第45話 シャルルの事情 ㉒
全ての女生徒の演技が終わり、講堂にはハイネ先生と僕と姉さま、そしてエリー嬢だけが残された。
怒っているハイネ先生は姉さまに厳しい表情のまま詰問した。
「一体喧嘩の原因は何なのですか?」
「…エリーの勘違いです。でも解決しました」
姉さまは隣に並ぶダニエラ=フィリプスをちらりと見てから、簡潔に答えた。
「勘違い?…それでこんなに激しい掴み合いになるものですか?」
ハイネ先生からはごもっともな質問が出たが、姉さまは飄々とまた一言で答えた。
「わたしにとっては大事な事だったので」
俯いてずっと何も言わなかったエリー嬢は、
「それは本当ですか?ダニエラ…?」
ハイネ先生からの質問に唇をぎゅっと結び、無言で答えなかった。
そんなエリー嬢の様子を見ていた姉さまは、上を向いて
「…キャサリン=ハーン、メロディ=ドラング」
と(多分)女生徒であろう名前を呼んだ。
その二人の女性徒の名前を聞いた瞬間、エリー嬢の身体がビクっと震えた。
ハイネ先生は訝し気に姉さまを見て質問した。
「何ですか?アリシア。いきなりキャシーとメロディの名前を呼んで」
「いえ…『キャシーとメロディの演技はどうだったのかな?』って思いまして…」
「それは、今の貴女には関係が無いでしょう?アリシア」
「はい。その通りです、ハイネ先生。
優雅に巻き上げていた茶色の髪がすっかり乱れてしまったエリー嬢は、顔色が真っ青になり額に少し汗をかき始めていた。
ハイネ先生は少し苛立たし気に姉さまとエリー嬢二人を見ながら、もう一度質問した。
「では…今回の喧嘩の原因は…ダニエラの勘違いと云う事で解決なのですか?」
「そうよね?…
姉さまは涼しい顔でエリー嬢を見ながら、彼女に確認する様に聞いた。
エリー嬢は真っ青になりながら、絞り出す様にやっと声を出した。
「そうです…ハイネ先生。わたくしの…勘違い…です」
「あの淫らな…の件は一体何なんですか?」
その部分だけハイネ先生にも聞こえていたのだろう――先生の質問に今度は僕が冷や汗をかきそうになったが、姉さまは自分の着ていた丈の短いピンクのドレスの裾をぴらっと持ち上げて適当に答えた。
「…足が丸出しになるエロい…いえ、淫らなドレスを着ているとエリーに指摘されました」
姉さまの答えにハイネ先生はこめかみを押さえつつ深くため息をついた。
「…分かりました。ではその様に他の先生と学園長には報告しておきます。
貴女方の処分についてはこれから追って沙汰があるでしょう。
今日はもうこれでお帰りなさい」
+++++
その日の夕方から雨が降り始めていた。
帰りの馬車の中、最初は向い合って座っていた姉さまと僕は、殆ど話さなかった。
僕はまるで幼い頃、母上に自分の性癖の悩みを話す時の様に、吐き気がするほど緊張をしていた。
怖かった。
自分から姉さまに『僕がゲイである事を知っているのか』を確認するのが。
またバレていなかったとしても、今回の騒動についての会話を交わす中で、なし崩し的に気付かれる事も恐れた。
少しすると姉さまが馬車の外を覗きながらぽつりと言った。
「…ねぇ、雨が強くなってきたわ、シャルル…」
「…そうだね」
「…ごめんね。シャルル」
「…何故、謝るのさ」
「せっかくダンスを手伝ってもらったのに…台無しにしちゃったから」
「…そんな事、別にどうだっていいよ」
「…でも多分、ダンスの試験が無しになっても、エリーには筆記試験で勝っているわ…」
「…そうかい…」
僕は俯いたまま、姉さまの顔を見る事が出来なかった。
それすらも恐ろしかった。
何か――世界が変わってしまう気がしたのだ。
ガラガラと崩れて、今までとは異なる――独りぼっちの世界になってしまう気が。
すると姉さまは立ち上がって僕の隣にちょこんと腰を下ろし、僕の手をぎゅっと握った。
「エリーの事なら大丈夫よ…シャルル。
誰にも…貴方もヘイストンも傷つけさせないから」
『わたしは必ず勝つ――勝って、あの子達にこれ以上ヘイストン家の名誉を…
僕は以前に姉さまが言った言葉を思い出した。
――そして
『一度怒らせたら、あんなに恐ろしい女はおらんかったぞ』
父上の言葉――姉さまに似た気性だという母上の話を思い出して、僕は少し可笑しくなってしまった。
(姉さまは…やはり強い女性なんだ)
僕は姉さまを見上げその手をぎゅっと握ったまま、少し微笑む姉さまを見つめながら訊いた。
「姉さまは…それで、高等科生徒会に手紙を送ったのかい?
