09.食い付かれた熱
雨が続く。
「ご機嫌如何ですか?」
「変わらない」
万丸の答えに
「此度は白書院様にお願いがございます」
「
万丸もまた彼の通称を口にした。
「願いというのは其処にいる少年のことか?」
「左様にございます」
顔を上げ、惟方は後ろへ視線を流した。万丸も見向く。
ガチガチに固まっていた少年は二つの視線を浴びるなり、目を大きく開き。
「
名乗った。
「千歳殿、とお呼びすればよろしいか」
「はい。まだ元服前の身ですので、諱は無いのです。ですから家人は勿論、青嵐様からも千歳と呼ばれています」
頷いて、万丸は視線を惟方に戻す。
「彼はおまえとどのような関係か」
「書の師を通じて知り合いました。僕は都の住人ですが、この千歳は山陽道備州在住。父は速水播磨守です」
ぴくり、肩が揺れる。万丸も千歳もだ。
「播磨守か」
広げた扇子で口元を隠し、万丸は息を吐いた。
まさかの名。十年前に関白と合戦を繰り広げた相手だ。水攻め兵糧攻めを駆使した関白の前に、一族郎党と民の助命を条件に腹を切った男。
「敵討ちに来たか」
「滅相もございません」
千歳は頭を振った。
「命を繋いでいただいたことを感謝こそすれ、恨みなど」
「……そうか」
「此度は、感謝という一族の意を背負って上京いたしました」
ゆるりと上げられた視線は強い。元服前、子供だとは思えぬ程に。
「関白閣下に宝物を献上したいのです。備州は良き鉄と良き炭が採れるので、刀造りが盛んなのです。叛意がないことを示すためにこの十年は鍛冶を控えてまいりましたが、腕は落ちておりません。一級の刀を持って参りました」
直垂を着た姿は決して背伸びなどではない。一族の長としての強さは充分にある。
じっと見つめて、問いかける。
「それを献上したいと」
「はい」
千歳は力強く頷く。
「白書院様のお口添えがあれば、関白閣下への目通りも叶うと考えた次第」
惟方も口を挟む。
「関白閣下のご信用も篤い白書院様から是非、速水一族には叛意がなく、その証を献上したい旨お伝えいただけないでしょうか」
今度は万丸が視線を浴びる側だ。
「分かった」
としか言えなかった。
「当分、千歳とその従者は僕の屋敷に逗留する予定です」
少年は先に館へ帰し、万丸と惟方は北の建屋へ。白書院の慣れた部屋で鮎子が持ってきたお茶を呑み、首をゴリゴリ鳴らしながら回す惟方を、万丸は睨んだ。
「逗留させてやるのはおまえの判断だから任せる。それよりも何故、俺の元に連れてきた」
「勿論、やる気を出していただくためです」
きつい視線に惟方は怯まない。
「自分で絵師を手配した黒書院殿と、黙っていても宝物を集められる義晴様。どちらが上でしょうね」
「おまえ、この状況を作るためにわざと速水家と通じたんじゃないだろうな」
「そうですって言えれば格好良かったんですけどね。残念ですが、向こうから声を掛けられたんです。書の師匠が備州にも弟子を持っていましてね。伝手の伝手のそのまた伝手です。速水家にしてみれば、かなり良いところまで食いつけたって感じじゃないですか」
そう言って、惟方は意地の悪い笑みを浮かべた。
「辿り着くまでにどれだけの物品を費やしたか知れませんが」
「おまえも何か受け取ったのか」
「件の弟子の書を掛け軸にしただけですよ。話を聞くなり利用したい気持ちが湧いちゃって、駆け引きする余裕がなくて」
失敗したとぼやく惟方に溜め息を吐き、万丸もお茶を煽った。
「物好きだな」
「まあ、利用できるんで」
惟方はまだ笑う。
「義晴様有利のためになるのなら、とことん利用しましょう。千歳殿も、寧々殿も」
不意に飛び出してきた名前に、目を眇める。
「あれもか」
「噂はご存じでしょう? 彼女を手元に置いているだけで辻井圭庵の支持を取り付けたと思われるんですから」
ね、と惟方は首を傾けた。
「大事にしてあげてくださいね」
「……おまえの云う大事にになるかは知らぬが、書は貸し与えたぞ」
相手が今度は目を丸くする。
「すごい。ちゃんと過ごせるようにしてあげてるんですね」
「だが、書の内容をいちいち喋ってくるのが面倒だな」
貸した万丸が内容を知らないはずがないのだ。それなのに、寧々は読んだ本の内容を喋りに部屋を訪ねてくる。内容だけでなく感想もまくし立てる彼女の相手をするのは。
「面倒だ」
正直な思いを口にすると。
「聞いて差し上げてください。女子の機嫌はちゃんと取らないと駄目ですよ」
