act.5「いやそれ、めちゃくちゃ毒薬じゃないですか」
「――さ、青年。早くこっちに寄りなさい。でないと……記憶が消し飛ぶわよ?」
懐から取り出した端末で何かの作業を終えた千景さんは、いきなり物騒なことを言い出す。
「消し飛ぶって……どういうことだよ!?」
「いいから、早くこっちに」
そう言って千景さんは、俺の袖を引っ張り、強引に手繰り寄せる。
「ちょ……!」
そのせいで体制を崩した俺は、千景さんに寄りかかるような体制になる。
千景さんの髪の毛が俺の鼻先を掠める。
良い匂いがした。
……って、何考えてんだ、俺は!
「一体、なんだっていうんだよ!?」
「少しの間黙ってなさい、じゃないと放り出すわよ」
「むぐ……」
どういうことなのかさっぱり分からなかったが、千景さんの表情を見る限り嘘や冗談を言っている訳ではなさそうだった。
俺は彼女に言われた通り、口を噤む。
「よし、良い子ね。お姉さん、素直な子は好きよ」
いやまぁ、こちとらアラサーに片足突っ込んでるんですけどね。
ていうか、お姉さんって……そんな歳じゃないでしょ、あなたも。
大人しくしている俺を尻目に、千景さんは持っていた端末を空に掲げる。
その瞬間、端末を起点として俺たちを覆うように透明な膜が生成されていた。
……それは、先程まで空を覆っていたものと同じに見えた。
「これでよし、と」
「なんだ……これ……?」
俺は我慢できなくなって独り言のように声を漏らす。
それに千景さんは、当たり前のように答えた。
「これは、AMF――『アンチ・マジック・フィールド』――簡単に言えば、魔法を遮断する結界みたいなものよ」
そうか……。
さっきまでそれで空を覆っていたのは、怪異の魔法による被害を抑えるためか……。
……って、あれ?
「……なんでそんなものを俺たちの周りに張ったんだ?」
怪異はもう倒されて、脅威は去ったはずなのに。
「ああ、それはね――」
千景さんが答えようとした、その時――、
――怪異が荒らし回っていた街の全体を、眩い光が包む。
「な、なんだ……?」
「――魔法よ」
「え……?」
「……青年は、メン・イン・ブラックって映画見た事ある?」
「いや……」
「そう? 面白いのに」
「はぁ……」
「その映画にね、ペンライト型の装置が出てくるんだけど……それを使えば、主人公の任務を偶然目撃してしまった通行人の記憶を消せるの」
「……一体、何の話を――」
「――つまり、それと同じよ」
「は……?」
「だーかーらー、記憶消去魔法を展開したのよ。目撃者の記憶を消すためにね。……もっとも、私たちはこのAMFに守られているお陰で無事だけど」
「マジかよ……」
じゃあこの結界の中に入ってなかったら、俺の記憶も消し飛んでたってことか……。
その光は数十秒間続いていたが、やがて一本の線へと収束し、元の景色が戻ってくる。
しかしその景色は、光で包む前のそれと全く変わり映えのしない、瓦礫の山が広がっていた。
「あれ……? 変わってない……?」
戸惑う俺を見て、千景さんは呆れたように言う。
「バカね……そんな簡単に片付けられる訳ないじゃない。あの光はあくまで、一般人の記憶を消すだけ。この惨状は、そうねぇ……交通局の連中に頼んで、交通事故として処理でもしてもらおうかしら」
んな、無茶苦茶な……。
交通事故の範疇を軽く超えてるんだが……。
すると千景さんは、俺の表情から考えていることを悟ったのだろう。にっこりと笑ってこう言った。
「どう? 楽しい職場でしょ?」
……ああ確かに。楽しいね。
楽し過ぎて、気絶しそうだけど。
◇◇◇
「……それで、俺は何をすりゃいーんだよ」
千景さんの車に一緒に乗り込んだ俺は、運転する彼女に向かってそう尋ねた。
魔法少女のために働いて欲しいって話は聞いたけど……具体的に何をすれば良いのか、その辺のことはまだ一切聞かされていなかったからだ。
「男の俺じゃ結局魔法は使えねーんだろ? だったら体内で魔力が精製できる体質だったとしても、たいして意味ねーじゃねーか」
俺がそう言うと、千景さんはハンドルを握りながら鼻で笑った。
「その通りよ。……男のままならね」
「は……? どういう意味だよ?」
「ま、じきに分かるわよ」
そう言ったきり、千景さんはそれ以上何も教えてくれなかった。
そんな千景さんの運転に付き合うこと、数十分――。
俺は、山奥に聳え立つ、一見すると病院のような謎の施設の前に連れてこられていた。
「なんだここ……?」
「さぁ、こっちよ」
千景さんは呆気に取られている俺を気にする素振りも見せず、さっさと歩いていってしまう。
「ちょ、おい……待てよ……!」
俺は千景さんのを見失わぬよう、小走りで彼女について行った。
「――ここは魔法少女用の装備を開発するための実験施設よ。中は重要機密の山だから、あまりキョロキョロしないように。……もっとも、今の貴方が見たところで、何も分からないでしょうけど」
果たして千景さんの言った通り、施設の中はなんだかよく分からない装置ばかりだった。魔法少女に関する何かであるのは確かなんだろうが……少なくともその時の俺には、それらの意味するものがなんなのかは、まったく想像もつかなかった。
そうしているうちに、千景さんは施設の最奥にあるある扉の前で立ち止まった。
「……さ、ここよ」
扉を開けて入ると、中は真っ白な部屋だった。
窓一つなくて……あるのはパイプで出来た簡素なベッドと、何の用途で使うのかまったく分からない大仰な見た目の機械。
そして……そのすぐ横には、女性が1人立っていた。
「もう、遅いですよ学院長」
「ああ、ゴメン莉子。ちょっと説得に戸惑っちゃってね」
千景さんに莉子と呼ばれた女性は、俺のことをマジマジと観察するように眺めた。
「この人が、例の……」
「そ。……ところで、例の薬は手に入った?」
「あ、はい。これです」
そう言って、女性は謎の小袋を千景さんに手渡した。受け取った千景さんは、それを眺めながら満足そうに呟く。
「さっすが莉子。やっぱできる女は違うわねぇ」
「もう……大変だったんですからね。刑事局の人たちを言いくるめるの」
「それはそれは……ご苦労様」
「……何だよ、それ」
俺はたまらず、千景さんに尋ねる。
小袋の中には、カプセル錠が一粒だけ入っていた。
千景さんは俺に向かって、ニヤリと笑った。
「これは、魔法が使えるようになる薬よ。……たとえ貴方が、男でもね」
……つまり、俺にそれを飲めってことか。
「……危ない薬じゃねーだろーな?」
「そうねぇ……」
千景さんは少し考えてから、俺にこう言う。
「コナンで言ったら、アポトキシン――」
――いやそれ、めちゃくちゃ毒薬じゃないですか!?
怯む俺に対し、千景さんはこう言った。
「――あら、別に飲むのも飲まないのも自由よ。自分自身の意志で選びなさい。飲んで魔法の力を手に入れるのか、それとも――飲まずに何もかも忘れるのかをね」
その口元には、俺の心を見透かすような微笑が浮かんでいた。
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