第11話 秘密の文

「貴方ならともかく、あの方は、そんなものを使う必要はありませんでしたわ。だって、わたくしはすぐあの方に心惹かれましたもの」


「あいつが! あいつのどこに貴女が惹かれるところがある! 貴女はそう思わされているだけだ。しばらく療養して薬さえ抜けば昔の貴女に戻るはずだ」


「わたくしが心を狂わされることなしには、あの方に惹かれないと断言できるのですか?」


 全ての真実を悟った男は、堂々と言い放ちます。


「あの男は、愚かで、頭のめぐりも悪く、自分の体すらもてあましている。その上、おひとよしで、人をだますことさえできない。上に立つのに全くふさわしくない」


「あら。あの方の魅力をよく判っているではありませんか。だからこそわたくしはあの方に惹かれるのですもの」


「やはり貴女は理性を失っている。それらは魅力ではない。全て短所だ」


「愚かさを自分でもよくご存じで、それゆえに、人の話を聞き、教えを請い、書物を調べ、その上で納得するまで自分で精一杯お考えになるのですわ」


 それは、聡すぎるがゆえに、ひとりで何でも出来てしまう黒の貴公子とは真反対の人間でした。


「お人好しだからこそ、その決断の結果をつねに気に掛けながらも、決断を下すことからは逃げないあの方。そして結果を引き受けることを震えながらも引き受けようとするあの方」


 女は愛おしげに続けます。


「こんなにも勇気をもって進んで行こうとするお方に惹かれない者がおりましょうか? どんな者の話も真摯に聞く姿に心揺り動かされない者がおりましょうか?」


 宝石姫の瞳にはくるめいたものがありましたが、薬物でもたらされたものではないのは明らかでした。


「そして、聡明で怜悧で野心家の貴方こそが、彼を悩ます最大の存在でしたのよ」


 黒の貴公子はようやく悟り、あえぐように言葉を押し出しました。


「最初から、狙いは、私だったというのかっ」


「貴方は用心深かった。人前には決して姿を見せない。王家が最後の手段で送り込んだ『王家の牙』の手練れ達も、ひとりとして帰ってこなかった」


 だから宝石姫は、自分の身を捨てたのです。

 男爵家の娘への不審を書き送り、男を動かし、王家の弱みをわざと握らせ。反逆への大義名分を与え。

 自らは誰からも疑いようもない、理不尽な追放劇の犠牲者になりおおせ、最も危険な男をおびき寄せたのです。

 全てを奪われ、文字通り身一つで幽閉された麗しの令嬢を、誰が罠だと疑うでしょうか?


「あの女達……『王家の牙』につらなるものたちか……」


 手慣れた武器の扱い。人を殺すのにためらいのない動き。


「だがっ。だとしたら、貴方があいつと同心していると判らせることができたはずがない!」


『王家の牙』は、王と王子から出たという以外の命令は聞かないはずなのです。


 そして、王都からこの修道院へ事前に文や使者が送られた形跡はなにもありませんでした。


「貴女は、どこへ寄ることも許されず直接ここへ送られた! 私のつけておいた間諜が一部始終を見ていた! あいつから手紙を受け取り、ここへ運ぶことができたはずがない!」 


「手紙はちゃんと届けましたわ。だって、あの宴の直前に、わたくしの体に、あの方が自らが書いたんですもの。もちろん王家の印章もちゃんとつけられてましたのよ」


 女はあやしげな笑みを浮かべました。それは令嬢ではなくて、女の顔でした。


「あの方、わたくしの肌身をはじめて見たときと同じくらい緊張してましたわ。いつもこわれものみたいに大切に扱ってくださいますのよ」


 それは、宝石姫が赤毛の王太子と一線を越えた関係だということのあからさまな告白でした。

 目の前のうつくしいからだは、黒の貴公子が軽蔑していた男と何度も何度も愛しあったからだだったのです。

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