが到着するのを一人で待っていると……、

「ヒナ様!」

 ボウッとしていたヒナは急に声をかけられている。だが、それはメイドではなくクラスメイトであった。


「オリビアさん……」

 オリビアは侯爵家のご令嬢だ。ヒナを慕う者の一人である。


「ヒナ様も王家主催のパーティーにご出席されるのでしょうか?」

 オリビアが話すように本日はルーカス第一王子殿下の誕生日とのことで、盛大なパーティーが催される予定となっている。


「一応は招待状をいただきましたので、流石に無視するわけには……」

「そろそろ王子殿下がお相手をお決めになられると聞きましたよ!? ヒナ様が選ばれるのではないかと思うのですが!?」


 ルーカス王子殿下には婚約者がいない。北大陸屈指の大国であるグランタル聖王国は外交的な婚姻を必要としておらず、妃の問題はルーカス自身に委ねているという。


「いえ、わたくしは殿下に追放していただきたく存じます……」

「追放? 何ですそれ?」


 オリビアにはピンとこないみたいだが、ヒナにとってルーカスは追放してもらわねばならない存在である。悪役令嬢として追放イベントは欠かせぬものなのだと。


 程なくメイドのエルサがヒナを迎えに来た。これよりヒナは急いで屋敷に戻り、直ぐさま着替えてパーティー会場へと向かわねばならない。

 少しばかりの野望をヒナは抱いている。見事に悪役令嬢を演じきり、王子殿下に追放を言い渡されはしないかと。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 日が暮れた頃、聖王城内にある巨大なパーティールームでは王家主催のパーティーが盛大に催されていた。


「どうかルーカスを支えてやって欲しい。グランタル聖王国を背負って立つルーカスに皆の力を貸してやってくれ」


 グランタル王による挨拶のあと、華やかな楽団の演奏が始まっていた。一方で主役であるルーカスは国の重鎮たちに挨拶回りをしている。


 王曰く今夜は無礼講とのことで、各々に踊ったり食事をしたりしながらのカジュアルなパーティーであるという。


「お嬢様、やはり純白のドレスが良かったのではないでしょうか?」

 会場の隅にポツンとヒナはいた。彼女に話しかけたのは剣術の指南役であり、専属メイドでもあるエルサ。彼女は華やかなパーティーに不似合いなドレスを選んだことを疑問に感じているらしい。


「エルサ、悪役令嬢といえばブルーのドレス。冷酷な令嬢を表現するのに純白は相応しくないのですよ」


「お嬢様、ずっと悪役令嬢とか仰ってますけれど、私にはさっぱり分かりません……」


 幼少の頃からヒナの専属であったエルサでも、悪役令嬢の意味合いを理解しきれていない。なぜならヒナが話す内容と行動が少しも一致していないからである。


 一瞬のあと、ガラスが割れたような音が会場に響いた。それはヒナの直ぐ近く。貴族のご子息がドリンクのグラスを落としてしまったらしい。床にはガラスとグレープジュースが飛び散ってしまった。


「いけません!」

 即座にヒナは駆け出し、少年の前へとしゃがみ込む。


「お怪我はございませんでしたか?」

 ヒナのドレスにジュースが染み込む。けれど、彼女は気にすることなくハンカチを取り出し、少年の身体や服を拭いてあげる。


「ああ、ヒナ様! 申し訳ございません! 少し目を離した隙に……」

 少年の母親が慌てて戻り、深々と頭を下げた。世話をしているのが公爵家のご令嬢なので顔面蒼白である。


「いえ、何も問題ありませんわ」

「いやしかし、ヒナ様のドレスが……」

 ヒナが立ち上がると、前面に大きなシミができていた。公爵家の令嬢としてダンスに参加する以前の問題である。


「どうかお気になさらず。彼も反省しているようですので、叱責されることのないようにお願いいたしますわ。子供は自由にのびのびと育つべきなのですから……」


 小さく礼をしてその場を離れるヒナに万雷の拍手が送られていた。彼女としては思うがままに行動しただけ。特別なことは何もしていないというのに。


 戻ってきたヒナにエルサは薄い視線を向けている。やはり悪役令嬢とは何かを彼女は掴めない感じだ。


「お嬢様、純白のドレスを選ばずに良かったと心底思います」

「そうでしょ? わたくしは悪役令嬢。冷酷無慈悲な存在なのです。この深い青に相応しいと思いませんか?」


 ヒナの問いには首を振るエルサ。今し方見た光景は噂される通りに聖女だと思う。少年に駆け寄るご令嬢はヒナ以外に一人もいなかったのだから。


「お嬢様、差し出がましいことを申し上げますと、悪であればあの少年を叱りつけ、母親を土下座させるくらいはしないと……」


 エルサは意見している。どうにも言動が一致しないヒナに助言ともいえる話を。


「はい? どうして叱りつける必要があるのかしら?」


 頭を抱えるエルサ。やはり悪党の素質がないと思う。限りなく彼女は善良であって、そんなヒナが悪に染まれるはずもない。


「ヒナ、少しいいかい?」

 ヒナとエルサが話し込んでいると、不意に二人は背後から声をかけられている。


 公爵家ご令嬢のヒナを敬称を入れずに呼ぶ者。多くの貴族が集まったパーティーにおいても限られていた。


「ルーカス殿下……」

 振り返ると予想通りの人物がそこにいる。ヒナを呼んだのはグランタル聖王国第一王子のルーカス・グランタルその人であった。


 どうしてかエルサはヒナの肩をポンと叩いてから、そそくさとどこかへ行ってしまう。王子とは面識があったけれど、会話が弾むような間柄でもなかったというのに。


 しかし、ヒナはエルサの気遣いに気付く。彼女は気を利かせて二人きりにしてくれたのだと。


(きっとエルサは追放イベントのフラグを立てられるように席を外してくれたんだわ)