わざわざあんな子供だましの文字の切り張りまでして」
僕の言葉を聞いた瞬間――姉さまの表情が固まった。
++++++
「最初…生徒会長に見せて貰ったメモ紙の切り張りされた『特徴的な文字』が、僕等が何時も読んでいる『経済新聞に載っているもの』だと気づいた。
高等科の生徒も含め沢山の人間が読んでいるから、最初はその目的も…誰なのかも分からなかった」
「分かっているのは、その人物が前日夕方から翌日午前中の間に投書箱へメモを投下する…それだけだ」
姉さまは、表情が抜け落ちた様に僕を見つめていた。
強くなった雨は、馬車の窓に時折当たり、ザザっと音を立てている。
「けれど…僕等が生徒会室を閉めた途端メモの投下が無くなった事や、メモの内容を見れば見る程これは
「わざわざ
だから…姉さまの部屋を片付けたメイド長にも確認したんだ」
「新聞を読んでいるのは高等科の男子学生だけではない。
朝僕と一緒に…父上が用意したあの新聞を読んでいるのは姉さまも一緒だ」
「そしたら…部屋に散らかっていた新聞紙のそこかしこで文字が切り取られている事に気付いた。
僕の読んでいた元の新聞と照らし合わせたら分かっている物だけでも…あのメモと同じ文字が多く切られていると分かったんだ。
姉さまが時々髪の毛にも切れ端をつけていたし、全て…状況証拠でしかないけれどね」
++++++
姉さまは大きくため息をついて僕の手を離すと、手足をぎゅっと伸ばした。
「…あーあ、…いつかは『バレちゃうかな』と思っていたけれど。
わたしの手で全部片付けた後だったら良かったのに。
…結局失敗しちゃったわ」
姉さまは僕を見て泣きそうな顔をしてから、少し微笑んだ。
「そうよ――メモの犯人はわたし。
朝学園に行ってイーサンと練習する前に、高等科の投書箱へメモを入れたわ。
それから中等部の入口へ、イーサンを迎えに行っていたの」
僕は姉さまに尋ねた。
「どうして…わざわざそんな事をしたんだい?」
「…あんたに振られた後、エリーはあんたを簡単に諦められなかったのね。
自分が振られた正当な理由を捜そうとしたの。
例えば他に好きな人がいるとか…ね。
それであんたの行動や周りの人間関係を調べ始めたらしいの」
「そしてあんたが、高等部の生徒会室へ勉強を教えて貰いに頻繁に通っている事が分かったらしいわ。
自分のお兄さんの伝手を使って生徒会の様子を伺っていたら…そこで『ふしだらな声を聞いた』んだって。
最初は相手が『女性の先生か?』と思ったらしいけれどね」
「そこから何回か同じ様な事があったらしく…
「わたしは『振られた逆恨みでそんな事を…』と思っていたけれど、逆上したエリーはとうとう…あんたの話を噂として周りの女生徒に話し始めた。
わたしは…『これ以上話が大きくなる前に』とエリーを止めた。
あの子の言っている内容が
姉さまは僕の手をぎゅっと握った。
「そしてあんたにも…今はこれ以上、火に油を注ぐ様な事を避けてほしかった。
直接書けば、万が一メモを見たシャルルに筆跡でわたしだとバレるかもしれない。だからメモを作って投書した…それだけよ」
僕は姉さまの顔をじいっと見つめた。
口の中はカラカラに乾き――。
一番確認したい事が喉の奥の重苦しい閊えの様になって…声で出て来ない。
「…姉さまは僕を…」
姉さまは結局――どうなんだ?
(エリー嬢の言っている事を真実だと思っているのか?)
(それとも…エリー嬢の話をデマだと――嘘だと思っているのか?)
姉さまは小首を傾げて…僕の言わんとしている事を察したらしい。
「
わたしはただ…
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