第005話 次なる残念な転生者は……

 地球世界のとある国。魔法もなければスキルもない。しかしながら、地球世界は成熟した世界の一つであった。


 桐乃宮陽菜きりのみやひなは早慶女子という名門女子校に通う十七歳だ。

 スポーツも勉強もろくな努力をしてこなかったけれど、彼女は全てにおいて優秀な成績を収めている。加えて由緒正しき旧家のご令嬢とくれば、誰もが羨む人生に違いない。


 さりとて完璧人間ではなく、かなり天然なところがある。お高くとまった感じもなかったから、学校においては割と弄られキャラであった。かといって彼女は弄られている事実にも気付かないのだが……。


「やはり悪役令嬢には憧れますわね……」


 学校の帰り道。陽菜はスマホを手に呟いている。彼女は発売されたばかりの漫画を購入し、早速とダウンロードしていた。家に到着するまで待てずに、陽菜は信号待ちの僅かな時間に読み始めている。


「悪役令嬢は弱者を虐げ、追放されるまでが様式美ですわ。わたくしもできることなら、そのような環境にあって悪評を覆したく存じます。更には追放を言い渡した王子様自身が後悔するほどの成長を見せるのです……」


 幼少の頃から読書が趣味であったのだが、最近はもっぱら漫画に嵌まっていた。絵と台詞、演出がこれまで読んでいた本とは明らかに違っていて面白かったのだ。


 無限に使えるブラックカードを持っていた陽菜は金額など考えずに毎日大量の漫画を購入している。支払額なんて一度も気にしたことがない。


 漫画が大好きになった陽菜はジャンル不問で手当たり次第に読み漁っていたけれど、最近のお気に入りは悪役令嬢ものらしい。


「テンプレは色々と言われますけれど、王道というべきですわね。わたくしはテンプレこそが至高だと思いますの!」


 交差点で読みふける陽菜。青信号に変わったというのに、陽菜はまるで気付かない。当然のこと周囲は彼女を追い越すようにして横断歩道を渡っていく。


「この先にこのような状況となるかもしれませんわ。普段から高笑いの練習をしておかねばなりませんね……」


 意味不明な妄想をしていた折り、赤信号を無視したトラックが向かってくる。陽菜はまだ歩き出していなかったけれど、横断歩道には子供が取り残されていた。


「危ないっ!!」


 勇敢にも飛び出したのは陽菜ではない。陽菜の背後から走り出した青年が子供を追いかけ始めている。自身の危険も省みず、彼は飛び込んでいった。


 どうやら暴走トラックの運転手は気を失っているようだ。アクセルを踏み込んだまま、トラックが横断歩道を突っ切っていく。


「オーホッホ!!」


 眼前で起こり得る事態にまるで気付かぬ陽菜は、あろうことか高笑いの練習中。彼女は自身の世界に入り込んだままだ。


 しかし、このあと思いも寄らぬことになる。トラックの運転手が助手席方向へと倒れ込み、ハンドルもまた急に切られてしまう。


 陽菜の高笑いが響き渡る交差点に衝突音が轟く。見守る誰もが予想した事故。結果は同じであったものの、その対象者は明確に異なっていた。


 桐乃宮陽菜、享年十七歳。若き魂が輪廻へと還っていく……。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 天界にあるシルアンナの業務室では女神たちが当選した魂の召喚を待っていた。

 残り時間はあと十秒となり、女神デバイスから召喚陣が浮かび上がっている。


「来るわよ……」


 程なく人影が浮かび上がった。かといって、それは魂に他ならない。長い黒髪の制服女子が魂の記憶により再現されている。


「ここは……どこですの……?」


 召喚された少女は呆然と辺りを見渡している。先ほどまで漫画を読んでいたのだ。

 いきなり天界に喚び出されたなんて分かるはずもない。


「ようこそ、陽菜。ワタシは女神ディーテ。ここは天界にある女神の業務室です。残念だけど貴方は先ほどトラックに轢かれて死亡したわ」


 召喚されたのは桐乃宮陽菜。先ほどまで地球世界にいた女子高生だ。


 召喚主であるディーテが彼女に説明をする。全てはデバイスに表示された通り。彼女は召喚ガチャから三時間後、歩道に突っ込んできたトラックにはねられていた。


「天界!? ひょっとして、わたくしは転生できるのでしょうか!?」


 思わぬ返答に女神の二人は視線を合わせている。転生など一言も告げていないのだ。自身の死よりも転生について問う彼女が信じられなかった。


「転生者の候補といいましょうか。残念ながら、貴方のステータスは知恵と魅力以外は酷いものです。加えてジョブは非戦闘職。我ら女神は魔王と邪竜に対抗しうる人材を求めています。よって転生の前段階として貴方自身に話を聞こうと思いました」


