第66話 くちなしの香り
春に香る沈丁花の季節が終わって、来る日も来る日もシトシトと雨の降る梅雨の時期、芳しく高い香りを放つ花といえば、白い小振りの六枚の花弁を開く、くちなし。
木の前を通ると香りが漂ってきて香りを辿って花を探すとそこにある。ほのかに香るイメージがあるが、凛としたその香りは、ここにいますよと主張し、ちゃんと見つけられる程度に香る花。
今でこそ、その花がくちなしと言う名の花だということがわかる景子だが、雨に浮かれて走り回っていた子供の頃、垣根に咲く白いこの花に名前があることを知ることは無かった。
相当昔のことになるが「くちなしの花の~」と渡哲也が歌うまさしく「くちなしの花」と言う曲が大流行した。くちなしの花が景子の世界に認識された最初の出来事だった。その次にくちなしを認識したのは、景子が専門学校の調理実習で使った黄色い天然染料のくちなしの実だった。
お正月料理の祝肴の授業でサツマイモの甘露煮を作った。その色付けに使ったのがくちなしの実だった。数ある天然染料の中でも珍しい形。羽子板の羽が付いたような不思議な形をした実がとても珍しかった。
日本料理の調理実習ではくちなしの実や百合根、チヨロギなど会席料理で使う珍しい素材を使った料理をいろいろ教えてもらった。そういった素材を一般向けに扱う店はその頃は少なく、手に入りにくい食材が多いので、めったにお目にかかれない素材を見るだけでも専門学校で調理の勉強をしているかいがあると思っていた。
家に帰りその話をすると、「昔からくちなしは染料に使ったよ」と返事が返ってきた。「うそ、くちなしの実を知ってるの?」と、悔しいような気持ちになった。簡単には手に入らない食材だから貴重なんだと思っていたのにそうでもないらしい。「タクワンもくちなしで染めたよ」と今では高級食材と思っているものも昔は身近にあってちゃんと使われていたのだ。
花が咲いているんだから実だってあるよな…と少々がっかりした景子だった。
自分が貴重だと思っていたものが、以外に簡単に手に入ると知って価値が急に落ちた気がするのは景子だけだろうか?
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