act.4「アットホームな職場です」

 藍染千景から怪しげな薬を飲まされ女体化して――あれから丸1日が経った。

 目が覚めた直後は何も思い出せなかったが、時間を重ねるうちに、俺の身に何があったのか、少しずつ思い出していた。

 怪異との遭遇。

 そして、魔法少女との出会い――。


 まだ断片的に思い出せないこともあるが、それは千景さんの言葉借りるのなら、追々思い出すということなのだろう。

 

 目を覚ましてからしばらくは、記憶の混乱を理由にあの真っ白な部屋の中に軟禁されていたが、やがて落ち着きを取り戻したのが認められたようで、3日目にしてようやく解放されたのだった。


 自由を与えられた俺がまず向かったのは、自分の住んでいる部屋だった。


 オンボロアパートの、1階角部屋。

 家賃が安い代わりに、日当たり最悪で壁も薄い――もはや住所と寝床を確保する以上の意味を持ちあわせていない――そんな劣悪極まりない環境の部屋だった。

 

 とはいえ男だった頃はそこまで気にしたことなどなかったのだが……女体化した今だったら言える。ここは人の住む場所じゃない。

 現にこの部屋に入る前に別の住人とすれ違った時……微かに舌打ちが聞こえた。

 たぶんすれ違った彼は、誰かが女を連れ込みやがったな……と思ったのだろう。

 分かる。分かるぞ……。

 めちゃくちゃ壁が薄いから、マジで聞こえるんだよな……。


 女体化にあたって千景さん――警察側から新しい住まいが用意されるということだったから、こんな場所、もう来る必要も無かったと言えばそうなのだが……流石に今までの荷物全部捨てていくという訳にもいかず、持っていくものとそうでないものを選別しに戻ってきたのだった。


 ……と言っても、持っていきたいものなんて、そうは無い。

 服は女体化したことで着れなくなりほとんど要らなくなったし、生活家電とかそういう類は向こうで用意してくれるらしいから、たぶん要らない。


 それ以外となると……思い出の品とかそういうものなのだろうが……。

 残念ながら、俺にそんなセンチメンタルな感性は存在していなかった。


 ただ、ひとつ気になるものがあるとすれば……。

 

 それは、窓辺に置いてある写真立て。

 その写真に写っているのは俺、ではなくて……見知らぬ少女2人だった。


 小学生くらいだろうか。

 もっとも写真自体古そうだから、今もまだ小学生ということは流石にないだろう。


 別に知り合いという訳ではない。

 じゃあなんで俺の部屋に置いてあるのかというと……それが分からないのだ。

 もっとも、俺が忘れているだけで、もしかしたら面識のある誰かなのかもしれないが……。


 俺はその写真の中に写っている少女のうちの1人を見つめ――そして誰に言うでもなく呟いた。


「やっぱ……似てるよなぁ」


 そう。

 その写真の少女のうちの1人が、何となく似ているのだ。


 あの日、怪異と戦っていた、あの魔法少女と――。


◇◇◇


「――……そう、終わったのね。じゃあ、後処理をお願い。私はまだやることがあるから」


 千景さんの車に乗せてもらい、怪異の危害が及ぶエリアから避難してきた俺。

 遠くの方で、魔法少女に倒されゆっくりと消滅してゆく、先ほどの怪異の姿が確認できた。


 千景さんは電話越しの誰かとの通話を終えたようで、スマホを懐に仕舞うと、俺の方に向き直った。


「で……考えてくれた?」


「……何をだよ」


「何って……決まってるでしょ? さっき言った――私の下で働く気があるのかどうかよ」


 まぁ……やっぱそれだよなぁ……。

 突然のこと過ぎて、思考が追いついていない。


「こんなアットホームな職場は他には無いわよ?」

 ブラックな臭いがぷんぷんじゃないですか。やだなぁ……。


「まぁ、冗談はさておき」

 いや、冗談かい。


「私の提案に、何かご不満でも? 3食寝床付きな上に、福利厚生も充実……今の貴方の仕事環境より、はるかにマシなのだけれど」


「……なんで、俺なんだよ」


「だからさっき言ったじゃない。貴方みたいな魔法の素養がある男は珍しいって」

 魔法の素養って……そもそもそれが、なんかピンとこないんだけど……。


「それって、俺もあの魔法少女みたいに、魔法が使えるってことか?」


 そう尋ねると、千景さんは首を横に振った。


「いいえ。結局のところ魔法は女じゃないと扱えない。何故そうなのか、原理はよく分かってないんだけどね」

 じゃあダメじゃん。

 だが、千景さんは続けた。


「だけど……貴方にしか出来ないこともある」

「え……?」

「……魔法少女たちは、貴方が考えている以上に脆いのよ。色々と、精神的にね。だから支えてあげられる人間が必要なの。そして……それを私は、貴方に頼みたい」

「俺に……」


 俺の脳裏には、先程怪異と戦っていた、魔法少女の姿が思い浮かぶ。

 ひと目見たときに、気付いた。

 俺の部屋にある、少女2人が写った謎の写真立て。

 あの2人の少女の片割れに、あの魔法少女はあまりにも似過ぎていた。


「……さっき戦っていたあの子も、何かを抱えてるのか?」

「気になる?」

「……話くらいだったら……聞いてやっても良い、かも」

 俺がそう言うと、千景さんは、ふふんと鼻を鳴らした。


「よし、そうこなくっちゃ。それじゃ、善は急げ――」


 その時だった。

 空を覆っていた透明な膜――さきほど千景さん『AMF』と呼んだそれが、突如として弾けて消えた。


「――……ったく、綾瀬あやせのやつ……仕事が早いのは立派だけど、こういう時の空気の読めなさはなんとかして欲しいわね」


 そう千景さんは面倒臭そうに呟くと、先程俺にホログラムを見せたあの端末をもう一度取り出して、何かの操作を始める。そして、操作が終わると俺に向かって微笑んだ。


「さ、青年。早くこっちに寄りなさい。でないと……記憶が消し飛ぶわよ――?」

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