act.3「割のいい仕事があるんだけど」

「……女の子?」


 いきなり地面に突っ伏して動きを止めた――怪異と呼ばれる怪物。

 そしてその上から現れたのは――黒髪を靡かせた少女だった。

 あれ? あの子……どこかで……。


「あの子は――」

「――だから、魔法少女よ」


 隣にいた女がそう言った。


「魔法少女……?」

「さっき言ったでしょ? 怪異は魔法じゃないと倒せないって。そして……魔法少女は、現状魔法を扱える唯一の存在」


 なんだかよく分からないが……それってつまり、あの子じゃないと怪異は倒せないってことか?

 これほどの大きさの怪異を一瞬でぶっ飛ばすあたり、かなり手慣れているようだが……。


 しかし魔法少女とは言うが、見た目は普通の女の子だった。

 飾りっ気のないその服装も、魔法少女の服というよりは、どこかの学校の制服みたいだし……。


 少女は、怪異の背中に立ったまま、自分の持っている機械でできた箒みたいな道具に向かって喋りかけていた。おそらく、無線機か何かで仲間と連絡を取っているのだろう。

 その少女のどこか安堵した表情を見るに、どうやら怪異の脅威は去ったらしかった。


 良かった……。

 あやうく俺も、自転車と一緒にペシャンコになるところだったからな……。


「……どう? 初めて怪異と、魔法少女を見た感想は?」


 女は俺に、そんなことを聞いてくる。


「どうって……」


 正直、まったくと言っていいほど現実感がない。

 これほどの光景を見せられてもなお、やっぱり夢だったんじゃないかと思いそうになるほどだ。

 プラカードを持ったカメラクルーが現れて、ドッキリでしたと言ってくれた方が、よほど納得できる。


 だが実際は、ドッキリを告げてくれる人間はどこにもいなくて。

 そばにいるのは、すべてを知っているふうな口を利く、謎の女だけだ。


「なあ、あんたは……」

「ん?」

「何者なんだ? どうしてあの子が魔法少女だってことを知っている?」


 この現場にたまたま居合わせた俺とは違い、この女は自分からこの場所に来た。ということは、どう考えても魔法少女の関係者だ。


「そうねぇ……」

 女は、俺の質問にどう答えたものか一瞬の逡巡を挟んだあと、妖しい笑みを浮かべてこう言った。


「色々と教えてあげたいのは山々なんだけど……その前に、そろそろこの場所から移動した方がいいかもね」

「は……? なんで……?」

「だって――」


 そして女は、先ほどの地面に沈んだ怪異を指差す。


「――この怪異、まだ死んでないから」


「え……?」


 女の言葉を裏付けるように、怪異の長い脚がピクピクと動き出す。

 そして、次の瞬間――、凄まじい勢いで跳躍し、上に乗っていた少女を跳ね飛ばした。


「――っ!?」


 油断していた少女は、そのまま空に放り出されてしまう。が……持っていた機械仕掛けの箒に跨り、空中で体勢を整えていた。

 俺はその空中で浮遊する少女の姿を見て、思わず息を呑んだ。


「すげえ……本当に飛んでる……」


 あの子……本当に魔法少女なんだな……。

 飛んでいる姿をこうもしっかりと見せ付けられては、もうその存在を認めざるを得ない。


「ったく、速水のやつ……詰めが甘いんだから……」

 女は空に浮かぶ少女を見上げて、そう呟く。


「なんであんたは、あの怪異が死んでないと分かったんだ?」

 俺が問うと、女は俺の方を見ずに答えた。


「怪異はね……その99パーセントが魔力でできてるの。だから普通、活動を停止すると、端から徐々に組織崩壊が始まる。……だけどあの怪異は、それがまったく起こってなかった。まだ生きてる証拠よ」


 そうか、だから……。

 しかし、魔法少女も気付かなかったことを、こんなに簡単に見抜くなんて、この女……ますます何者なんだ……?

