第64話 お茶を買う

 夏になると麦茶を沸かした。子供の走り回る声。セミの音、蚊取り線香、団扇。さまざまな夏をまざまざと思い出す。

ヤカンの中に直に煎った麦を入れ、それをしばらくグツグツと沸かしてからかけ流しの水道水や井戸水で冷ます。どこの家も香ばしくて飲みやすい麦茶が子供に好まれ夏になると風物詩のように作られたものだった。

 1980年代に缶ジュースの全盛期がやって来る。自販機で買えるジュースは便利で重宝した。バラエティ豊かな缶製品は留まるところを知らず、ついにお茶まで売り出し、究極の缶麦茶が発売される。

 缶入りのお茶…花梨はこの、お茶を買うと言う行為にかなりの抵抗を感じた。ジュースは買えてもお茶は買えない。これはその当時、多くの日本人が感じた複雑な感情ではなかっただろうか。

 家で作れるものを自動販売機で安易に買ってしまう。それは惣菜を買って帰るよりももっと罪深い気がして抵抗を感じたものだ。

 子供が小学生になった頃、缶ジュースにはスティック砂糖十本分の砂糖が入っているというニュースを耳にした。過剰な砂糖は骨を溶かしカルシウムを奪うと言う。それは考えただけでも恐ろしく、花梨はそれ以来缶ジュースが買えなくなった。

 今まで、お茶は買えないけどジュースならOKと思っていた常識は覆されて、買ってでも安全な飲み物をと思うようになった。そういうわけでようやくここにきて缶入りのお茶は解禁となり、子供が喉が乾いたと言えば缶麦茶を与えるようになった。缶入りのお茶はついに花梨の中で市民権を得た。

 思えば「お金を出してお茶が買えるか」という貧乏くさい意地から、「お金を出して不健康が買えるか」という健康志向への一大転換である。誰でも体に悪いとわかっているものを買ってまで手に入れたくはない。

 この頃から、ジュースという豊かな家庭を感じさせる魅力的な飲み物が家から姿を消した。買うなら牛乳かお茶。しかし、やはり家用にはまだまだティーバックや煮出し用の麦茶を買う花梨だった。

 このお茶革命が日本にもたらす影響は大きいに違いない。お茶を飲む習慣の無い欧米なら缶入り清涼飲料といえばコーラかファンタかサイダーか炭酸入りの甘い飲み物しか想像できない。でも、健康を考えるならなんと言ってもお茶、この世にお茶があってよかったと単純にありがたがる花梨だった。

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