ぶっこめ

ぶっこめ




 幼馴染に彼氏ができた。

 二か月ぶり通算十五人目の彼氏である。

 ……

 ……

 数字だけで評価するならば、幼馴染こと三枝木さえきかをるは恋多き少女と評価できる。多淫かどうかは定かではないが、世間一般的には美少女と呼べる容姿の持ち主だと思う。


「誤解を恐れずに言えばね、まさみ君。私は美人になるまでの工程が少ないだけなんだよ」

「工程」

「そう。清潔な身なりを意識して口を閉じていたら、私は美人と評価される。

 生徒会長の松本先輩の場合、適度な運動と割と厳しめなカロリー計算それに毎朝45分程度のメイクが彼女の美貌を形成する上で必要となる。

 細野副会長なら、加えて校則違反にならない程度の補正下着が。

 書記の高橋さんの場合、二―ソックスで絶対領域を演出したり、立体縫製で身体のラインを強調した合法ギリギリの制服を着用且つ快活な言動と性差を問わない距離間の近さが。

 斯様に個人間で工程数の多寡はあるものの、手塚市立水木高等学校男子生徒達のズリネタ四天王の美貌は基本的に創意工夫の産物だ。手間賃を考えればシリコン工芸品オ●ホールよりもコスパが悪いと思う」

 

 彼氏ができた報告という建前で我が夕張家に来た幼馴染は、屋久島産の煎茶を片手に熱弁する。できれば熱弁して欲しくなかったが。


「ズリネタ四天王っすか」

「オ●ペット四人衆とも呼ばれているね」


 口を開かねば美少女である。三枝木かをるという存在は。

 地元でもそこそこ有名な進学校。美少女ばかりで構成された生徒会にて会計を担当している幼馴染は、我が家の居間に現れるや今の長椅子を占拠しながら堂々と宣ったわけである。

 自分達が男子生徒たちの性欲の捌け口になっていると。


「念のために言っておくけど、学生間で出回っている画像の九割方は雑な加工をした粗悪な合成写真だと思う。例えば先週局所的に流行った私の自撮りとやらだが、これは某国の有名な配信者の動画から切り取ったものを加工したと考えられる。少なくとも私なら一房数千円は下らない葡萄を食すならば、やはり上の口に――すまない、何のリアクションもないと非常に辛い。反省している」

「そういう話題を躊躇なくぶっこむから、十五人目の彼氏が交際三十分で逃げ出すんじゃないかな」


 十五人目の彼氏君。

 一年生の図書委員らしい、純情そうで背の低い少年だった。

 放課後の図書室で物憂げに文学作品を読む姿に一目ぼれしたそうで衝動的に告白されたとか。そして彼らの交際期間は自販機のココアが冷める頃には終わってしまったようだ。


「文豪の女性関係について少々ハードな方向で語ったら三十分で別れを切り出されたのは納得できない」

「実の姪を孕ませた挙句にフランスに逃げて帰国後に再び姪と関係を持ったブンゴー様の逸話を嬉々として話し始める、外見だけは清楚な文学少女かあ。それは恋心も一瞬で覚めるかな」

「ぴえん」


 交際三十分というのは過去二番目の記録である。

 ちなみに最速記録保持者は、告白五分後に「ごめん、しっくりこない。まさみ君は恋人というよりは身内枠のようだ」と言われた僕なのだが。


「向こうが頭を冷やすの待って関係再構築する可能性は?」

「振られた後に、元カレ君のクラスメイトっぽい女子が急接近してたからねえ」


 なんか私ってば最初から当て馬だったんじゃないかな。

 どことなく悟ったというか諦観じみた視線を宙に彷徨わせながら、程よく温い煎茶を啜る幼馴染。破局も十五度目ともなれば多少は諦めがつくのか。いやいや一方的に告白されたと思ったら即座に失望されたのだから、心が揺らぐ前に事が済んだだけという解釈も成立するか。


