第50話 魔法使いとの地味な暮らし

 夫の定年の時が近づいている。60を前に肺がんで亡くなってしまった我が父には、定年後、第二の人生が無かった。だから、私にとって定年はたかが定年では無く、乗り越え難い60歳なのだ。

 姉の旦那の60歳の誕生日は感動だった。人が60を超えて生きる奇跡は、私にとって格別だ。こんな日が来るなんてと抱えていた不安が過ぎ去った、一区切りついた安堵感を、同じように感じていた姉と共に味わった。

 当然、姉の時もひとしおだった。特別な誕生日に、何か身に付けるものを贈りたいと必死に探して、秒針の赤い腕時計を送った。

 次は、我が家の魔法使いの番。

 60歳を超えて、その月末に定年退職を控えている。誕生日にはケーキを焼いて大好きな苺を添えた。

 プレゼントは恒例の秒針の赤い腕時計。赤は還暦祝いの赤。姉の時に見出したこの法則は魔法使いの時にも当然発揮された。素晴らしいプレゼントだ。刻々と進む時を赤い針が刻む。

 最後の赴任先。単身赴任で3年過ごした静岡の家を間も無くはらう。快適なマンションだった。隙間風もない。底冷えする寒さもない。私は毎月10日このマンションに通ってなにもないけどリッチな悠々自適な毎日を送った。

 今日は掃除機をかけて床拭きをする。後三日、2年9ヶ月お世話になったこの家とも退職とともにお別れ。

 静岡の駅上にはパルシェという駅ビルがあって、そこの6階に手相を見てくれる三席の占いコーナーがある。最後の静岡でのイベントは、もう一度手相を見てもらってお終いにしようと考えている。定年後の暮らしの参考に…

 定年に興味がなかった私は、その後の母の生活を気にすることもなかったけれど、いざ自分のこととなるとそうでもないらしい。

 年金の受取り場所とか、税金のこととか、近所の友達に質問したりして予備知識を聞きかじる。

 歩いて行ける農協に年金受取りの口座を作ってそれなりに準備した。退職金も豪勢に使うつもりはなくて、今後の生活にどのくらいのお金が必要なのかも想像つかないので、暫くは使わないでそのまま銀行に置いておく算段をした。

 現実って素敵!と思える生き方をしたい。長生きはしたくないけど良い老後を送りたい。

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