 ディーテの話に頷く陽菜。記憶を掘り返すと最後にはトラックの影を確かに見たと思う。だからこそ陽菜は自身の死が理解できたし、天界に召喚されたことをチャンスだと考えてもいる。


「女神様、わたくしは悪役令嬢になりたいのです」


 自己アピールが必要であったというのに、陽菜は願望を口にする。もしも転生できるのなら、生前に憧れた姿になりたいのだと。


「陽菜、それは気が早いというもの。ワタシたちは決めかねております。貴方には九千万という神力を費やしましたが、魂のランクは下から数えた方が早い。だからこそ貴方の特技や才能を教えてもらいましょうか」


 再び陽菜は頷いていた。恐らく、この面接に落ちたとすれば、桐乃宮陽菜はここで終わり。自身の魂が続くかどうかの瀬戸際であると理解している。


「わたくしには秘められた力がございます。勉強もスポーツもそつなくこなしてきました。もちろん努力などしておりません。わたくしが本気を出せば、わたくしに敵う生命体など存在しないかと存じます」


 毅然と言い放っている。魔王や邪竜の存在を仄めかされたというのに、陽菜は夢を追うべく大口を叩いていた。


「ならば現状の魂評価より、本来はポテンシャルを秘めていると? 戦闘値はEという貧弱な評価ですけれど、ワタシ共は戦闘職を求めております。よって転生後の再評価にはAないしSというものになっていなければなりません。ステータスでいうと戦闘200以上、体力200以上が求められる最低ライン。また成人男性の平均が30ですので、最低限でも非常に難しい基準となります」


 現状は生前のステータス値からランク評価されている。桐乃宮陽菜の評価は戦闘・体力共にEという低いものだ。かといって戦闘値は筋力だけで判断されるステータスではなく、魔法を含めた総合的な攻撃評価である。従って平和な世界にいたヒナにとって、低評価は仕方のないことであった。


「必ず達成します。ですので、わたくしにチャンスをお与えください!」


 生への執着かとディーテは思った。やはり人の魂は利己的であると。前世を諦めることが可能だとしても、それは次があると考えてのことだろう。


「制約条件を設けることに了承してもらえるならば、転生を認めましょう。ワタシたちには世界を救う義務があるのです。しかし、現状は新たな魂を召喚する神力が足りない。よって期間限定的に貴方を採用しようと考えます。詳細は十八歳を迎えるまでに戦闘値と体力値を200以上にしておくこと。それは小型の竜種をソロ討伐できる目安となります。貴方がそれを成せるのであれば、生の継続を認めることにします」


 ディーテの話にシルアンナは驚いていた。なぜならステータス200以上はかなりの猛者である。それを十八歳で成し遂げるのは不可能であるように思えていた。


「制約条件を達成できなければ、貴方の使命はそこまでとなります。せめて安らかに逝けるよう配慮いたしましょう」


 異世界転生の実行は五十年に一度だけ。陽菜を転生させるとディーテは五十年間何もできなくなる。しかし、転生者である陽菜が失われたとすれば、その限りではないらしい。


 陽菜が成人する頃には神力にも目処が立つ。幸いにもまだ魔王や邪竜は発生していないのだ。よってディーテは結末を予想しつつも陽菜にチャンスを与え、神力が溜まった頃合いで再び異世界召喚を試みるつもりらしい。


「わたくしには夢があるのです。もしも求められる通りに、わたくしが成長できたのなら、わたくしの生活に制限はあるのでしょうか?」


 ここで陽菜が問いを返す。彼女は第二の人生で夢を叶えるつもりのよう。仮にそれが認められないのであれば、転生する意味を見出せないと言った風に。


「いいえ、生活に関しての制限はありません。目的さえ遂げてもらえれば自由です。誕生するだろう魔王と邪竜の討伐。制約条件に成長を含めるのは、立ち向かうべき敵が強大であるからです。貴方にその資質がないのであれば、ワタシは次なる強者を召喚せねばなりません。よって貴方に与えられる時間は十八年のみ。その期間に制約条件を達成できなければ、十八の誕生日を迎える前日に生を失います。それは運命であり、貴方には抗えません。時が来て制約条件の内容と違えていた場合は、運命の通りに輪廻へと還っていただきます」


 女神がする話とは思えない内容であったけれど、陽菜にとってはチャンスでしかなかった。どうせ死んだ身であるのだ。再び生きる機会を与えられ、夢を叶えられるというのならば、どのような困難にも立ち向かおうと思う。


