[33] 今後

「俺たちはあまり王国の言い分を信用していない」

 魔王の問いかけに対し篠崎はその正直なところを打ち明けた。

 今ではそれは相手があまり説明をしないからだと考えている。こちらの信用を得たいのであれば向こうから伝えられることは伝えるべきだ。それをしないということは向こうはこちらの信用を得ようとはしてないとみなすことができるだろう。

 こちらとしてはどっちでもいい。信用しようがしまいが。


 その答えを聞いて魔王は余程愉快だったのか声をあげて笑った。

 笑わせるつもりなんてなかったのに。なんというかこの人と話していると微妙にリズムが崩れる。どういった感覚で言葉を交わせばいいのか見失いそうになる。それが彼なりの交渉術なんだろうか。多分違うだろう。何かもっと天然な、単にずれてるだけのような気がする。

 変わり者は笑い終えると再び3人に向き直った。

「さすがは城を離れて独立した生活の基盤を作ろうとしてる変わり者たちだよ」


 変わり者に変わり者と言われるのは心外だ。しかしどうやらこの男と今この場で殺す殺されるの関係にはならないようで安心できた。いずれ別の時間別の場所で対立することはありえるかもしれない。それはけれども誰に対してだってありうることだ。少なくとも現在においてそれが回避できそうなら問題ない。

 心が緩む。その隙を狙いすましたわけではないだろう。魔王はひょいとその言葉を投げ込んできた。

「近いうちに戦争がはじまるよ」


 ドゥギャリテが大仰にため息をついてみせる。

 まったく聞いたことすらない話だった。もとより王国と魔王領とは長年にわたって対立している。その状態に解消の兆しはないが一方で大きな正面衝突も起こっていない。せいぜいたまに境界で小競り合いが起こる程度だ。

 それが戦争だって!

 わざわざそういうぐらいだからただの小規模戦闘でなしに大掛かりなことが起きるんだろう。いったい誰がいつどんな理由で仕掛けるというのか。皆目見当がつかない。


 魔王はさらに話をつづけた。

「といってもただの予測だけどね。王国は求心力を失いつつある、勇者の死もきっかけの1つかな。放っておけば周辺地域は次々に離れていくことだろう。そうなる前に王国は総力戦をこちらに仕掛けてくるはずだ。最終戦争だよ、どちらかが倒れるまで徹底的にやる」

 城で出会った人々のことを思い出す。彼らとここにいる人たちが戦うことになるかもしれないというのだ。あるいは街や村の人たちのことも頭に浮かんできた。その人たちも無事ではすまないだろう、直接にまきこまれることもあれば、間接に不利益を被ることもあるだろう。

 口の中に苦い味が広がっていた。


「俺は――」

 それまで無言だった大山田が口を開いた。その赤い拳は強く握られていた。

「あの男に復讐する。俺の左腕を切り落としたあの男だ。そのための力を俺は手に入れた。絶対に許さない、絶対にだ。俺の味わった苦痛と同じものをあの男にも味あわせてやる」

 こちらを冷たく見下ろす騎士の男。その手には剣が握られ、その剣は赤く濡れていた。切っ先からは1滴1滴と赤いしずくが落ちていく。記憶の中のその像はそれ以上まったく動こうとはしない。


 まったく考えていないことではなかった。

 過激な衝突に発展する可能性があるとは思っていた。けれどもそれはあくまで可能性であって自分には関係のないことだと思い込んでいた。いつかどこか自分にはかかわりのない場所で発生するイベントの一つ。

 あるいはこちらが力をつけるまで待ってくれるものとでも思っていたのか。

 そんな都合よく物事が進むはずがないのに。甘さが抜けていない。世界が自分を中心に回っていると期待している。勘違いも甚だしい。城を飛び出したとき、独立して生きると決意した。なんて間の抜けた誓いだ。底に大きな穴があいてるじゃないか。そんなもの何の役にも立たない。


 篠崎はソファーの背もたれに体重を預ける。なんだかどっと疲れた。これまでの疲れがまとめて全部押し寄せてきたみたいに。周りの目なんて気にしてられる状態じゃない。思考が混乱して好き勝手に動いている。ひとつのところにまとまる気配を少しも見せない。


 ゆらゆらと揺れている、水の中で。

 暗い水の底へ石ころは落ちていく。音は聞こえない。

 沈む沈む沈む。

 泥をかき回す。長い時間。再び降り積もる。

 大きな石。波紋を広げる。複数の円が重なり合う。

 子供たちは小さな池に向かって石を投げ込んでいく。

 その何が楽しいのかはわからない。きっと誰にも説明できない。

 笑い声は聞こえてこない。その場所はそれで満ちあふれているはずなのに。

 気づけば周りには自分しかいなかった。

 取り残されている、暗い暗い水の底に。

 その場所には光すら届くことはないのだろう。

 だんだんと道が閉ざされていくのが分かった。

 あるいは初めから閉ざされていたことに気づいていった。

 どうして誰も何も教えてくれないのか。

 当たり前だ。それはあなたの物語だからだ。

 真に納得できる説明があるとすれば、それはあなたからあなたへ与えられるものでしかない。

 ずっと同じところを回っている。行く道を決めなくてはいけない。

 迷っているわけじゃない。ただ前に進みたくないだけだ。

 緩やかな停滞はくたびれない程度の快楽を伴う。


 強く強く目を閉じた。

 俺はこれからどこへ向かえばいいというのだろう?

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