宥められた。
「どうしておまえに女の扱いを説教されないといけないんだ」
「はい、拗ねない拗ねない」
よしよし、と頭を撫でられる。惟方は一つ年下のはずだ、と万丸はむくれた。
「そういえば千歳はいくつになるんだ?」
「唐突ですね。たしか十五と言っていましたよ」
だとしたら、十年前に播磨守が腹を切った時の彼は、今の国松石松鶴松の三人より幼かったということになる。
「苦労したんだろうな」
ぽつり呟くと。
「ああ、同情ですか」
惟方は飽きず笑っている。
「じゃあ、助けてあげませんと。利用するよりも手助けのほうが気楽ですか?」
「そういうことにするか」
万丸は長く息を吐き出して、宙を睨んだ。
「いきなり刀を持ち込ませても、巧くいかないだろうからな」
「はい」
一転、真面目な顔で惟方も頷く。
「まずは面通しだけさせるか」
「それが無難でしょうが、それこそ貴方が口を利いて本丸へ伺わせますか?」
「いいや。ゆっくり近づかせていった方が良い。場所もいきなり本丸ではなく、二の丸御殿の方が…… ああ、そうだな」
ぱちり扇子を鳴らす。
「近々また諸侯が集まるな。今度は宴席も設けることになっている。その時にするか」
「成る程」
では、と惟方は瞬く。
「千歳殿一人を義晴様の付き人として上がらせましょうか」
「そうするか」
決めてしまえば早い。段取りは簡単に付けられた
・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*
今日の宴は二の丸御殿の大広間で行われるそうな。だから絶対に白書院から出るな、と万丸は寧々に言った。
「どうして?」
「何処で誰に出くわすか分からないだろう。とにかく大勢来るんだ、俺を嫌いな奴だって中にはいる。そういう連中と行き会いたいか?」
「それは嫌かも」
障壁画を描くという竜丸に怒鳴って以来。庭を散策していると時折、彼が縁側に立って睨んできているのが見えた。故に最近は黒書院の近くへ行きづらい。つまり、そういう事態を増やすなということだ。
「面倒だなぁ」
泥濘んでいても、雨の合間くらい庭に出たかった。寧々が頬を膨らませると、万丸が、すこし待て、と踵を返しかけた。
「今日はもう、本はいいです」
「他にやることもないだろう?」
「飽きたんだもの」
「贅沢者め」
「万丸に言われたくないよ」
舌を出しつつ、彼を見る。身に纏うのは金茶に立涌紋様の絹で出来た直垂。手には黒地に金の雲が描かれた扇。そして、腰には合口拵の刀が差してある。体は細くとも、立派な武士だった。
――って何を考えてるの、私。
ぷい、と横を向く。
万丸の溜め息が聞こえる。
「他に見ていられる物、か」
そして衣擦れの音。はた、と顔を上げると、彼は庭に降りていったところだった。
「え、もう行っちゃうの?」
「違う」
と、彼は庭先の木の元へ。その幹へと掌を当てる。
途端にふわりと香りが広がった。
「今、咲かせてくれたの?」
花を見て愉しめ、ということらしい。
「ありがとう!」
両手を挙げて、跳ねる。此方に戻ってきながら、万丸はまた溜め息を吐いた。
「梔子の花、だからな」
「知っているよ」
「そうか。では喋るなよ」
ふっと笑って、彼は縁側を歩いて行く。その先は黒書院への渡り廊下。そのまま大広間へ向かうのだろう、と見送る。
残されて。
「喋るな?」
寧々は首を捻って。
「口無しってこと!?」
つい、叫んだ。
しかし相手が居なければ喋りようがない。五月晴れの中、白く甘い花を一人飽きずに眺めていた。その間、琵琶が奏でられる音がずっと聞こえていた。大広間からだろうか。
春の夜の宴で聴いたような、朗らかで伸びやかな音だ。だから先日の奏者を思い出した。肥り過ぎの体と繊細な音の持ち主。
「望月さん、来ているのかな?」
うーん、と唸って目を凝らす。もちろん大広間が見えるはずもないのだが。
庭を歩く人が見えた。
一人、小袖袴の上に華やかな刺繍の胴丸を着た男が松の合間を縫って動く。
その後ろをずるりと黒い靄が這っている。大きな口を開けるような影。物の怪に追われているだ。しかし彼の足取りに乱れはない。気がついていないのだろうか、それとも。
このままでは食い付かれるという時にやっと、その人は振り返り、腕を振った。その軌跡が金に光る。すると物の怪は消えていく。
寧々は呆気にとられた。
――物の怪を消す力?
