第二章 各々が歩む道
第008話 新しい人生
クリエスは聞いていたように、南大陸にあるレクリゾン共和国という小国に転生していた。
次の誕生日を迎えると十七歳になる。いきなり教会の前に捨てられるという波乱のスタートであったけれど、クレリックの初期スキルであるライトヒールと浄化があったために、モグリの治療士をしながら何とか今まで生き抜いていた。
かといって教会には所属していない。いずれ旅立つことになるのだ。孤児院で過ごしたあとは小さな治療院の臨時治癒士として働き、神聖魔法を限界まで使用していた。仕事以外の日には剣術にも取り組み、シルアンナに指示された身体強化を続けている。
「クリエス様、わたしと別れるってどういうことでしょうか!?」
勤めていた治療院に現れた美しい女性。扉を開くやクリエスに詰め寄っている。またその内容は前世の最後と何も変わらない状況であった。
「エイミー、君は美しい。だけど、駄目なんだ……」
クリエスは新しい人生でも同じ轍を踏んでいた。ヒナとの約束があったというのに、付き合っては別れるを繰り返している。当然のこと、別れの原因は付き合った女性が全員貧乳であったからだ。
「どうしてです!? 先日も愛してくださったではありませんか!?」
やはりジョブがクレリックということで、将来が安泰なクリエスには近寄る女性が後を絶たない。治療の腕前も好評を博しており、若き天才だと持て囃されていたのだ。
しかし、いつも同じ展開となってしまう。さりとてクリエスもある程度は学んでいた。
「君が美しすぎた。それだけさ……」
本心は語らない。女性を逆上させるとどうなるのか。前世にてクリエスは学習している。
「そんな……。クリエス様に相応しい女になろうと努力したのですよ?」
「君に素晴らしいパートナーが現れることを願っている。君を美しく成長させたことは俺の誇りだ。恐らくエイミーは大商会の御曹司や貴族様の目に留まるだろう。俺の役割はこの世の女性を一人でも多く美しい女性に変貌させること。悪く思わないでくれ。シルアンナ神に誓って他意はないし、シルアンナ神も君の幸せを願われているから……」
とりあえず褒め倒しておけばいい。また罪の大半を主神に被ってもらうというズル賢い別れ方を編み出していた。
首都ダグリアは予想よりも遥かにシルアンナを信仰している。住人たちはシルアンナに心酔して彼女を美の女神だと崇めていたのだ。つまるところ、男性たちの女性に対する好みもそうだし、女性たちも男性たちに好まれる『貧乳スタイル』を目指している。クリエスは隠れ巨乳を見つけ出そうと躍起になっていたけれど、透視を封じられた彼には難題であった。
「もう終わり……なのですね?」
「ああ、すまん。一つ助言しておくと、週末に貴族様主催のパーティーがあるらしい。一般人も参加できるんだ。エイミーはそこで運命の人に出会えるだろう。シルアンナ神もそこへ行くようにと仰っている」
前世の最後とは異なり、静かに去って行くエイミー。そんな彼女に手を振りつつ、クリエスは大きな溜め息を吐いていた。
そんな折、開いたままの扉がコンコンと音を立てる。
「クリエス君、少しいい?」
現れたのは治療院の院長であるサマンサであった。
「今のはいただけないわね? 可愛い子だったじゃない?」
どうやらサマンサは二人の遣り取りを見ていたらしい。また彼女はクリエスの対応を好ましく感じていない様子だ。
「いや、ダメなんですよ。俺は世間の風潮とは異なり、胸の大きな女性が好きなんです。エミリーの板胸では納得できなかった。あんなチッパイでは駄目なんですよ!」
とんでもなく失礼な理由にサマンサは軽蔑の眼差しを向ける。しかし、同時に彼女は笑みを浮かべてもいた。
「クリエス君は男性の患者しか診察しないから、ずっとソッチ系かと思ってたのよね。理由は最低だけど、女性に興味があって何よりだわ」
どうやらクリエスは男性にしか興味がないのだと勘違いされていたようだ。サマンサは乾いた声で笑いながら言った。
「俺は男性の方が上手く治療できるのです。悪いところを見つけやすいというか……」
実をいうとクリエスは加護としてもらった透視を診察に使っていた。熟練度が上がるたびに透けて見えるだけでなく、魔力や血液の流れ、澱んでいるところが見えたのだ。しかし、女性相手に透視は使えない。シルアンナに制約を課せられていたため、使用すると気を失うくらいに頭が痛むのだ。