「であれば、わたくしからも要望を一点だけ。それさえ叶えていただけるのであれば、わたくしはご期待に添えるかと存じます」


 意外にも魂から要求があった。立場的に不利であるはずの彼女だが、転生に同意するための条件があるらしい。


「公爵家の娘であること。これが成されないのであれば、わたくしに転生する理由などありません。どうぞ輪廻に還してくださいまし」


 毅然と言い放つ陽菜にディーテは驚いていた。生に固執しているかと思えば、今は自我の消失を望むようなことをいう。


 さりとて、その要望はディーテにとって容易いこと。今し方、決めた方針に何の支障も生じさせない。


「よろしい。ワタシも後がない状況なのです。陽菜、貴方にはテオドール公爵家の娘として転生してもらいましょう」


 ディーテの返答に陽菜は笑みを浮かべる。夢を叶える下地が出来上がったのだ。あとは十八年後も存続できるように、自己研鑽し続けるだけであった。


 ところが、話は上手く纏まらない。


「ちょっと待ってくれ! 俺は認めない! その女が俺のパーティーメンバーだなんて許さないからな!」


「ちょっと、クリエス!?」


 先に転生者として選ばれていたクリエスが異議を唱えた。女神の二人が承諾していたというのに、彼は陽菜の転生を許さないと口にする。


「クリエス君、どうしてまた?」


 嘆息しつつもディーテが聞いた。陽菜の転生が彼の不利益になることなどないだろうと。


「ディーテ様は仰っておりました。俺にある呪い。パーティーメンバーが女であれば、俺のステータスは下がってしまうのだと!」


 そういえばクリエスには【貧乳の呪い】がかかっていた。しかし、その問題に対する回答をディーテは持っている。


「貧乳の呪いは巨乳に対してのみ発動します。よって陽菜は問題ありません」


「いや、駄目なんです!」


 ディーテが問題ないと返したけれど、クリエスは首を振る。加えて彼は本心を口にしてしまう。


「俺は巨乳と旅がしたいのですっ!!」


 女神の二人が唖然としている。先ほどの異議は体の良い嘘であり、その実は貧乳である陽菜を排除したいだけであった。


「クリエス、貴方ねぇ……」


 シルアンナが諭そうとするも、彼女を制して前に出たのは陽菜であった。どうしてか陽菜は笑みを浮かべてクリエスの耳元で囁く。


「クリエス様、一つお聞かせすることがございますの……」

 眉根を寄せるクリエスに陽菜は続ける。


「実は着痩せするタイプでして、恥ずかしながら現在のわたくしは手の平から溢れるほどの大きさです。しかもまだ成長期であるらしく、年々大きくなっております。このまま成長すると、とんでもないことになってしまうのではないかと、我ながら末恐ろしく感じておりますの……」


 刹那に稲妻がクリエスに落ちた。それは明確に感情的な衝撃であったが、女神である二人にはハッキリと感じられている。


「ヒナ、共に世界を救うぞ! 俺は燃えてきたぜぇぇっ!」


 呆気なく手の平を返している。陽菜が巨乳と判定されれば、彼は間違いなくステータスダウンするというのに。


「ええ、頑張りますわ」


 ニコリと陽菜。これにより二人の転生に支障はなくなっている。残す問題といえば、加護として与えるスキルに他ならない。


「ディーテ様、スキルガチャに使える神力の端数はないのですか?」


 シルアンナが問う。流石にスキルを与えずに転生させられないのだと。前世の記憶を有するだけでも準備には充分であったけれど、やはり強力な加護を与えたいところである。


「五万ちょうどしか残ってませんわね……」


 派手に一億という神力を使用したディーテは残り五万だという。クリエスを召喚したシルアンナは残り10神力しかなかったので、まだ希望が持てる数値であった。


「ディーテ様、それなら千神力のスキルガチャ(中級)を回しましょう!」

「いえ、ここはエクストリームスキルガチャで勝負よ!」


 既にディーテの目が血走っていた。エクストリームスキルガチャは一回五万という最上位のスキルガチャである。SSランクスキルが排出される唯一のガチャでもあった。


 シルアンナの提案を無視して、ディーテはエクストリームスキルガチャの画面を開く。


「シル、よく見ておきなさい! 確率は収束するものだということをっ!!」


 勢い勇んでディーテが抽選ボタンを押す。見守るシルアンナは頭を抱えるしかない。


 もうどうしようもなかった。上司を諫めるなんてできるはずもなく、一定の未来を彼女は思い描いている。


「アストラル世界、滅びるかも――――」

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