第12話 風に聞いた話
何時になく風の強い日、香織は囲炉裏のそばで祖父の話を聞いていた。祖父がこの森に篭って暮らすようになってどのくらいの月日が経つんだろう。香織が物心ついた頃には、すでにこの小屋は此処に立っていた。
この辺りは遠くに矢那山の頂が見える折戸というところで、バブル期に開発された別荘地らしい。転売、転売の果に祖父が手に入れた細長い傾斜地は、周りにはこの先別荘が建つ予定もなさそうな雑木林が続いてる。今や訪れるものもない閑散とした別荘地だが、祖父はその静けさが気に入っていた。
香織は祖父のおっとりとした時間を感じさせない景色が好きで、長い休みになると毎回この森にやってきた。唯一の得意料理はラーメンで、地元野菜の溢れるこの地まで来て具のない味気ないラーメンを頂く。
祖父は都心から一時間ほどの、香織の家からそれほど遠くない近郊農家の多いこの土地で一人で暮らしていた。
小さなログハウスに物置小屋。床下に薪が高々と積まれた別棟は、時々此処を訪れる友人のためのゲストハウスだった。
此処を訪れるゲストは自分で食料を抱えてやって来て祖父に料理を振る舞う。何を作っても美味しそうに食べる祖父は訪れる者から慕われていた。
家の修理をして、花を育て、薪を割り、何でもこなす祖父なのに、食べるものと言えばラーメンくらいしか作れず、ゲストのいない時に何を食べているのか香織には想像がついた。
この冬、祖父はリビングに小さな囲炉裏を作った。それを自慢したくて、珍しく何度も見に来いと催促をよこした。
香織はようやく時間を見つけて一時間車を走らせ、祖父の隠れ家までやって来た。ボーイフレンドの持たせてくれた鹿児島の芋焼酎を抱えて。
「土産よりこれを持たせてくれた彼氏に会いたかったな」と祖父に言われた。照れながらうつむく香織に「大きくなったな〜」と笑う。
囲炉裏はジュウジュウと焼肉をするためのものではなく、ジワジワ丸干しを炙ったり、ベーコンを焼いたりしてささやかな肴が出来上がる。油を焦がした炭は祖父に似た慎ましく静かな香りを立てる。
「お前の名前はばあさんが考えたんだ。父さんは織るという字が気に入らなくて最後まで渋ったけど…ばあさんがどうしてもと言い張ってな。『香織』意味は、と聞くと笑ってた。そんなに思い入れがあるなら訳も話せば良いのに、言わないまま死んじまって」
香織は自分に名前を付けた祖母の顔を知らない。知らないが祖父を通じて祖母の愛情が伝わる。香織と名付けた理由はわからなくても「この名前は気に入っている」と祖母の事を思った。
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