みにくい昨日のきみと怪物

日暮マルタ

第1話

 雨の日に僕が出会ったのは、濡れた子犬でもホームレスでもなく、一体の怪物だった。

 そいつは町外れの廃工場に身を潜めていた。僕は学校帰りにそいつを見付けた。岩のような体。大人の腰くらいの背丈で、黄土色。苔むしている。壊れかけのオブジェクトかと思ったが、そいつが身じろぎして寒さに震えているのを僕は見てしまった。

「追い出さないで……やっと静かな所に来れたんだ」

 震える怪物は僕に言う。僕はそいつを見て、一度後退りはしたものの、なんとなく無害そうな大きな目や、動きにくそうなその体を見て、そっと横に座った。

「君はどこから来たの?」

「人気のない場所を、転々と」

 その答えは、僕も怪物も同じ目的で移動していることを表していた。

「僕達って気が合いそうだよ」

 隣に座る僕に、怪物は怯えるように少し身じろぎした。

 彼に触れると、彼の体はごつごつと冷えていて、冷たかった。僕は何か友好の気持ちを示したくて、鞄からジャージを取り出して怪物に着せてあげた。

「あ、ありがとう……」

 怪物は戸惑っているようだった。

「この服、少し汚れているね……」

「ジャージっていうんだよ、この服」

 汚れているのは少しじゃなかった。洗ったけど、それでも牛乳の嫌な匂いがする。今日学校で故意にぶっかけられたのを今更思い出した。もはや日常と化していて、忘れていた。

 怪物に申し訳なくなった。こんな臭いジャージじゃ、寒さはしのげても不快だったかもしれない。でも、杞憂だったみたいだ。

「暖かいね……こんなに優しくされたの、久しぶりだ」

 こんなことで怪物は酷く喜んでいるようだった。

 誰かに優しくする、という行為で、僕は自分を慰めようとしている。


 それから放課後は廃工場へ、怪物に会いに行くようになった。廃工場は少し遠いけど、人がいなくて静かで、落ち着ける場所になった。

 給食の残りのパンを持っていったことがある。怪物はそんなところに!? と思うようなところに口があり、パンを食べて大きな目から涙をこぼした。

「美味しい、美味しい。どうしてこんなに優しくしてくれるの?」

 その問いに一瞬息が止まった。喜ぶ怪物に高揚していた気持ちが、一気に萎んでしまった。僕は自分のために、怪物の気持ちを利用しているのだ。なんて、みにくい。

「自分のためなんだ」

 声が震えた。怪物なら聞いてくれるんじゃないかと思った。いや、聞いてくれるだけのことを僕はしてやったじゃないか、と傲慢な思いが顔を覗かせ、僕は本当に自分が嫌になる。

「僕は、感謝されるような人間じゃないんだ」

「どうして? どうしてそう思うの?」

「それは……」

 怪物。人と関わるのは無理であろう容姿。この彼ならば、話しても聞いてくれるであろう。でも、軽蔑されたら? もう、側に置いてくれなくなったら? 冷たい反応をされたら? 僕はどうしても二の句がつげなかった。

 何も答えない僕を見て、怪物は話題を変えてきた。

「その指、痛そうだね。治療した方がいいんじゃない? どうしたの?」

「ああ、これは……いつものことだから」

 上靴にセロテープで画鋲が貼り付けられていた。無防備に上靴を掴むその場所に、悪意満載の貼り方だった。それに綺麗に引っかかったのだ。

 でも、これは前に僕がやったことと同じ……。

口元を手で覆う。胃液がこみ上げてきて、口の中までせり上がってきた。怪物の住居を汚さないように、必死にそれを飲み込む。飲み込む。

「どうしたの? 大丈夫?」

「大丈夫……だよ」

 怪物はこんな僕にも優しくしてくれる。僕は優しさの仮面を被っていい気になっている。本当の僕は、もっと酷い人間だ……それを知られたくない気持ちと、知ってほしい気持ちがせめぎ合っている。


「今日はどうしたの?」

 すっかり日課になった廃工場への通い。怪物はいつもと同じ位置にいて、僕の持ってきた毛布にくるまっている。近頃寒さも辛くなってきた。

「ちょっとゴミを被っちゃって」

「酷いことする人もいるもんだね。可哀想に」

 慣れたやりとり。僕は被害者面して、怪物の慰めを受けている。僕にも要因があったことを、怪物には言えずにいる。

「君はいじめを……受けているの?」

 ふいに怪物が聞いた。息が止まる。

「今はね……」

 僕はやけになったような気がした。言ってしまうか? いや、今しかない。初めて彼が核心的な言葉を発した、今僕は懺悔する。

「元は僕がいじめっ子だったんだ」

 僕は少しずつ、昔あったことを話した。怪物は沈黙したままただ聞いてくれた。遊びのつもりで、悪気なんて皆無だったこと。いじめていた相手が不登校になって、突然周りが手の平を返して今度は僕がターゲットになったこと。でも、全て自業自得なんだ。今は人に優しく、誠実にあろうとしている。けど、過去は変えられないんだ。そこまで聞いた怪物は、あっけらかんと言い放った。

「君は改める心を持っているじゃない。僕が君を許すよ。そんなことしかできないけれど」

 僕は噛んで含めるように僕の悪行を話した。少しずつ、全てを話していった。責められて当然だ。それなのに、怪物は僕を責めない。

「許すよ」

「許されちゃいけないんだ!」

 僕は叫んだ。何のためかはもうわからない。

 頬を熱い滴が伝う。言葉が出なくなった。

「許されて、いいんだよ。昨日までの君とは、もう違うんだから」

 その言葉は雪解けのようなものだった。

「雨、上がったみたいだよ。綺麗だね」

 僕はこれからも後悔し続けるんだろう。被害者に僕の後悔や反省は関係ない。だけど、怪物の存在が、僕には一つの救いだった。

「雨上がったね……」

 僕は震える声で返事をした。外をよく見たら、うっすらと空に色が付いていた。虹だった。

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