あれもかんなぎの力なのだろうか、と思う間に。その人は白書院へと向かってくる。
顔をはっきりと認めて、寧々はぎりっと奥歯を鳴らした。
あれは関白だ。
白い眉を下げ、にこにこと笑いながら。
「また会ったな、圭庵の娘」
初老の男は近寄ってきた。
「まだ呼び名は思いついておらんが、来たぞ」
わはは、と笑う。言葉は出てこない、ただ腹の底がグツグツと煮えるだけ。
「ようやくまた顔を見る機会と思うたのに、万丸は連れてこなかったのでな。残念だったから来てしまったわ」
よいしょ、と彼は縁側に腰を下ろし、同じく縁側に座ったままだった寧々へ向く。
「ずっと此処におって暇ではないか?」
「此処に居ざるを得ないようにしたのは、あなたでしょう?」
ぎゅっと睨んでも、彼は大きく口を開けて笑うばかりだ。
「成る程、確かになぁ。巷の噂を真に受けた儂が圭庵を脅したと、おぬしもそう思っておるのか」
「違うの?」
「そうだとも言うし、そうではないとも言える」
肩を揺らして彼は続ける。
「あれが戦場で拾ってきた子供を育てているというのは昔から聞こえていてな、興味が無かったわけでは無い。ただ声を掛けづらかっただけだ」
分からない、と寧々は眉を寄せた。阿頼耶と妙算、養父をして勝てぬと言わせた剣豪を寄越しておいて、声を掛けづらかったとはどういうことなのか。
「しかし、惜しいな」
と、関白は改めて寧々を向く。
「おぬしを本丸に迎えられなかったのは惜しい。万丸の下では着飾らせることもできぬし、よしんば着飾れたとしても披露することもできぬ」
「披露って」
「美しいモノは皆で愛でてこそ」
ふふ、と息を零す関白を睨む。
「見られても嬉しくないです」
「見る側には愉しみがある」
寧々ごときが睨んでもまったく堪えないらしい。関白は笑みを深くするばかりか。
「おぬしは感じぬか? 美しいモノを愛でることが叶うのは戦乱が過ぎ去ったからこそ。生きるだけで精一杯でないからこそ、とな」
問うてきた。瞬く。また言葉がつっかえる。
はくはく、口を開け閉めしている間に。
「叔父上」
声がかかった。万丸だ。
「むぅ、気付かれたか」
「まだ私だけです。騒ぎになる前にどうか」
「戻るとするか」
よっこらせ、と関白は立ち上がった。
「しかし、まだ呼び名を決めておらん」
視線だけ寧々に戻す。
「圭庵の娘に似合いの呼び名、なぁ……」
「閣下、どうか」
「分かった、戻る戻る」
ふー、と息を吐いて、関白はまた庭を歩いて行く。その後ろをまたゆらり靄が過っていくが、今度は近づかない。琵琶の音が聞こえる。
縁側に残されたのは寧々と万丸だけで。
「痛っ!」
扇子の先で額を小突かれて。
「何するのよ!」
寧々は叫んだ。
「喋るなと言っただろう?」
閉じた扇子を握ったまま万丸はにらみ返してくる。寧々も眉をつり上げた。
「言われましたけれど!」
覚えているけど、と庭先の木を見遣る。梔子の花は満開だ。甘く白い。それを見つめて。
「もしかして、関白が来るかもって予想してた?」
尋ねる。万丸は僅かに首を傾げた。
「また何も考えてなかったの?」
「随分な言い草だな」
「だってそうじゃない」
ぶんぶんと首を振って、改めて彼に向く。
万丸の視線も真っ直ぐに寧々に向いていた。色白で、鼻筋の通った顔立ちがはっきりと見える。
「叔父上には何もされなかったか?」
聞かれて、首を横に振る。
「ならいい。これからも余計な事を口にするなよ」
高めの声が、動じない視線が、真っ直ぐに向けられる。じわじわと頬が熱を持つ。
「どうした?」
「べ、別に」
「熱でもあるのか?」
小突かれたばかりの額に今度は掌が当てられる。万丸の掌が寧々の額に触れている。柔らかな感触に体中が火照り出す。
「風邪なら尚更、部屋で休んでいろ。いいな」
「はい」
素直に頷いて、寧々は俯いた。
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