第16話 彼女は炎の中で『さようなら』を告げる

「貴方だって、わたくしの心のありかが判っていらしたのではありませんか? 貴方は服の下に分厚い革の胴衣を着込んでましたもの」


 黒の貴公子がわずかに太って見えたのは、そのせいだったのです。心のどこかが、警戒していたのです。

 自分があの赤毛の男に対して考えていたことのどこかに、誤りがあったのではと。


「あれがなければ、わたくしの懐剣をもっと深々と刺して、貴方を殺すことがかないましたのに……あの方は少々頑張りすぎるのですわ。そこがいいのですけど」


 女はほほえみました。愛しい人を思う顔でした。


「古来より、人の価値は死ぬときにこそ現れると言いますわ。最後まで嘘が下手なお方でしたのね」


「どうしてそこまで信じられる! どうして! 愛に目をくらまされうまく利用されただけとは考えないのか!」


「だって、あの方、あんな肝心な時にすら、わたくしを傷つけたくなかったのですもの。見た目だけでもそうしなければならなかったのに」


「いつのことだ……」


「あの方、わたくしに嘘の告発をしている時、辛そうな顔をしていらっしゃいました」


 あのとき、赤毛の王太子の声が裏返っていたのは、緊張のせいではなかったのです。

 嘘とはいえ、お互い承知とはいえ、宝石姫を告発し、おとしめるのが耐えがたかったのです。

 だから声は裏返り、言葉はどもり、今にも泣きそうなような、目も当てられないありさまだったのです。


「だから、わたくしはすぐにあの場所から離れたのです。しょうがない人。あれが完全に筋書き通りうまくいっていれば、貴方以外の敵に回りそうな貴族達は皆殺しに出来たのに」


 振り返ってみれば、それは致命的な失敗だったのかもしれません。

 赤毛の王子が嘘でもいいから打ち合わせ通りに彼女を告発していれば……。


 それでも、宝石姫はうれしそうでした。この世のものとは思えぬしあわせそうな表情です。


「あの世に思い出をもっていくならば、あの方に罵倒されている光景ではなくて、わたくしのために苦しんでくださるあの方のほうがよいですものね」


 姫はロケットを握りしめ、あらためて自分の首にかけました。

 ふたつの銀色のロケットは、双子のように並びます。


「さようなら、賢くて強くてさびしいお方」


 まっしろなほそい首筋に懐剣がきらめきました。

 真っ赤な血が噴水のようでした。


 うつくしい女は 噴き出す血に押されるようにして、その反対側へゆっくりと倒れていきました。


 男は駆けつけようとしましたが、床から巨大な炎が噴き出して、それを遮ってしまいます。


「無責任な! ここで私まで死んだら、この国はどうなる!」


 正しい言葉でした。この場ではなんの意味もない言葉でした。


「何が真実の愛だ! そんなものがなんになる! そんなものがそんなものがっっ!」



 その瞬間。



 床からふきあげた炎が、全てを包み込んでいきました。

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