「ま、クリエス君の診察のおかげで、ウチは評判良いのよ? 安いだけでなく、ちゃんとした治療だってね。良かったら正規の治癒士として働いてくれないかしら?」
クリエスには鍛錬があったため、治療院に入るのは週に三日だけである。そんなクリエスにサマンサは常駐治癒士として働いてくれないかと問う。
とても良い話ではあったものの、クリエスは首を振った。彼はもう決めたのだ。エミリーの一件で踏ん切りがついていた。レクリゾン共和国に残ったとして、前世からの望みは叶わないのだと。
「すみません。俺は旅に出ようと思うのです。今まで良くしてくれた院長には感謝しているのですけど……」
「ええ!? さっきの女の子と気まずくなるから? 自分でフッといて?」
「違いますよ。前々から決めていたんです。俺って戦闘訓練もしていたでしょ? 旅に出るのが目的だったから……」
理由を聞いてサマンサは納得の表情だ。確かにお金を稼ごうとしていなかったと思う。それこそ毎日治療を引き受けたのなら、ずっと良い暮らしができたはず。治癒士が体を鍛えたり、剣術を習ったりするのは無駄でしかなかったのだから。
「そゆことね。ならしょうがない。またダグリアに戻ったら顔を出してね? いつでも働かせてあげるわ」
意外にもサマンサは引き止めない。クリエスとしては説得され続けるだろうと考えていたのに、あっさりとしたものだ。
「院長はすんなり受け入れてくれるんですね?」
「伊達に年を重ねてないわ。若い子は夢を追うべき。それに君は誰よりも才能を秘めている。十六歳でヒールを完全に操るなんて馬鹿げた才能よ。一つの街に縛られているようじゃ駄目。旅に出るのは、とても良いことだと思うわ。だから引き止めないし、応援してあげるの」
言ってサマンサは金庫から銀貨を持ち出し、それをクリエスに手渡す。
「旅費にしなさい。大した額じゃないけど、北の港町エルスへの旅費くらいにはなるでしょ」
思わぬ話にクリエスは戸惑う。だが、直ぐさま笑顔を作って、
「院長、俺は世界を見てきます! 大いなる世界に踏み出すつもりです! 本当にありがとうございました!」
クリエスはサマンサに礼を言う。実をいうと女神から世界を救えと頼まれているのだが、そんな気が触れたような話はできない。だからこそ、若者らしく未来に希望を抱く理由を口にしている。
「行ってらっしゃい。本当に世界は広いのよ。自分の目で見て感じ、全てを吸収しなさい。君なら想像以上のことができるはずだから」
サマンサも笑顔で送り出す。こういった場面に慣れているのか、彼女はクリエスの背中を押し続ける。
一方でクリエスもまた笑みを返していた。一人で旅に出ること。前世を含めても初めての経験である。だからこそ期待に胸が膨らむ。
クリエスは大きな声で前向きな別れの挨拶を済ませるのだった。
「行ってきます!」
クリエスは急いで借家へと戻り、訓練用の剣と鎧を装備。ろくな生活用品を持っていないクリエスは買い置きの食材をアイテムボックスへと放り込むだけで準備完了である。一階に住む大家と契約の話をしてから、彼は弾むように駆けていく。
透視を封じられたクリエスは巨乳に成長しただろうヒナと合流するつもりだ。
主神のせいで貧乳が溢れる街を去り、再会を約束したヒナと会う。全ては前世からの願望を叶えるためである。
「一応は報告しておくか……」
旅立つ前にクリエスは大聖堂で祈りを済ませる。現在の主神であるシルアンナに報告すべきだろうと。
クリエスが祈りを捧げると、即座に脳裏へとシルアンナの姿が浮かび上がっていく。
「シルアンナ、俺は旅立つことにした。共和国には巨乳などいない!」
顕現するや否にクリエス。薄い目をするシルアンナに構わず意志をぶつけている。
『あんたねぇ、少しは自重しなさいよ? 旅に出るってどうするつもり?』
「とりあえず北を目指す。俺にはもうヒナしかいないんだ。あいつも頑張っているんだろ?」
転生したヒナが巨乳である可能性は高い。自身も以前と同じように成長していたのだ。異世界転生と同界の違いはあるだろうが、魂情報は過度に書き換えられていないはずだと考えている。
『いや、あの子も頑張っているだろうけど、クリエスよりもランクが低い魂なのよ? 私の予想では恐らく制約をクリアできない……』
