[38] 里

 不意にひらけた場所に出てくる。

 見上げるような大木、周囲には見慣れた形の小屋がいくつか並ぶ。それらは人工物というより自然の一部で、風景によく調和していた。時間というものがその作用を及ぼしているのかもしれなかった。

 大樹の根元には白い髭の長いおじいさんがひとり座り込んでいた。疲れてその場所から動けないという感じではなしに、まっすぐにこちらに視線を向けて、ずっと前から篠崎らがここに来るのがわかっていて、それを待ち望んでいたみたいだった。


 老人はこちらにむかって黙礼する。その視線は篠崎と佐原ではなく、後ろに立つドゥギャリテに向けられていて、受けとった方も同じく黙礼を返した。

 それで終わり。

 ドゥギャリテは老人と言葉をかわすことなく、また篠崎らに別れを告げるでもなく、後ろを向くと去っていった。それらの行為がどれほどの意味を持つのか2人にはわからなかった。けれどもド彼がもとより説明することを好まないことぐらい、短い付き合いでなんとなくわかっていたから、それ以上の詮索を不要だった。


 老人は動かない。今度は篠崎と佐原に視線を向けたままその場でじっとしている。

 篠崎が佐原の方を見ると頷きを返してきた。進むしか道はなさそうだ。

 大樹の根元まで特に急ぐでもなく歩いていって、老人に「こんにちは」と声をかける。老人は黙ったまま2人を凝視してから、数秒経ってようやく口を開いた。

「それをどうやって手に入れた?」


 それとはつまり佐原が腰にぶらさげている黒杖である。なんの変哲もない真っ黒い棒。魔力に一定の指向性を持たせることのできる特殊な道具。

 篠崎にはうまく使いこなせないが、佐原によればすさまじい武器であるらしい。彼の射撃魔法は黒杖の使役によって、威力も有効距離もともに強化されているという。また坊さんのゾキエフはその黒杖こそが森の民に認められたものの証になるだろうと語っていた。


 佐原は自分たちがサクと出会った経緯について説明した。ついでに召喚された勇者という自分たちの特殊な立場についても述べた。

「サクは元気か」

 老人は重ねて問いかけてくる。

 元気だった、数か月前に別れたきりでその後は知らないが、と答えたところ、その時になってはじめて老人は顔をほころばせてやわらかそうに笑った。


 座れというように老人は自分の正面にある木の根っこを指し示す。その通りに腰を下ろすと、老人は話をつづけた。

「何が知りたい?」

 彼の言葉は直接で簡潔だ。けれどもそれは事務的な感じがしなくて、ざっくばらんな打ち解けた印象を与える。佐原は答えた。

「召喚魔法の正体について知りたいです。それがいったいどのような目的で作られたのか、おそらくそこに僕らの今の立場を説明してくれる何かがあるはずです。少なくとも僕はそう考えています」


 つきつめるとそういうことになる。

 現在の篠崎らのアイデンティティの大半をこの世界に召喚されたという状態が占めている。究極のところ自分たちの立ち位置の不安定さはその魔法の構成がはっきりしないことに起因する。あるいは周りの人間がその不明瞭にのっかって自分たちを利用しようとしていることに。

 老人は目を閉じしばらく黙った。森のなかは不思議なほど静かで、葉の間からはやわらかな光が差し込んでおり、その時間は苦ではなかった。


「世界樹というものが存在する」

 老人はゆっくりと語りだす。

「大魔法使いが自らの記憶のすべてを遺すために構築したものだ。教会の管理する聖域、その最深部にそれは在る。情報の集合体こそが人間そのものだと考えるならば、彼自身がそこに保存されているとも言えるだろう」

 シュリンカー、1000年前の大魔法使い、召喚魔法を構成した人物。すでにその身は朽ち果てているが、隠然としてこの世界に影響を与える。魔王はその目的はわからないと言っていた。

 いったい彼は何を考えていたのか? その当人から話が聞けるとなれば、疑問の大半は氷解するかもしれない。もちろんそれが正直に説明してくれることが前提だが。


 死後に残された記憶の塊は嘘をつくことがあるかもしれない、ないかもしれない。

 勇者が来訪することを想定していて、かつ勇者に正確な情報を与えたくないと考えていたならば、偽の情報を渡してくる可能性はある。来訪を想定していない、または勇者に正確な情報を与えても構わないと考えていたならば、少なくとも彼が真とみなしている情報を与えてくれるだろう。

 現時点での感触として、彼がそれを想定していなかったとは考えづらい。だが勇者に正確な情報を与えたくないと考えていたならば、その世界樹をもっとアクセスしにくい状態にしておくか、そもそもそんなもの遺さなければいい。

 希望的観測かもしれないが、その場所にたどり着くことができれば、大魔法使いが何を考えていたのか、その一端ぐらいには触れることができそうな気がする。


 行き当たりばったりなようで少しずつ前進している感覚を覚えた。どのくらい離れているかわからないがゴールが確実に存在していることを実感した。

 けれどもその新たな手がかりを見つけた高揚に冷や水をぶっかけるように、老人は低く抑えた声で次のように述べた。

「残念ながら――お前たちではその場所にたどり着くことはかなわない」

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