 

 少女は怪異のいる方へ向き直ると、まるで精神を統一させるかのように目を閉じて、その場で静止する。

 その瞬間、持っていた箒が眩い光に包まれ――ひと振りの剣に変化していた。


「はあぁぁぁッッ――!!」


 そして少女は、その剣で突進するように、怪異に向かって特攻を仕掛ける。


 俺と隣の女はしばらくその光景を見守っていたが――やがて女は俺に向かって口を開いた。


「――ねぇ、青年」

「はい?」

「さっきの質問、答えてあげようか?」

「……え?」


 女は、自分の懐から名刺入れを取り出し、そこから一枚を引き抜いた。

 そして、それを俺に手渡してくる。

 俺は、渡された名刺に印字されている文字を追った。

 そこに書かれていたのは――。


 ――翠桜華すいおうか女学院

 学院長 藍染千景あいぜんちかげ


 女学院――女子校の校長先生……?

 だが聞いたことがない学校だ。

 いや、女子校の名前を聞いてピンとくるほうがキモいけどさ。

 

 でも、この女が校長であることと、魔法少女になんの関係が……?


 俺が名刺と睨めっこしながら頭を捻っていると、やがてそれに気付いたのか、女が言った。


「……ああ、ごめんごめん。間違って別のヤツを渡しちゃった。本当はこっち」


 女は俺の手から素早く名刺を抜き取り、代わりに別の名刺を挿し込む。

 そこに書かれていたのは、俺の全く予想していなかった文字列だった。


 ――警察庁警備局怪異対策課 課長

 警視正 藍染千景


 ……って、警察庁!?

 しかも警視正って……めちゃくちゃエリートじゃねえか!!


「あんた……警察の人間なのか!?」

「そうよ、驚いた?」

「驚いたもなにも……警察がこんな怪物を相手にしてるなんて、聞いたことないぞ!?」

「まぁ、世間には公表されてない極秘の部署だから、無理もないわね」


 いや、だからって……。

 そんなことがあり得るのか……?


 俺が戸惑いを隠せずにいると、女――藍染千景は、ふと俺にこう問いかけた。


「――青年は、私がどうしてここに来たか分かる?」


 どうしてって……。

「……魔法少女を指揮するためじゃないのか?」

「まぁ、それもあるけど……この場所に、少し気になる反応があってね」

「気になる反応……?」


 藍染千景は、手のひらサイズの携帯端末のようなものを取り出し、それを起動する。

 端末は空中にホログラムで地図を投影し――その地図には、この場所付近が2つの点で示されていた。


「これは、魔力反応を感知する機械なんだけど……この近くに魔力を発している反応が2つ感知されてね」


 ……魔力の反応が、2つ?


 俺の反応が予想通りのものだったのだろう。

 藍染千景は、俺を見透かすような薄ら笑いを浮かべながら言った。


「ひとつは、いま魔法少女が戦っている怪異。そして、もう一つは――貴方、芹澤悠太郎せりざわゆうたろう


 ――お、俺……!?


 っていうか、それよりも……!


「なんで……俺の名前を知ってるんだ……?」


 自己紹介なんて一度もしてないのに……。

 俺の疑問に、藍染千景は当然と言わんばかりに答えた。


「申し訳ないけど、貴方のことは事前に調査済みなの。――芹澤悠太郎、26歳、独身、フリーター。今はコンビニでの夜勤バイトが終わってその帰り。どこか間違ってるかしら?」


 悔しいかな、間違っちゃいない。が……。


「どうして俺なんかを……」


「魔法の素養を発現する男は珍しいからね。それに、私個人が、貴方に興味があったというのもある」


 魔法の素養って……俺、今までそんなものを感じたこと、一度もないぞ……?


 すると、藍染千景は、俺にこんなことを切り出した。


「ねぇ、青年……私からひとつ、提案なんだけど――」

「……なんだよ?」


 それは、あまりにも予想外な提案だった。


「――割のいい仕事があるんだけど、興味ない?」


「へ――?」


 それはもう……あまりの予想外さに、面食らって一瞬思考が止まってしまうくらいには。


 そしてそれが―― 俺の運命を大きく変える一言だということを、この時の俺は、まだ知る由もないのだった――。

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