第43話 シャルルの事情 ⑳

「シャルル…ねえ、こんな事をしていたら出番になっちゃうわ」

「……」

「お願い、シャルル――ねぇ…」


僕のシャツの端を握り小さくツンツンと引っ張りながら、眉毛を八の字にして困った表情で僕を見上げ『お願いだから』と言う姉さまはなかなかものがある。


見たかった姉さまの表情では無かったが『まあ…これはこれで良い』などと僕は呑気に思っていた。


ぼくは敢えて冷ややかに見下ろしながら姉さまに言った。


「じゃあもう一度僕に『お願い』って可愛らしく言ってよ。それで頬にキスでもしてくれたら、頑張ってあげるよ」

「…シャルル、あんた…この状況でそんな事…正気なの?」


口をあんぐりと開けた姉さまは、一瞬僕を唖然として見つめた。

姉さまの言葉を聞いた僕は、そのままあらぬ方向を見ながら、彼女から離れて歩き出した。


「あーあ…じゃあ、僕知らない。もしかしてダンス中に…足が止まっちゃうかもね」

「ちょっと、待って。なんでそんないきなり駄々っ子みたいな…。んもう、大事な勝負なのに…待ってよ、やるわよ……」


姉さまはブツブツ文句を言いながらも、ぶ厚い緞帳の影に僕の腕を引っ張って連れて来た。

慌てた姉さまは焦った様に僕を急かして言った。


「…早く…シャルル。ねえ、もうハイネ先生に呼ばれちゃうから!早く屈んで目を瞑って…」

「いいよ…はい」


僕は姉さまの言う通り目を瞑って屈むと、彼女に声を掛けた。

僕の頬近くで姉さまの温かい体温を感じると共に、小さな吐息が僕の頬にふんわりと掛かった。


「…シャルル…お願い…」


その瞬間――僕は目を開けた。


 ++++++


――姉さまの顔がとても近い。


ダンスの試験の為に軽く化粧もしたのだろう。

僕の目を見つめながらピンクのリップを塗った唇が小さく震えている。


「シャ、シャルル…やだ…目を瞑ってって言ったのに…」


短いストロベリーブロンドが可愛らしい少年の様に姉さまの小さな顔を取り巻き、この間の続きの様に頬を染めた姉さまのグレーの瞳は揺れている。


僕は姉さまを見下ろしながら微笑んだ。


「姉さま…口を開けて?」

「く…口?何で…」

疑問で首を傾げる姉さまの質問には答えず、僕は姉さまの唇に軽く自分の唇を重ねた。


 ++++++


緞帳と壁の隙間に押し込む様に、僕は自分の身体を姉さまに押し当てながらぴたりと密着させた。

「ほら…このままだとリップが取れちゃうだろ?

だから口を開けて…舌を出してよ」


姉さまはこの間の様に――僕を止めて拒否をしなかった。

ただ小さくその身体を震わせながら、僕の言うがままに従っている。


僕は姉さまのピンクの唇の合間を縫って自分の舌を差し入れた。

そしてそのまま姉さまの小さな舌を吸い、少し噛んだ。


「…ん…っ…あ…」

姉さまがびっくりした様に小さく声を上げた。


ドレス越しの背中を指先ですいと撫で上げると、目を瞑ったまま小さく身震いする姉さまは生まれたばかりの雛鳥の様で愛らしかった。


そして彼女は僕のシャツの胸辺りで顔を伏せて、震える声で訊いた。

「…こ、これで…ダンスを頑張ってくれる?シャルル…」

「…うん。いいよ、姉さま」


(初めから強引でも姉さまにダメと云われても…早くこうすればよかった)


