第44話 事なかれ主義は主役になれない

 というより…むしろ、事勿れ主義なんだから、主役にならなくていい。

 常に一歩退いて、後ろに回って目立たないようにはみださないように、人の印象から遠ざかるように暮らしたいと切に願っているのだから…

 主役とは重責である。目立つことであり、責任のあることであり、キャパシティーが試されることである。自分にかかるリスクをどうしたら回避できるかと怯える自分には、到底負うことのできない窮地だ。

 主役…その立場に心地よさを感じられる者がいるとすれば、目立つのが好き。責任感満載。キャパシティードカンの人なのだ。性格的には自分にないものばかりで限りなく羨ましい…いや、主役になりたい人ならその中の1つの要素でもあれば良いのかも知れない。揃わないと主役にはなれないで脱落するだろうけれど…

 が、それを引き受ける者に対して大変だろうなと尊敬するあたり、羨ましいと思う気持ちは如何ばかりか…

 私は揉め事が嫌いだ。

 何事かあった相手と真っ向からやり合うことが出来ない。挨拶くらいはするけどその先に発展することはない。

 今の自分に立場があるとするなら、主婦、町内会員、嫁、母、娘、飼い主(娘の飼い犬チワワを不本意にも預かっている)隣人。どれもことさら騒ぎたてるものでもない。最低限の社会参加。

 その狭い世界の中で、目立たないように生きることは簡単だ。長いものに巻かれながら、自分の意見を押し出さず、常に冷静に事態を見極め、さりげなく相槌を打ちながら、やれと言われたとこだけやる。そのくらいの能力はある。…と思いたい。

それすら出来ないようなら、まずもって人間をやめたほうがいい。そういう事なかれ主義な自分に自己嫌悪に陥ることも多々ある。

 自分は何のために生まれてきたんだろうと…


 人が何人か集まったとき、喧々諤々で話がまとまらない時。次第に三人くらいの塊に分散してそのくらいの塊ならなんとか対応できる状態になる。人は、何故だか自分を主張する。自分の話ばかりする。聞き手役で良いと思う者はどのくらいの割合で存在するんだろう?

 あくまで良いと思う割合。自分だって話したいことはあるけれど、あんなに話したい人がいっぱいいるんなら自分じゃなくていいじゃない。と瞬時に諦めらて聞き手に回れる者。後で話せる相手に話せばいいさ。と、達観できる者。

 後で話せる者がいる…そういう人は案外主張しないのかもしれない。どこかに話をする場所があるのだから。


 私の姑は、私の話を聞いてくれたことがない。この前ね。と話そうとすると、それに関連した、または突拍子もなく離れた、自分の話にすり替えて延々と話し出す。その話がいつも同じでつまらない。

 初めから諦めている私は、すっと話を引っ込める。と言うより私が話を引っ込めたことも、多分姑は気が付いていないだろう。

 昔の人だから何かあったら私に面倒見てもらわないと、と事あるごとに言ってくる。私は…主人が先に死んでしまったら死後離婚もあるな。と感じている。嫁に相続権のない民法はよく出来ている。財産を分けて持ち逃げされたらかなわない。

 順番に死が訪れれば問題なく面倒見るだろう。主人の影武者になって甲斐甲斐しく動く覚悟くらいは出来ている。私はあくまで主役じゃないんだから…

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