第10話 心の毒

「どうしてわたくしが、貴方ではなく殿下を選んだか知りたくありませんか?」


 その穏やかな声に、男は思わず振り返り、投げられた短剣の軌道は僅かに狂い、逃げる修道女の肩先をかすめ壁に突き刺さります。


「王妃の地位か……いや、あんな滅びかけの王家の一員になるなど――」


「あの方と同じで、わたくしも真実の愛とやらを見つけましたの。貴方に対してではなく、貴方が愚昧と罵るあの方との」


 修道女は螺旋階段を駆け下りていったようですが、男の意識の中からその存在は消えていました。

 その意識を大きく占めるのは、目の前にいるあやしくうつくしい女だけ。


「あの男なら操れるからか!」「あの方なら操れるから、とでも?」


 ふたりの声が重なりました。

 男は言葉を予測され、続ける言葉を失いました。

 女は笑いました。哀れみをふくんだ笑いでした。


「あの方は操れる方ではありませんわ。貴方のほうがよほど操りやすい。だって今なにを言うかわかりましたもの」


「ありえない! あの赤毛の阿呆が私より賢いとでもいうのか!」


「毒が耳にまで回ってしまったのかしら? あの方が賢いなどと言ってはおりませんわ」


「だが、今、操りにくいと」


 女はゆっくりと首を振った。


「わたくしは真実の愛とやらをみつけましたの。それだけですわ」


「毒が回っているのは貴方だ! 貴方のような聡明な方が、そんなたわごとに――」


 令嬢は笑いました。しあわせそうに笑いました。


「たわごと。貴方にはそうとしか思えないでしょう。でも事実ですわ。裏も表もない、かけねなしのほんとうですもの」


 男は懸命に頭を巡らし、目の前のうつくしい女が心を狂わされた事情を悟ります。


「そうかそういうことか! はるかかなたのキタイの国には、心を狂わせる薬があるという……貴女の婚約が決まる直前に、使節が来た……王家はそれを奴らから手に入れて貴方に」

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