第15話 この場所は
遠い昔、付き合っていた4歳年上の義晴とよく歩いた忘れられない小道。砂利道をしばらく行くと、左手にアガパンサスの群生。紫陽花の木々。梅雨の時期に決まって此処に咲くこの花が美しい。
頭上に交差してアーチを作る桜は、春に見事に咲いた名残を残し沢山の小さな赤い実をつけていた。
ゆるくカーブした道を抜けると正面にレンガ作りの図書館。右には噴水の見事な庭園が、あの頃と少しも変わらずに広がっていた。
青春時代に幾度となく訪れた公園は、富貴子の記憶に沢山のヒダを作る。クラブに明け暮れた毎日、この道を抜けてコートに向かった。膝の故障でドクターストップがかかった時、運動を諦めるために点字翻訳のボランティアについて訪ねたことのある図書館。心無い係の人に「若いんだからそんな事しなくても」と言われて、今思えば簡単に断念してしまった苦い思い出。
あの時やっておけば今頃その道の先駆者だったのにな…などと残念がったりする。
付き合っていた義晴を探して雨の日傘を立てかけた玄関。待ち合わせに来たのか来なかったのか未だに判明しないあの日。長い時間佇んだ門に富貴子は触ってみた。
悲しいことや楽しいことが折り重なって思い出されるこの場所は、駆け込み寺のような安心感と何処か遠ざけたい嫌悪感が入り混じっていた。
行きたいけど行けない場所…車の中から遠巻きに眺めるだけで近づかなかった場所。正面の石垣は今では見られない古めかしい造りで、当時のまま長い時間が止まっているかのようだった。
もう一度やり直すなら此処からだ。と、何時からか決めていた。誰かを好きになったらもう一度此処にこよう。
此処で待ち合わせをして此処から始めよう。
富貴子は、苦手な青く澄み渡った空を仰いだ。空はあの頃と変わらない雲を浮かべ、落ち着かない富貴子を見守っているようだった。
「お待たせ、珍しい場所で待ち合わせだから戸惑ってしまった」
地下鉄の出口を間違えて道路の向こう側に出てしまったと義晴は爽やかに笑った。
富貴子も釣られて笑いながら封印した時間を確かめた。
「ここ覚えてる?」
「覚えてるさ、僕はあの時ちゃんと時間にここに来たんだからね。何かの間違えで会えなかったんだよ」
さあ、それはどうだろうと富貴子は思った。でも、『そんなことどうでもいいか』と思える自分になっていたことが嬉しかった。
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