「内面を見てくれないなら、私は所詮ズリネタ四天王でも最弱」

「不死身っぽいのに刺されたらまとめて死にそうだね」

「んほおおおおお」


 けらけらと笑い、飲み終えた煎茶椀をテーブルに置く幼馴染。

 自販機で飲まされたココアはよほど甘ったるかったのだろう。熱めに淹れた煎茶を開口一番要求してくるなど、ここしばらくの記憶にはない。猪口より一回り小さな器なので、飲むというよりは舐めるという表現が近い。口直しするならばその程度で十分だ。


「私には下品だとか破廉恥だとか罵りながら、あの二人が青春のほとばしりを零距離で注ぎ込む行為に没頭するのはどういう皮肉なのか」

「零距離っすか」

「初手ディープキスだった。最近の一年生は凄いね」


 現役の高校二年生が笑う。

 勝手に惚れて勝手に傷ついて勝手に別れ話を切り出した純情多感な一年生の文学少年は、日記を交換するより先に互いの唾液の味を知ったようだ。空の狭さを嘆く前に天井の染みを数える事になりそうだったよ、と続ける幼馴染の横顔に翳りの類は見えない。


「感動的ですらあった。居合わせた鳥嶋教頭が物凄い笑顔で二人を連行していったのは、まるで溶鉱炉に沈む未来ロボットを見ている気分だったよ」

「色々と台無しだよ」


 幼馴染との距離感がつかめないのは今に始まった話ではない。

 最初に告白した時も、即座に別れ話を切り出されたというのに、当たり前の顔で僕の家に遊びに来て風呂と夕飯をせしめたのが彼女だ。もちろん告白の顛末は一切隠されることはなく、僕も彼女も弄り倒されている。


「いいかな、まさみ君」

「ん」

「普通、こういう時はさ。幼馴染の女の子を慰めたり告白やり直して今までの距離感を一気に詰める、そういうタイミングじゃないかな」


 十五連敗はさすがに堪えたのか。

 こちらに振り返ると両手を突き出すように伸ばしてくる。幼子が抱擁を求めるような仕草は、求愛の形にも見える。


「いま私を抱きしめると高確率でまさみ君の彼女になってしまうよ」

「具体的な数字は」

「威力100命中75くらい」


 ■ケモンかよ。

 目を閉じて唇を突き出していたので、父が晩酌の当てに買い置きしてあったスルメを押し付けた。長崎県五島列島産でアオリイカを干した絶品だ。


「……まさみ君。イカ臭いキッスとか初っ端からえぐいプレイをするとか想定外だよ。あと歯ごたえがすごい。顎が健康になりそう」

「じゃあそれ喰ったら今日は解散ということで」

「待ちたまえ、まさみ君。傷心の幼馴染をそのまま帰していいのかい。このままだと君は大変なことになってしまうんだが」


 カリカリに乾いたイカゲソの先を齧りながら抗議の声を上げる幼馴染。

 アオリイカを原材料に用いたそれは父秘蔵の品だが、失恋で傷ついた幼馴染の心を癒すには十分だろう。


「大変なことというと?」

「とりあえず私はSNSに『幼馴染でボーイフレンドのまさみ君にイカ臭いものを口いっぱいに突っ込まれて顎がつかれた』と書いて投稿するよ」

「まって」

「それから、このゲソをおしゃぶりする音声だけ収録してASMRっぽく放流しよう。『まさみ君の固くてイカ臭いのが唇を何往復もして、ふやけるまで止まらない音60分耐久』とかそういうタイトルで」

「おいばかやめろズリネタ四天王最弱の女」

「うん。私は弱点丸わかりで即落ち2コマのチョロイ女なんだよ」


 スルメを剥がすように取り戻したら、悪戯っぽい笑顔で挑発された。

 どういうわけかスルメを持つ手を彼女が両手で包み、がっちりと固定して放そうとしない。


「僕は、一度失敗してる。僕では駄目だと言ったのは君だが」

「あれは私の失敗でもあったよ。勢いで告白を受け入れて、勢いでダメにした」


 五分間の彼氏彼女とか酷いものだよねと幼馴染は笑顔を苦く崩す。手は握られたままだ。


「あの時三枝木に身内枠と言われて、僕は否定できなかったよ」


 好きだったし彼女になってくれたらと願いもした。

 でも彼氏彼女の関係になって僕は幼馴染の少女に何を望むのか。自問して、いつもの暮らしの中に求めていたものが全てあったと気づくのに数年かかったけど。だから幼馴染が他の男と付き合って、辛くはあったけど、そういうものだと受け入れる側面もあった。

