第46話 シャルルの事情 ㉓ 

馬車は悪路の為なのか車体の揺れが強くなった。


強くなった雨が馬車の窓にさっきよりも打ち付けている。


小首を傾げたままの姉さまは、僕の顔を見つめながら困った様に言った。

「いやだ…泣かないで、シャルル…」


姉さまは腕を上げて、小さい頃の様に僕の髪を優しく撫でた。

そのまま僕の頬へとその手を移動させ、僕の涙を指でそっと拭う様に払った。


「…泣かないで、シャルル…安心して。大丈夫よ…側にいるわ」


それから姉さまは、僕の瞼の涙と唇に小さくキスを落とした。

僕は小さく鼻を啜ると、僕の顔に触れる姉さまの白い手を握って、小さく囁いた。


「…僕、アリシア=ヘイストンが大好きなんだ」

「…ありがと、シャルル…嬉しい…」


姉さまは僕の言葉を聞くと、その小さな顔に淡く曖昧な微笑みを浮かべた。


僕は姉さまの唇に、羽毛の様に微かに触れる位の小さなキスを何回も落とした。

そして彼女の身体を抱き締め――その甘い髪の香りを嗅いだ。


真っ赤になった姉さまが、おずおずと僕の背中へ手を伸ばしたのが分かると、僕は下を向いて目を瞑る姉さまの小さな顎に、指を掛けた。


僕はそのまま震える姉さまの唇に自分のを深く重ねた。

そして今度は僕の舌を絡めて、姉さまの舌を吸った。


制服のブラウス越しの背中と腰を大きく撫で、姉さまの胸の僅かな膨らみに僕の手が触れると、彼女はビクっと身体を揺らした。


(そうだ…姉さまは女の子だった)

今気づいて様に、僕の手はぴたりと止まった。


『これ以上はいけない』と僕は思った。

『姉だから』とかではなく、彼女が『女の子だから』である。


(姉さまは由緒正しいヘイストン侯爵家の娘だ)

こんな一時の気持ちで、何かしてよい相手ではないのだ。


その時姉さまが頬を染めたまま小さく微笑んで、僕へと訊いた。

伏せたストロベリ―ブロンドの睫毛が微かに揺れている。


「…シャルル…触りたいの…?」

「…うん…でも、それは…」


躊躇った僕が『…止めておくよ』と言いかけた時――。

姉さまは目を瞑り、僕に寄りかかる様にしてため息をつくと、囁く様に言った。


「…いいの。馬車が家に着くまで……今だけは……」


馬車は時折激しく揺れ、ヘイストン家に着くまでの束の間の時間…僕等は息を潜めながら、嵐の中の小鳥の様に二人でぴたりと身体を寄せ合った。


いつの間にか二人の熱と吐息で曇った馬車の窓は、外で激しく降る雨までも隠してしまった。


そして僕は…生まれて初めて


 ++++++


翌朝の朝食の席に姉さまはいなかった。


夜半に学園から連絡が来たらしく、姉さまは結局『停学三日間』の刑をくらう事になったと、僕はその時に父上から聞いた。


『自室でしっかりと謹慎して、反省文を書く様に』

と父上にしては姉さまをきつく叱った。


そして三日間の食事も全て部屋で摂り、僕が姉さまの部屋を訪れるのも禁止だと命令された。


姉さまは僕へと『父上に説明するのに、僕の一切の口出しは無用』という姿勢を一貫して崩さなかった。


「わたしが頑張って来た事が、全部無駄になるから止めて頂戴。

もし言ったら、あんたと一生絶交するからね」


馬車がヘイストンに着いてから、姉さまに何度も真剣な表情で言われ、(姉さまと一生絶交なんて無理に決まっている)父上にいつしか話せるきっかけも無くなってしまった。


エリー嬢は先に姉さまに暴力をふるった事も目撃された為、停学五日間だったらしい。


そして驚きだが――同時に兄レオナルド=フィリプスも停学一ヶ月になった。

同学園の生徒を暴力と脅しによって、圧力をかけたのが明るみに出た事に因るものである。


彼の場合、今までの行いと今回の悪質な恐喝と暴力の行為が完全にバレてしまった為に、生徒会長の忍耐もブチ切れて、厳しい沙汰を学園長に直談判しに行ったらしい。

(それは後々僕が高等科の生徒会室へ行ってから、会長自身に訊いて判明した事である)


