#5 救われた命の行く末

街から遠ざかるようにタクシーで30分ほど行くと

保健所で教えて貰った保護ボランティア団体の建物が見えて来た。


道中、タクシーの窓から見える景色は、僅かながら木々や畑などの自然が見え隠れしていたが、

郊外の鮮やかな緑も、僕の目にはモノクロに見えた。今の気分がそう見せているのかもしれない。


まだ先ほど目の当たりにした現実がショックで、受け止めきれずにいるのだ。


僕が一言「引き取ります」と言えばあの老いたビーグル犬は助かるんだ。

でも、僕の今の生活を考えると2匹も飼えない。。。いや、無理をすれば・・・。


頭の中ではずっと葛藤が続いており、そのせいで僕の心の中はどんよりと沈んでいた。

この感情を表現するには、どういう言葉が適切だろうか、罪悪感?虚無感?悲嘆?失望?

一言では言い表せない気持ちが、僕の胸を締め付ける。


僕は何故こんなにもあの老犬の事が気になるのだろう。

勿論、申し訳ないという罪悪感はある。何も出来ないという虚無感はある。

でもそれ以外に心に引っ掛かるこの思いは何だ・・・ろ・・・う


!!!


そうだ、あの老犬は僕に似ているんだ。

独りポツンと世界に残された絶望感と、全てを諦めた目。そして、哀れだ。

僕がこれまで必死に隠して来た本当の自分、それにそっくりだった。


誰にも愛されず、誰にも必要とされない、孤独で哀れな僕。

あの老犬を見てるとまるで自分を見てるようで、だからこんなにも心を掻き乱されるのか・・・。


それでも、保護ボランティア団体の敷地に入ってタクシーを降りた後、

意を決し、前向きに気持ちを奮い立たせて建物の入口へゆっくりと向かった。


せめてあの犬だけでも救うんだ!