 悔しいけれど僕は身内なのだ。世間一般の兄弟姉妹程度には深い絆があるのではと思い、そうであることを願いもした。そう願わなければ嫉妬と後悔で気が狂いそうだった。

 だが今の幼馴染はそれでは駄目らしい。


「そもそも、だよ。まさみ君と私が恋人になったとして」

「うん」

「世間一般の恋人同士がするようなことは、告白される前に一通り済ませていると思わないかな」

「うん……うんん?」


 僕が幼馴染に告白したのは十歳頃。


「僕とまさみ君が恋人になったらさ、それはもう残されているのはセッ【カク倫】くらいしかない訳だって思わない?」

「極論、過ぎない、かな」


 いくらズリネタ四天王だからといって美少女が真顔で口にしてよい単語ではない。

 あと手を握られてるので、幼馴染の体温が上昇しているのが分かる。


「まさみ君も私も当時十歳でさ。恋人の証明として【カク倫】クスしまくるのは色々と問題あるよね。たぶん上手に避妊とかできないだろうし、覚えたてのサルみたいな男子がそこまで気を遣える訳ないし」

「ぐ……ぐわぁぁあ、否定、できない」

「パパは小学五年生とか、晩婚化社会に中指突き立てるような見出しが新聞記事を飾ると思うとね。私としては許容できなかったといいますか」

「……ママも小学五」

「それ以上は言ってはダメなんだよ、まさみ君」


 色々と危険だからね、と。

 可愛いのに凄みのある笑顔に気圧される。


「当時の私たちは恋人になったらセ【カク倫】スせざるをえない状況だった」

「いや今でも大して変わらんような」

「結婚しよう、まさみ君」

「――は?」

「結婚して、セックスレス夫婦として成人するまではプラトニックに暮らそう!」


 エウレーカ!と叫んで風呂場から飛び出した古代の偉人のような表情で、幼馴染である美少女は僕の手を握ってそう宣った。


 どうしよう、どこから突っ込めばいいのか分からない。

 三枝木の御両親に連絡かな。


「まさみ君と夫婦になれば、私は身勝手な理由で告白されたり別れを切り出されることもない。ズリネタにされるのは業腹だけど、私がまさみ君をズリネタにし返すからそれはそれでよし」


 いや、よくないが。

 大葉とか紫蘇の実とかそういう合法おハーブでもキめていらっしゃる?

 高知から取り寄せた鰹のタタキを一緒に食べたのは先週だろう?


「とにかく! プラトニックな恋人関係とかそういう生ぬるいプロセスなど省略してセックスレス夫婦として生きていこう! 縁日で貰ったやっすい指輪とか、修学旅行で立ち寄った街の露店で一緒に選んだペアリングとか、そういうのが実質婚約指輪だったとかそういうカバーストーリーは完璧だから!」

「ありもしない記憶で外堀埋めてきたぞこの女ぁ!」




 ▽▽▽



 その後、というか。


 幼馴染である三枝木かをるは入院した。


 スイ●バーを突っ込んで精神崩壊した訳ではなく、複数の感染症を同時に併発して。どうやら件の十五人目の元カレ少年が御実家の家族より伝染したらしく、隔離された濃厚接触者全員が発症するという事態に発展した。

 感染者が在校生の六割強というなかなかシャレにならない数字を叩き出し、我が校は一時閉鎖と相成った。無事だったものを中心にリモート授業を試みる動きはあるものの、実施には至っていない。


「身内枠なんで看病は任せて。飯は食べたな。薬も飲んだな。汗を拭こうな。下着とパジャマ、汚れたのは回収するぞ。シーツと電気毛布も洗ったのをすぐ交換するから、しばし待て」

「うわああああん、乙女の尊厳が、乙女の尊厳が」


 ズリネタ合成写真は平気なのに、無駄毛が伸び始めた手足を見られるのは駄目らしい。


「も、もう生きていけない。許さない。身内枠とか、関係ないし。責任取ってもらうから」


 取らされるようだ。





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