少しふらふらとしている姉さまの身体を、僕はその場でぎゅっと抱きしめた。

そして姉さまの甘い髪の香りを思い切り嗅いだ。


そしてその時丁度――僕等の順番を呼ぶハイネ先生の声が講堂内に響いた。

「四番アリシア=ヘイストン演技をお願いします」


 ++++++


「――行こう、姉さま」


ハイネ先生に呼ばれ、僕は少しふらつく姉さまの手を引きながら講堂の真ん中へと歩いた。


凄まじい視線を感じてそちらを向くと、エリー嬢が取り巻きの令嬢と共に僕と姉さまを睨みつけている。


僕は姉さまの耳元でこそっと囁いた。

「…姉さま。ダニエラ=フィリプスが凄い視線で睨みつけているよ」

「気にしないで。わたし達はいつも通り踊ればいいわ」


姉さまは落ち着いた声で僕に言った。

実際姉さまはとても冷静だったと言っていい。


そして課題曲が講堂内に鳴り出した。

僕等はいつものヘイストン家での練習通り踊るだけだ。


久しぶりの姉さまとのダンスだったがイーサンと踊っていた為なのか、いつものウィンナーワルツとカウントが少しズレている。


「…姉さま、僕に合わせて」

僕は姉さまの耳元で言うと、姉さまは心得たと頷いてから上手に僕のステップに合わせてきた。


ワルツが終わった瞬間、クイックステップが始まった。

これは僕がカウントを小さく呟きながらだったが、ヘイストン家で習っている通りの出来栄えだった。


ブギは姉さまがとにかく元気いっぱい踊っていた。

何だか鬱憤を晴らすようなその踊りを見て、つい僕は笑ってしまった。

そのお陰でなのか、僕もいつもより楽しく踊る事が出来た。


全体的な出来栄えは良かったと思う。

ハイネ先生の講評も概ね良好で、ウィンナーワルツのカウントをすぐに修正出来た事も高く評価された。


「さすが双子ですね。息のピッタリ合ったダンスでした」

と先生とアシスタント両方に褒めて貰うと、姉さまは僕を見上げてにこっと可愛らしく笑った。


 ++++++


ふとエリー嬢の方を見る(いい加減僕も彼女の顔は覚えた)と、彼女は自分の纏っているドレスを自分の手の中でぐしゃぐしゃに成る位の力で握っていた。


元々きつい感じの美人だった様だが、今はまさに悪鬼さながらの表情に変わっている。

このままパートナーの男子学生が頭からバリバリと喰われるのではないかと僕は一瞬心配になった。(僕は大抵が男性側の味方である)


「…ではダニエラ=フィリプス演技をお願いします」

彼女と地味な感じのパートナーが講堂の中央に向かって歩く。


僕の隣に立つ姉さまは、探す様に僕の手を握ってきた。

真剣な顔でエリー嬢の演技を見つめる姉さまの横顔を見ながら、僕もぎゅっと握り返した。


エリー嬢のダンスは技巧派と云うべきか足さばきが上手だった。

そして地味な男子学性(何処からか連れて来たのだろう)も意外に上手だ。


ただバランスというか…見た感じエリー嬢のダンスが若干強引でもあった。


ウィンナーワルツではパートナーの男子にリードを譲らず、お互いのステップが合わない場面が何度かあったし、クイックステップになると更にそれが顕著になった。

そしてそれはクイックステップのダンス終了間際に起こった。


ステップが合わない事に業を煮やしたエリー嬢は、半ば強引にパートナーの男子学生を引っ張ったのである。

その為よろけた男子学生の足元とダニエラ=フィリプスの伸ばした足が交差する様にぶつかった。


そしてなんとエリー嬢は――そのまま転んで見事な尻もちをついてしまった。


勿論直ぐに起きて演技を開始すれば、多少減点になっても評価はされる。

慌てたパートナーの男子学生は直ぐに起き上がる様、呆然とするエリー嬢へと手を伸ばした。


しかし尻もちをついたエリー嬢は、パートナーの男子学生の手をバシッと叩いて振り払うと、真っ赤になったまま自分で立ち上がった。


そして――真っ青になり身動きが出来なくなっている男子学生に向かって、真っ直ぐに指先を刺したまま怒鳴り始めたのだ。


「下手くそ!あんたのせいで転んだじゃない!何て事をするのよ!?

少しはダンスが出来ると思ってのに…あんたのせいよ!

わたくしのお父様に言いつけてやる!

『あんたのせいで試験が台無しになった』って云いつけてやるわ!

お父様の力であんたの家なんて捻り潰してやる!お父様なら――…」


そこまでで――僕が今まで聞いた事が無い程厳しいハイネ先生の声が、講堂内に響いた。


「もうお止めなさい!ダニエラ=フィリプス…貴女は失格です!」


 ++++++


「ダニエラ=フィリプス!貴女は失格です…!

元はと言えば、貴女が強引にパートナーの腕を引っ張った為に男性側がよろけたのでしょう!?

転んでも直ぐに起き上がって演技を続ければ問題なかったのに、こんな試験の場でパートナーを詰り、ご自分のお父様のお名前を出して圧を掛けるなど…恥ずべき事だと思いなさい!」


ハイネ先生の言葉を聞いて、僕は思わず傍らに立つ姉さまの顔を見た。

姉さまは何故か息を潜めながら、ダニエラ=フィリプスの様子を見つめていた。

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