夢で犬の中に居たせいか、その犬の事を自分の分身のように感じていて、

その犬を処分されるという事は、自分の半身を失うようなものだと感じていた。

だから、どうしても命を救いたいと思っていた。


保健所で殺処分から救うという使命は達成されたが、

ここでも引き取り手が見つからなかった場合どうなるかわからない。

だから、一刻も早く自分が引き取りたいと思っていたのだ。


そして、その思いを叶えるべく、この保護ボランティアの事務所へやって来た。


事務所の敷地は、郊外という事もあってとても広くて、

きっと、保護された動物たちのストレスを少しでも和らげようとの配慮なのだろう。


門を入ると、田舎の小学校の校庭ほどの広い庭?が広がり、

事務所と思われる学校のような建物と、

その後方にも保護動物たちが暮らしているであろう建物が何棟も並んでいた。


庭や建物の様子から察するに、この保護ボランティア団体の施設は、

どうやら廃校になった小学校を利用しているようだ。


動物たちが暮らしているであろう建物の横には、

これまた広い芝生のスペースが金網で囲まれていて、

恐らくドッグランとして使用されているのだろう。


ここは保護犬にとって、保健所より遥かに天国のようだ。

ただ、本当の飼い主が見つかるまでは安心できない。


こういったボランティア団体では、少数のスタッフに対し大勢の保護動物が住んでいるため、

ちゃんと飼い主に飼われているペットと比べ、どうしても目が行き届かない。

愛情が足りないとは言わないが、世話をする人手や物資が絶望的に不足しているのだ。


以前ネットで見た物資や寄付を募るそんな広告を、敷地に入ってから僕は思い出していた。


そして、事務所の入口近くに来ると、入口前の広いスペースにはバンが止まっており、

バックドアを開けて、スタッフ数名で連れて来た保護動物をちょうど下ろしているようだった。


今回バンのバックドアから運び出されたケージは2個だった。

恐らくあの保健所から連れてきた2頭が入っているのだろう。


バンの周りには何組かの家族が集まっており、ケージが下される様子を見ていたが、

ある家族が、そのうちの1匹の犬に目が留まったようで、

ボランティア団体のスタッフと思われる人に、抱かせて欲しいとせがんでいるようだった。


スタッフは「ちょっと待って下さいね」と言いながらケージから犬を出し、

「落とさないようしっかり持って下さいね」と言ってその家族に渡した。


家族に渡された保護犬は、まだ若いシベリアン・ハスキーだった。


夢の中では、鏡などで自分の姿を見る機会はなかったが、

何故か僕はこのシベリアン・ハスキーが、夢の中の僕だと確信した。


もう一方のケージの中に居た幼い犬には見覚えがあったので、間違いないだろう。

その幼い犬は、保健所に居た時、隣で誰かを思い焦がれて泣いていたあの柴犬の子だ。


この幼い柴犬にも他の家族が興味を示していたので、

恐らく2匹とも無事に家族が決まるだろう。そう思うと少しは心が晴れた。


そして、僕は暫くこの2匹の様子を見守っていた。


無事に引き取って貰えるのを見届ける事で、

心に残る虚無感や罪悪感を、少しでも拭えればと思っていた。


自己満足といえばそうなのだけど、それでも今の心境のまま帰る事はできなかったから。


幼い柴犬を抱きかかえていた家族は、その柴犬をとても気に入ったのだろう、

早速スタッフに譲渡の手続きをして欲しいと言っていた。


とても優しそうな夫婦と、小学生くらいの女の子の家族で、

この家族に貰われていけば、この幼い柴犬もきっと幸せに過ごせるだろう。


柴犬は相変わらずキャンキャン泣いていたけど、

今の僕にはもう、なんて言っているのか理解出来なかった。


家族は一旦柴犬をスタッフに返すと、


「手続きや、今後の流れを説明しますね。」


と別のスタッフに案内されながら、共に手続きのため建物の中へ入っていった。


シベリアン・ハスキーを抱いていた家族も、引き取りたいとスタッフに申し出ていた。

「ではこちらへ」とスタッフに案内されて、その家族も一旦犬をスタッフに預けてから、

建物の中へ入って行ったが、僕はこの家族の事がとても気になっていた。


先程の家族と同様、夫婦と娘の3人組だが、娘は高校生くらいで、そして車椅子だった。

しかもあの老犬と同じように虚な目をしている。


母親と思われる派手な出立ちの女性が、


「良かったわね。前の子と似たような子が見つかって。」


と、車椅子の少女に話し掛けていたが、少女の表情は全く変わらず、

ずっと虚な目で前だけを見つめていた。


何もかもを諦めてしまったかのような目、あれは心が死んでいる目だ。

そんな目をした少女がとても気になって、僕はその場を離れられなかった。


15分程経って、さっきの2組の家族と、

それぞれの家族を案内していたスタッフが建物の中から出てきた。


「じゃぁ、また後日ご連絡しますね。

簡易審査が通れば自宅訪問、その後、1ヶ月のトライアルになります。」


スタッフがそれぞれの家族に伝えていた。

どうやら譲渡は即日では無く、いくつかのステップを踏まなければならないらしい。 


それならば、、、

と、僕もあのシベリアン・ハスキーの引き取りに名乗りを挙げるため、

車椅子の少女の家族を担当していたスタッフに声を掛けた。


普通であれば譲渡の予約が入った時点で、

僕は身をひいてあのシベリアン・ハスキーとあの家族の幸せを願うところだが、

車椅子の少女の虚ろな目に嫌な予感がして、そのまま渡してしまいたくなかった。


「すいません、先程居たハスキー犬を引き取りたいんですが。」


そう言った僕の言葉に対するスタッフの返事は、


「既に引き取りの予約が決まったので、そちらでのトライアルが済んで、

相性が合わずに引き取らないとなった場合のみ、引き取り希望が出来ます。」


というものだった。一足遅かった。


「直に譲ってくれとお願いするから」とあの家族の連絡先を尋ねたが、

流石にこのご時世だ。個人情報は教えて貰えなかった。


これ以上僕に出来る事は無かった。

シベリアン・ハスキーとあの家族が仲良く元気に暮らすのを祈るばかりだ。


『願わくば、保護犬と接する事であの少女が心を取り戻しますように。。。』

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