第65話 祖父の面影

 小学一年の夏、久栄は祖父の許へ遊びに行くために広島に向かった。

夏休み、初めて乗る新幹線を白線の内側で待つ。旅行、仕事、多くの人でごった返す駅は独特の期待感と緊張に包まれていた。

 旅支度の人々のかわす会話が右の耳から左の耳から複雑に飛び込んで混ざり、異国の言葉のように聞こえた。どこか不思議な場所に続いていくような長いプラットホーム、聞きなれない音、雑踏の感覚にワクワクした。

 なのに、乗りこんで席にすわり列車が走り出すとその喜びもいっきに薄れて、うとうとと眠たくなった。窓の外の景色は思ったよりゆっくりと久栄の目の前を通り過ぎた。新幹線って乗ると速くないんだ。単純な感想だった。

 新幹線に乗る前、キオスクで買ってもらった赤いバスケットが膝に乗っている。中にはお菓子とトランプが入っていて広島へ着くまでの間飽きずに遊んだ覚えがある。

 バスケットは久栄の憧れだった。籐で編んだあの感触、職人技の細かい細工に惚れ惚れする。そんな感覚をその頃から持ち合わせいる。苦労人のような子供だった。

 外出の嫌いな父との始めての長旅でもあった広島旅行は、祖父の危篤の知らせを受けてあわただしく出かけた家族四人の旅だった。これが後にも先にも久栄にとってたった一度の父との貴重な旅の思い出になった。

 広島に着くと祖父は以外に元気だった。穏やかな、静かな話し方が印象的な人だったが、小さな久栄が話題に入ることもなく、思い出に残る印象も無いまま、祖父は中学二年の冬、四国でなくなった。

 葬式は父と母だけが駆けつけ、期末試験中の久栄は行くことはなかった。葬式の話をあれこれ聞かされ、祖父はただそれだけの人になってしまった。

 祖父の飼っていた大きな土佐犬の話を聞いた。祖父が亡くなった後は誰も面倒を見るものがいないので処分することになったらしい。処分しようとトラックに乗せるとき嫌がって乗らず、父の言うことだけは聞いたと話していた。父はすごいと母が言った。そんな話だけが記憶に残った。

 祖父の骨は父が持ち帰り近くの墓所に墓を立てた。

 祖父は、久栄家族が駆けつけた広島住まい以来、父の母とは違う女の人と暮らしていた。「二号さん」と言う呼び方は好きではないが、あの物腰の柔らかなおばあちゃんはそういう人だったらしい。久栄の目に映ったその人はとても料理の上手な優しい人だった。

 複雑な話を聞きかじるだけの久栄でもこの時のことはよく覚えている。久栄にとって本当の祖母はもっと疎遠な人で、骨になって祖父と同じ墓に入ってからようやく写真で顔を知った。

 その時、「血のつながりより人のつながりの方が生きるためには必要だ」と子供ながらに悟った気がする。人は立場ではなく、本質が大事…と久栄は思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る