第7話 二人のバランス

 猫の絵のある喫茶店で、幸乃は時折、夫の宏平と待ち合わせた。幸乃が一足早く出かけ奥の席を陣取り、宏平の現れる時間を待つ。それはたいてい長い時間…

 昔はその度に嫌な思いをした。待ち合わせの時間に間に合ったことのない宏平は、いつも遅れてやってきて、書類ではち切れそうな鞄をテーブルの上にのせた。いかにも「優秀なサラリーマンやってます」といいたげに。

 その鈍い振動に顔を上げる。手にした半開きの文庫本には綺麗なつるバラのカバーがかかっている。栞を挟み直して閉じると机の上に置いた。今日は珍しくホラー小説を読んでいた。

「君らしくないね。その…」

「この本?姉貴から借りたの、面白いから読めって」

「そう、どう?」

「それがあまり面白くないの」

 仏頂面する幸乃を刺激しないように静かに椅子を引くと、鞄をずらして腰をかけながら宏平は遅刻に気づかれないように、機嫌を取るように、本を話題にした。

 日頃ホラーを読まない幸乃は、安物の怪物映画のグニャグニャした音が聞こえそうな作りに、怖いと言うより不快感を顕にした。

「そんな顔するくらいなら読むのやめれば」

「そうね、でも、せっかく勧めてもらったから。一度読み始めると止められないし」

 鞄にしまいながら宏平を見て笑った。遅れてきたことを咎める気は無かった。家庭を離れてこうしてゆっくり本の読める時間は、主婦となった幸乃にとって今や貴重だった。

 しかし、宏平は今更ながら罪の意識にさいなまれる。

 付き合っていた頃の遅れて泣かれた経験から遅刻はトラウマとなっている。結婚した今も言い訳がましいことをしようとする。この運動率が二人の微妙なバランス。とでも言おうか…片方が気にしてないことを片方が気にしている。全く反対を向いているようで実は釣り合いが取れている。

 結婚して10年。二人は仲が良かった。共通の話題も多かったし、似たようなことにいつも感動した。宏平が口下手で語彙が少ないのと、幸乃の理系が苦手で物事の理屈がわからないのを除けば…

 宏平は本の内容はともかくそのカバーが幸乃に似合わない柄だと思った。

「何食べる?」

「今日は久しぶりだからカルボナーラにしよう」

 久しぶりでも昨日食べてもカルボナーラを注文すると思ってた。と幸乃は思った。

「じゃあ私はドリア」

「好きだな」

 いつもドリアを頼む幸乃を単純な奴だと宏平は思った。

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