第3話 自然生活

 土曜のブランチに欠かせない雑穀パンを買うために、駅前まで車を走らせた。日差しの強さをアスファルトに照り返す街路樹が黒々と影を落としている。エアコンの効いた車の中でさえ汗ばむ一日だった。

 お目当てのパン屋は、最近リニューアルされた駅ビルの一階。軽い食事を摂ることの出来る中庭のテラス席が人気だった。

 此処の雑穀パンは噛み締めると甘い自然な味がして、夫と軽い昼食をしたい時には前日に必ず買い求めておいた。

 簡単なサラダに淹れたてのコーヒー、雑穀パンで作ったサンドイッチには胡椒の効いたパラストラミソーセージが似合った。

 夕貴がいつものようにドアを押すと珍しいお客が店長と話をしていた。この町に引っ越してから一度だけ見かけたことの有る高校時代の同級生。クラス会で住所は知っていたが会う機会は無かった。

「やあ珍しいね。なかなか会えないもんだね」

 同じ町に住んでいても待ち合わせたりすることもなく10年が過ぎていた。

「よく来るのこの店?」

「うん、買うパンは決まっていて、雑穀パンだけ。主人が好きなの」

 雑穀パンを指さして夕貴がそう言った。

 …突然…

「お茶飲んでいかない。急いでる?」

 そう云う市原に促されてカウンターでコーヒーを注文した。

「今度、此処でイラスト展するの。今日は店長と打ち合わせ」

 市原は高校の頃からイラストが上手く、雑誌の挿絵を描く仕事をしていた。テニス部で一緒だった。夕貴の後衛をしていた。

 まんざら他人でもない。それでも連絡しないのは、お互いマメじゃないからで、嫌っているわけではなかった。その証拠に久しぶりに会っても話が弾んだ。

「この前沙世に会ったよ。相変わらずテニスやってるって」

「いいな、そんなゆとりもないし、考えたこともなかった」

 と答えたが、この町に来てすぐ市民学級でテニスの講座を受けた。軟式から硬式への転向は難しく夕貴は一回の講習で硬式テニスを諦めた。

「あんたは、なにかしないの」

 市原のタメ口が気になった。

「主婦って面白い。節約したりエコしたり」

「あんたらしいわね。あ、これ招待状。ご主人と見に来て。来月半月やってるから」

「この絵いいね〜」

 DMには柔らかな色が何色も混じった景色が描かれていた。

「市原は順調だね。なにやっても上手いから」

「へへへ、結婚だけはあんたの方が上手いんじゃない」

 市原が最近別居していることを公江から聞いていた。

 こういうタイプの人間には何を言っても言葉では勝てない。それを肌で感じた夕貴はそれ以上市原を褒めるのをやめた。

 コーヒーの香りが二人の間に隔たりを作った。

 市原の手がタバコに火をつけた。

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