第五十五話 あの日……

 あの日クフィアナは城内での仕事をさぼって国境へと出向いていた。誰にもバレないよう密かに執務室を抜け出し、街からも離れた場所で人がいないことを確認した上で竜化した。


 巨大な白竜へと姿を変えたクフィアナは大空へ舞い上がり、人目の付かぬように国境へと向かった。普段からたまにマクイニスの目を盗んでは城を抜け出したりはしていたのだが、この日に限ってはなぜか国境まで行かなければならない気がしてしまったのだ。なぜだか分からないがそんな気がして、クフィアナは竜化して飛んだ。


 クフィアナはここ何百年と竜化はしていなかった。そのせいか竜化して国境まで一瞬でやって来れたのは良かったのだが、慣れない竜化に身体が酷く消耗していた。

 国境まで着いた途端、激しい疲労感が襲って来たのだ。国境の騎士たちに見付かるわけにもいかないため、森の中へと降り立った。


 疲労で蹲っているときに、あの少年に見付かってしまったのだ。


 まさか人間に見付かるとは思っていなかった。しかし子供だ。脅してしまえば大丈夫か、などと考えていると、子供は竜の言葉が分かると言った。驚いた。まさか竜の言葉が分かる人間がいるとは。

 それになんだろうな、この子供からはなにか懐かしい匂いがする。そのせいかそれともこの子供の親しみやすい雰囲気のせいなのか、巨大な竜に恐れることなく懐かれてしまった。


 迷子で泣きそうになっていた子供をカカニアの村まで送った。本来クフィアナが誰かを背に乗せるなどありえない。それすらも許せるほど子供は純粋に憧れの目を向けた。


 子供を送り届けたあと、ナザンヴィアが少し気になったのだが、あまり時間をかけているとマクイニスにバレて恐ろしい目に遭うのがわかるため、クフィアナは上空で国境を眺めたあと城へと戻ったのだった。


 案の定、抜け出したことがバレたクフィアナはマクイニスにこっぴどく叱られることになるのだが。




 あのときのことを思い出し、クフィアナはクスッと笑った。


「どうされたのですか?」


 明らかに何かを隠しているだろう、とマクイニスはクフィアナを見た。


「い、いや、なにも…………、そ、それよりもナザンヴィアはどうなっている?」


 あからさまに話を逸らしたことはバレバレだったが、クフィアナは一度決めたことは覆さない。言わないと決めたのなら、いくら聞いても無駄だろう、マクイニスは小さく溜め息を吐いた。


「特に今のところは変化なしですね。相変わらず王位継承問題で揉めているようですが……」


「…………、そうか、あの男も大変だな」


「我々の国に迷惑をかけないのならどうでも良いことですがね」


 マクイニスは冷たく言い放つ。マクイニス自身、建国の戦いに参加していた者として、ナザンヴィアには未だに良い印象を持つことはなかった。ましてやずっと良からぬ噂が流れるような国だ。ろくなものではない、そう判断を下していた。


 クフィアナとビビは顔を見合わせ、やれやれといった顔で苦笑する。



 ◇◇◇



 新人入城式典のあと、毎日教育係での仕事に追われた。白竜のことなど思い出すことがないくらいに、毎日疲れ切って寮へと帰る。その毎日の繰り返しだった。


 今日は訓練係を紹介してもらった以来、初めてヒューイの騎乗訓練に呼ばれた。ウッキウキで訓練係まで行った俺はヒューイの反抗期アタックを速攻で食らって一瞬気を失う。


 訓練係に到着した俺を待ち受けていたのは嫌がり暴れるヒューイ。それを抑えようとするヴァーナムさんの格闘に巻き込まれ、ヒューイの尻尾で吹っ飛ばされるはめに……。いや、ちょっと! 普通死ぬぞ! 俺、頑丈で良かった……って、そういう問題じゃなーい!! めっさ痛いわ!!


 気が付けば地面に寝かされ額に濡れた布が置かれていた。


「気付いたか?」


 いてて、とあちこち痛いままで身体を起こすと、すぐ横から声がし、顔を向けるとリンさんが立っていた。

 ニコリともせず無表情のまま見下ろされ、ちょっと怖い。


「あー……、すみません、どれくらい寝てましたか?」

「気にするな、ほんの数分だ。それより頭は大丈夫か?」


 失礼だな、おい、と思ったが、どうやらそうではなかったらしい。リンさんは跪くと俺の頭に手を伸ばし後頭部を撫でる。お、おぉう、ち、近い! 無表情で怖いけど、美人なんだよな。灰色の瞳がキラキラと光りを浴びると銀色にも見える。き、緊張する!


 ギシッと固まっていると、リンさんは俺の後頭部を撫でたあと、「ふむ」と言って手を離した。あぁぁ、もう離れちゃうの? って、いや、変なことを考えてたら誰かに殺されるかもしれない。誰かって? いやまあ、色んな誰かに……。


「大丈夫そうだな。吹っ飛ばされたあと、頭から地面に落ちていたからな」

「えっ」


 それって結構危険なやつなのでは……。ちょっと血の気が引く。余計なこと考えてすみません、はい。


『俺はリュシュとは騎乗訓練なんかしねー!!』


 ヒューイが未だに暴れながら叫んでいた。

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