#6 繋がれた命
保護ボランティア団体の事務所を後にした僕は、先ほどまで居た保健所に戻って来ていた。
あのシベリアン・ハスキーを自分の手で引き取る事ができないとわかった今、
もう一つの気掛かりだったあの老犬を引き取ろうと思ったのだ。
(1匹なら、僕でも飼えるだろう。。。)
再び保健所を訪れた僕は、ゆっくりと建物の入口へ向かった。
建物に近づいたところで、先ほどの年配スタッフを見つけた。
年配スタッフは建物横の通路を通り、保護動物を収監している場所へ向かおうとしていた、
「あの老犬を引き取りたい」
僕は年配スタッフに近づいて「すみません」と呼び留めてから、そう伝えた。
年配スタッフは、え?と驚いた表情を見せた。
そして、少し間をおいて僕に疑問を投げかけて来た。
「他に引き取りたい犬が居て、保護ボランティアの事務所へ向かったのでは?」
疑問は当然の事だろう。そのために保護ボランティアの事務所の場所まで聞き出したのだ。
「あの子は、幸せそうな家族に引き取られそうでしたので。。。」
僕は頑張って作り笑いを浮かべ、
少しの嘘と少しの真実で、あのシベリアン・ハスキーの行く末を伝えた。
引き取り手が見つかったのは本当だ。でも幸せそうな家族というのは嘘だ。
僕はあの車椅子の少女の事がどうもひっかかるのだ。
本当にあの家族の下であのシベリアン・ハスキーは幸せになれるのか、
少し疑問には思うが、僕にできる事はもう無い。
「そうですか、なら手続きを・・・」
と年配スタッフは言いかけたが、僕は「すぐに引き取りたいんです」と伝えた。
先ほどの保護ボランティアで見かけたような手続きが必要だとしたら、
引き取るまで1ヶ月やそこら、かなりの時間がかかるだろう。
このビーグル犬は老犬だし、檻の中が長引けばそれだけ体調も心配だ。
それよりも心を閉ざしたようなこの目を早くどうにかしてやりたかった。
動物に接する事で、人間の閉ざされた心を開いてくれるというが、その逆もあると思う。
人間の愛情が、動物の閉ざされた心を開いてやれると思うんだ。
だからこの老犬をすぐにでも引き取り、しっかりと愛情を注いでやれれば、、、
僕がこの老犬の虚ろな目を、生気の満ちた目に変えてやれる、そう思った。
「そうですね、、、先ほど申し上げた通り、
この子は恐らく引き取り手が見つからないでしょうし、、、」
年配スタッフはそう言った後、ひと呼吸おいてから、
「わかりました。この子の事はうまく処理しておきましょう。
大事にして可愛がってやって下さい。」
と、空いてる運搬用のキャリーバッグにその老犬を入れ、僕に持たせてくれた。
さきほど僕がここへ来た時、この老犬に待ち受ける
よほどこの老犬に感情移入し、同情したのだろうと察してくれたようだ。
本来決まったルールで譲渡されるべきところを、ルールを曲げてくれたのだ。
これが明るみに出たらなんらかの処分を受けるかもしれない。
それでも譲ってくれた年配スタッフに頭を下げ、「ありがとうございます」と言った。
そして、僕はそのキャリーバッグを持って保護動物を収監する建物を出た。
建物の入口から保健所の門へ歩いている間、一度振り返ってみると、
年配スタッフはずっとこちらを見て嬉しそうにしていた。
処分されるかもしれなかった保護犬1匹。
途切れかけたその命の糸がまだ紡がれるのだ。それが嬉しかったのだろう。
僕は再び年配スタッフに頭を下げた後、また保健所の門を目指して歩き始め、
保健所の門を出たところで再びタクシーを呼び、自宅へ向かった。
タクシーの中から見た街並みは、変わらず無機質なコンクリートジャングルだったが、
もうだいぶ斜めになった日の光が建物の窓に反射し、輝いているように見えた。
あのシベリアン・ハスキーと、あの車椅子の少女の事を思うと、
とても気掛かりではあるが、僕は早く忘れて、この老いたビーグル犬を可愛がってやろうと誓った。
自宅へ着いた後、一旦ビーグル犬をキャリーバックから出すと、
相変わらずキチンと座って少し頭を下げ、虚ろな目で前の床をじっと見ていた。
(この子はよほど辛い思いをしたのかな。。。)
僕はビーグル犬の様子に少し胸がズキンと痛んだが、気を取り直して台所へ向かった。
そして、食器棚から適当な皿を取り出して水を入れた後、それを目の前に置いてやった。
「少し買い物してくるから、お前は良い子にしてるんだぞ。」
僕はそう言って財布を持つと、この老犬を部屋に残し近くのホームセンターへ向かった。
30分程経って自宅へ戻ると、ビーグル犬は相変わらずお座りの状態で鎮座している。
(この子、大丈夫かな・・・)
その様子に心配になった。
僕はホームセンターで買ってきた荷物を台所のテーブルの上に並べた。
ドライタイプのペットフードやペット用おやつ、ペットシート、餌や水を入れる容器を数個、
犬用のシャンプーなど、これからの2人?の生活に必要だと思われる物だ。
その中から容器を取り出し、値札シールなどを剥がしてから洗った。
洗い終わった容器の中から2個を選んで、さっとキッチンペーパーで拭き、
1つには水を入れ、もう1つには買ってきたペットフードを入れた。
そして水を入れておいた皿を下げ、同じ場所にペットフードの容器と水の容器を置いた。
ビーグル犬はその容器を見る事も無く、変わらず前方の床を眺めている。
僕はその様子を見て「(躾けられてて)ヨシとか言わないと食べないのかな?」と思い、
とりあえず「ヨシ!」と言ってはみたが、やはりビーグル犬はピクリとも動かない。
(この子はしっかりと、でもじっくり、ゆっくりと愛情をかける必要がありそうだな)
そう思った僕は、ビーグル犬の横の床の上に座り、彼をそっと抱き上げた後、
そしてペットフードを数個手のひらに乗せて、ビーグル犬の口に持って行った。
鼻先までペットフードを寄せられたビーグル犬は、
クンクンと数回匂いを嗅いだかと思うと、ここで
(この子は自由にご飯を食べる事もできない状態なのか。)
その様子を見ていて、また胸が少しズキンと痛んだ。
とりあえず、暫くは手の上にペットフードを乗せて食べさせる必要がありそうだな、と思った。
僕は用意したペットフードを全て食べさせ終えると、
再びビーグル犬を床の上に座らせ、水を入れた容器を鼻先まで運んだ。
そうすると、ビーグル犬は漸く水を飲んだ。
(喉が渇いてたはずなのに、与えてやらないと自分では飲めないのか。。。)
この子を変えるのは容易ではないかもしれないと思った。
ビーグル犬にご飯とお水を与えた後、一緒に買ってきた自分の夕飯を漸く食べた。
そして、一緒に風呂に入り、ビーグル犬を綺麗にしてやってから、
風呂から上がってドライヤーで乾かしてやった。
「名前・・・付けてやらないとな。」
ふと頭をよぎったが、二人でベッドに座って暫くテレビを眺めていると、
いつの間にか寝入ってしまっていた。
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