エリー嬢は兎も角も、学園内での醜聞がかなり立ってしまったレオナルド=フィリプスが一ヶ月後に本当に学園に戻って来るかは分からなかった。


そしてやはりと云うか、結局彼は学園に戻っては来なかった。

隣国の学校へと留学する事になったらしい。


++++++


「実際君の姉さまには、お礼を言わなきゃならないね」

生徒会長は何回も同じ事を言っていた。


例のメモについては、僕が生徒会長とデヴィッド、その他役員へと

『意見箱へと入れたのが姉さまのらしい』

と告げると(これは姉さまにそう言ってくれと頼まれた)生徒会長はとても驚いて

『実はね、シャルル君…危なかったのだよ。正に危機一髪だった』

と僕にこっそり教えてくれた。


なんと閉めた筈の生徒会室の鍵が開いていて、たまたま忘れ物を取りに行き不審に思った書記長が学園の事務員へと通報したらしい。


部屋を捜索した事務員は、物陰に隠れていた男子生徒を発見した。


事情を訊けば――その生徒は、レオナルド=フィリプスにその場で見聞きした事を報告する様にと頼まれた(脅された)らしいそうだ。

放課後の不定期に生徒会の部屋に入らせては、この部屋での事を探らせていたらしい。


(生徒会長は最終的にこれでぶっつりと僕は予測する)


 +++++


――結論からと言うと、僕はと言えば…その後特筆すべき変わった事は無かった。

デヴィッドや生徒会の皆と付き合いながら、時に美しい少年や青年にゲームを仕掛け、をする。


ただし――もう生徒会室を使う様な愚かな行為は避け、きちんと別な場所(これは後々僕らの裏のコミュニティの場所ともなるのだが)を準備する様にも為った。


姉さまとの当主争いの付き合い方も変わらなかった。


『シャルル、本気でやってよ』


馬車での時間は一体何だったのかと思う程、姉さまは『切り替えが早か』った。


当主争いは腹の探り合いをしながら、父上から出された課題や事業をなし得るのに、どちらかがより多くの利益を出せるか、もしくは成功したかで熾烈な争いを極めた。


姉さまのご要望を受け、本気を出して当主争いを行った結果、恐れていた通りと云うか予想していた通りというか、殆どの勝負では僕が勝利を収めた。

(父上とデヴィッドからは『最初からそうしておけば良かったのに』と言われたのだが)


僕の社交界のデビュ―時は難しかったが、姉さまのデビュタントの時は僕は姉さまの付き添いとして、一緒に晴れの舞台に出る事にした。


姉さまのデビュタントのドレス姿は…とても美しく、可愛らしかった。

エスコートさせて貰う名誉を貰えたのは、嬉しかった。


十六歳になる迄姉さまと部屋は隣だったが、成人を境に僕等は部屋を完全に離された。


その結果――姉さまが今何をしているのかが完全に分からなくなった。


姉さまも大人の女性として社交界に出席する様になったが、殆どが年上既婚者の政治家や実業家との社会的な付き合いだった。


同年代の女性の様な恋人や結婚相手を捜す為の夜会に出る事は無く、『あんなお見合い夜会に出るのは、時間と手間の無駄よ』と云い捨てていた。


僕等は『ヘイストン家の双子』で社交界に名を連ね、二人で行った事業は必ず成功した。


僕等の十八歳の誕生日当日、父上がヘイストン家の跡継ぎを最終的にした時、姉さまは『ああ、自分はやり切った』という晴れ晴れとした表情をしていた。


(負けず嫌いの姉さまの事だ――内心では相当悔しがってはいただろうが)


 +++++


父上が王族…王子との縁談を持って来た時、僕はいつも通り、姉さまは結局断るだろうと予想していた。


今まで父上がどんなに強くごり押ししてきても、彼女は全て断ってきたのだ。

けれど後継者争いが終わった途端、何故かそれを――どんな形であれ受けてしまった。


そして姉さまはいきなり、王国の王子であるジョシュア=D=ローアン様と結婚をする為に、僕の不在中にヘイストン家を出ていってしまった。


あっという間に僕の手の届かないところへと行ってしまったのである。


突如として、僕の『アリシア=ヘイストン』は失われたのだった。


ただひとつ――当主争いの最中に、ふと姉さまに尋ねた事がある。


『何故そんなにヘイストンの女侯爵に成りたいんだい?』


けれど姉さまは、あの日の馬車の時の様に淡く曖昧に微笑んで

「…シャルルには、教えてあげないわ」


僕の質問には答えず、結局はぐらかされたのだった。 


 ++++++


僕はまだあの机の引き出しに仕舞った箱を大事に持っている。


そして今もまだ僕は『アリシア=ヘイストン』を愛している。

彼女が実の姉でも…それは関係が無い事だ。


彼女は強くしぶとく優しく美しい。

そして役者の様に、自分自身の気持ちも上手に隠し通す程の嘘つきで、したたかな…でも真っ直ぐな女性だ。


僕は彼女の双子の弟として生まれた事を誇りに思う。


彼女は僕の半身だ。

それは彼女がヘイストン家を離れてしまった――今でもそう僕は考えている。


そしてこれが僕が『僕のアリシア=ヘイストン』、姉さまを失うまでの物語である。


長い間――僕の話しを聞いてくれた事に感謝する。

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