「マジで!? 俺はヒナに会いたいんだ! どうしたらいいんだよ!?」
ディーテの部下であるシルアンナは逐一報告をしていたけれど、シルアンナ自身はヒナの現状を知らない。天界でのステータス評価を見る限りは制約を果たせるとは思えなかった。
『ヒナに会いたいのなら早く旅立つ方が良いわね。あの子は十八歳の誕生日を迎えられないから。まあでも、旅立つのは悪くない。もう基礎ステータスは上がりにくくなっているし、レベルアップしていく頃合いかもしれないわ』
ここで聞き慣れない話が飛び出す。確かにクリエスのステータスにはレベルという項目があったけれど、幾ら鍛え上げようと1のままである。
「レベルって何だ? ステータスにあるけど上がったことがない」
『レベルとは魂の強度よ。普通に生きていたのでは一つも上がらないの。レベルを上げるには他者の魂強度を吸収するしかない』
割と不穏な回答が返ってくる。他者の魂強度を奪うだなんて聖職者であったクリエスには考えられないことだ。女性関係以外は真面目で真っ直ぐな性格をしている彼には受け入れ難い話である。
「それは殺人鬼になれってことかよ?」
『いいえ、違う。失われた魂は魔物も人も還るのよ。人は輪廻に還り、魔物の魂は世界を流転する。失われるとき、全ての魂は溜め込んだ力を飛散させて存在を軽くするの。素早く還るためにね』
ますます意味不明である。天に還ることまでは理解できたが、それがレベルとどう関係するのか少しも分からなかった。
『運命が導くままに失われた魂は輪廻に還るだけなのだけど、その死に第三者が介入していると少しばかり異なる。殺めた者には対象が溜め込んだ力を吸収する権利が生じるのよ。簡単に言えば相手の力を引き継げるってわけ』
「物騒な話だな? やっぱ殺人鬼じゃねぇかよ……」
「言ったでしょ? 魔物も還るのだと……」
端的な返答にて、ようやく話が見えてきた。要は魔物を倒して、魔物の魂から力を奪えばいいのだと。
「じゃあ、どうして俺に冒険者を勧めなかったんだ? その方が強くなれるんだろ?」
『弱いうちからレベルアップしても駄目。無駄が多すぎるの。レベルが低い間に基礎値を上げておかないと、レベルアップ時の成長率が悪くなるのよ。レベルは徐々に上がりづらくなるし、幼いうちに努力して基礎ステータスを上げておく必要があるわけ』
しつこく鍛錬について言われていたことをクリエスは思い出していた。街から出たことなどなかったけれど、クリエスはシルアンナの指示通りに剣術を習ったり、身体トレーニングを欠かさずにしていたのだ。
『往々にして基礎ステータスの成長は十五歳から十六歳までがピークなの。だから動機はともかくとして、クリエスが旅立つことに私は反対しないわ』
どうやら基礎ステータスは年齢によって上がりにくくなるらしい。一般的に成長期と呼ばれる時期が基礎ステータスを伸ばす期間であるようだ。
「マジか。じゃあ、俺はヒナと合流しても構わないんだな?」
『言っとくけど、ヒナは北大陸の西側にいるのよ? それに彼女は公爵家のご令嬢。旅の途中で合流しない限り、お屋敷に近付いても簡単に会える人じゃないわ』
そういえば身分の差があった。今にして思えばクリエスも貴族を希望するべきだったのかもしれない。さりとて貴族であれば結婚相手を自由に決められなくなってしまうのだが。
「まあ旅立つよ。魔物を倒して名声を得ていけば、俺だって一代貴族になれる可能性があると思うし、ヒナが生きている間に俺は会っておきたい」
『目標を持つことは良いことよ。頑張ってね。魔王候補はまだ北大陸のデスメタリア山にいる。北大陸の北東部には近づかないこと。少しずつ強くなりなさい。最終的にクリエスの望みが叶うと良いわね』
シルアンナは天界でのいざこざを引き摺ることなく、ずっとクリエスの味方である。
少しばかり大人げなかった対応をクリエスは今さらながらに悔やんでいた。
「任せろ。今の俺はシルアンナの使徒であり信徒だからな……」
今となっては彼女の期待に応えるだけ。巨乳か貧乳かはともかくとして、クリエスは彼女のために頑張ろうと考えている。
いよいよ旅立ちの時だ。クリエスは意気揚々と大聖堂をあとにしていく……。
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