 見当外れの回答を導き、ヒナは気合いを入れる。

 悪評から追放までが悪役令嬢の様式美なのだと。王子殿下と会える機会は限られているのだし、しっかりと悪役令嬢を認識させなければならない。


「ヒナ、テラスで話をしよう」

 言ってルーカス王子はヒナの手を引き、パーティー会場のテラスへと連れて行く。


 とても綺麗な星空が拡がっていた。かといってヒナは星空に視線を向けることなく、何から話すべきかを思案している。


(まずは悪口を言って心象を損なう感じで……)


 王子殿下の心象は悪ければ悪い方が良い。ヒナを追放できるのは公爵家より上の存在だけなのだ。だからこそ、良い印象を与えるべきではない。


「殿下、わたくしは好きではありませんの……」

 悪口が思いつかなかったヒナは直接的な言葉を投げる。他人に嫌われるならば、まずは自分の意志を示しておくべきだと。


「そういえば、ヒナはパーティーが苦手だと聞いている。すまない……」

「ああいえ、滅相もございません! お顔をお上げくださいまし!」


 予想外の返答と態度に、ヒナは思わず悪役令嬢ロールを中断。そこは一気呵成に攻め立てる場面であったというのに。


(いけませんわ。これでは殿下の思うつぼ。であれば……)


 悪口は難しいと理解したヒナは逆に自分を悪く思わせる作戦に出る。自身の心象を悪くするのに、罵詈雑言を並べる必要はないのだと。


「殿下、わたくしは朝と夕方しかお祈りしてませんのよ? お昼まで大聖堂に赴くのが面倒だからです」


 以前は一日三回の祈りを欠かしていなかった。しかし、なかなか悪役令嬢として認知されないために、昼の祈りは捧げないことにしたのだ。


 グランタル聖王国はディーテ教の総本山があり、とても信仰心の厚い国である。祈りを疎かにする人間だと、きっと王子はヒナを蔑むはずだ。


「ヒナは凄いな。僕は毎日なんてとても無理だ。しかも一日に二度も大聖堂まで赴くなんて、流石は聖女と評されるだけはあるね」

 ところが、風向きは好転しない。それどころか聖女という期待する姿と正反対のワードまで飛び出す事態となる。


「わたくしは日夜問わず剣を振り回しておりますの! 食後の身体強化トレーニングも欠かしたことがございません。貞淑な令嬢であるべきですのに、わたくしは殿方に混じって剣術稽古をしたりしております!」


 ヒナは負けずに自分を卑下していく。剣術の話であれば流石の王子も悪く思うだろうと。公爵家の令嬢が男勝りにトレーニングしているなんて幻滅するに違いないのだ。


「それは一度、手合わせを願いたいところだ。僕も剣術を習っているんだよ。ヒナの実力は公爵から聞いている。かなりの腕前らしいね?」

 何を言っても美化されてしまう。正直にヒナは困り果てていた。どうにかして心象を悪くして、追放してもらいたかったというのに。


 唇を噛むヒナ。悔しくて、もどかしくて、やるせない。転生するという幸運を手にした彼女だが、現状は望んだ姿に近付きすらしていないのだ。


「わたくしは……悪役令嬢ですの……」

 泣きそうな顔をして、ヒナはポツリと呟く。どうしても認めて欲しいこと。それは聖女などではなく、悪役令嬢である自分自身。前世から強く望んだ姿である。


 対するルーカスは今にも泣き出しそうなヒナに困惑していたけれど、精一杯の笑顔を彼女に向けていた。ヒナの瞳から涙が零れ落ちないようにと。


「ヒナ、君が悪役令嬢だというのなら、きっとそうなのだろう。僕はそれを良く理解していないけれど、僕にも一つだけ分かることがあるんだ……」


 優しい言葉を並べるルーカス。ヒナはジッと彼の目を見つめている。


「ヒナは美しく成長したね――――」


 まるで想定していない話となる。そういえばオリビアが話していた。本日のパーティーはルーカス王子のお相手を探す場でもあるのだと。


 瞬時に顔を真っ赤にしたヒナ。だがしかし、彼女は悪役令嬢である。王子の役目は自分を追放することであり、間違っても口説かれるわけにはならないのだ。


(ここは悪口を言って逃げるしかありません……)


 ヒナは悪口を無理矢理に絞り出し、急いでこの場を立ち去る。


「バ、バカ……。別に殿下のためではないのですからね?」


 思わず噛んでしまったことに苦笑いを浮かべ、ヒナは走り去った。振り返りもせず、カツンカツンとヒールを鳴らしながら……。


 一方でルーカスは頬を染めて呆然と見送っている。最後に見た笑顔は穢れた心に注ぎ込む清流であるかのよう。噂に違わぬ聖女っぷりをルーカスは目撃していた。

 追いかけることも呼び止めることもできなかったのは、走り去る彼女が眩しすぎて完全に見惚れていたからだ。


 テラスから逃げ出したヒナは今日一番の笑顔を見せていた。とはいえ王子殿下に美しいと言われたからではない。


「やりましたわ! 馬鹿だと殿下を罵ってしまいました! きっとお怒りになっているはず。これは間違いなく追放ですわ!」


 またもや空回りしていることにヒナは気付かなかった。意図せずツンデレムーブをし、殿下を籠絡してしまったなんて露ほども考えていない。


 毎日練習している悪役令嬢的な高笑いをヒナはここで披露するのだった。


「オーッホッホ!!――――」

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