第36話 シャルルの事情 ⑬

「――なあ、シャルル?どうなんだい?知っているのか?」


イーサンの言葉に、思考から引き戻された僕は、慌てて彼へと返した。

「…いや、申し訳ない。ちょっと今は思い出せない。ごめんよ、イーサン」


ビリーの親御さんがビリー本人にまで口止めするという事は、既に何かしらの形でフィリプス家がフォレスト家に保証か圧力をかけている可能性が高い。


(…僕がここで簡単にイーサンに伝えて良い内容では無いだろう)

と判断したのだ。


「そっかあ…シャルルなら知っていると思ったんだけれどな」

残念そうに言うイーサンに僕は罪悪感を覚えながらも

「力に成れなくてごめんよ。僕、ちょっと急ぐから…」

と言って、僕はその場を立ち去ったのだった。


 ++++++


その日はそれで済まなかった。


放課後高等部の校舎で、僕がデヴィッドの待つ高等部の生徒会室に向おうとしている時に、生徒会長に呼び止められたのだ。


「シャルル君…ちょっといいかい?」

「あ、はい…?何でしょうか」


副会長であるデヴィッドとはよく一緒に過ごすが、最初の頃こそ色々とあれ、今は生徒会長と話す機会はあまり無かった。


「今日はデヴィッドにはもう帰って貰ったよ」

会長はそう言うと、制服のポケットから手の平サイズの数枚の紙きれを取り出し、広げて僕に見せた。


「実は…投書箱にが数日前から入っていたんだけどね。

悪戯かと思って放置をしていたんだ」


その紙切れにはどこからか切り抜いて貼ったのか、アルファベット文字が不格好に並んでいた。


「何ですか?これ…」

「よく読んでみて欲しい」


大きさや太さのバラバラな文字をつなぎ合わせて読んでみると、何と文章になっている。

僕はそれを一枚ずつ読んだ。


「『生徒会室を閉めろ』」

「『生徒会室は危険だ』」


「『お前たちは見られている』…これは一体…」

(どういう意味なんだ、これは…)

僕は意味が分からず、思わず会長の顔を見上げた。


生徒会長は僕へ頷いてから言った。

「実は…高等科の建物入口に常時設置してある生徒会の投書箱に入っていた物だ。

いつも夕方中身を確認するんだが、投書箱の底の方にこいつが沈んでいるから、箱を空けた日の夕方から翌日の午前中位迄にこの紙が投書されている可能性が高いんだけれどね」


「何だか気味が悪いですね。それに、これは…この文字は…」

「そうなんだ。手書きの筆跡では無く、本や何か…新聞や雑誌を切り抜いた文字を貼っているんだよ。ミステリー小説の様だろう?」


「そうですね。でも何故…わざわざこんな手間のかかる事をするんだろう」

「うーん。理由は分からないが…この送り主は自分の素性が判明するのを警戒しているのかもしれないな」



「けれどがとても気になってね。

実際ここ数週間、何回か生徒会の部屋の鍵が何故か開いていて、部屋の中に入られた形跡があるんだ」

生徒会長はそう言うと、『お前たちは見られている』と文字が書いてある紙切れを指先でトントンと叩いた。


「何も盗られてないし盗られるものも実際に無いし、生徒会の誰か忘れ物をして開けた後、締め忘れた可能性もあるのだけれど――」


「僕等のの集まりやが外部にバレても面倒だから、暫く部屋は閉めておく事にするよ。いいね?シャルル君」


「…分かりました」

僕は生徒会長の言葉に大人しく頷くしかなかった。


 +++++


帰宅の為の馬車に乗って帰る道すがら、僕は今日あった事を考えた。

まず、エリー嬢・兄のレオナルドによるビリー襲撃のこと。

それから生徒会への謎の脅迫(もしくは警告)文――。


試験は明後日から始まるというのに、僕のまわりでは考える事が沢山あった。

そしてヘイストン邸に帰宅すると、この日最後で最大の事件が起こっていたのだった。


馬車がヘイストン家のエントランスに着くと、いつもは出迎えて並ぶメイド達の姿が無い。


僕は一人馬車を降りると、邸の入口――玄関へと向かった。

すると玄関の扉から執事のトーマスが顔を覗かせて、僕の姿を確認するなり慌てて階段を下りてきた。


「おかえりなさいませ、シャルル様。申し訳ありません、今アリシア様の事でバタバタしておりまして…」

「…え?姉さまが…?」


(今度は姉さまか?)

 

 ++++++


僕が執事を伴って、自分の部屋にと向かう階段を上り廊下を歩いていると、なんだかそこは大変な騒ぎになっていた。


僕の部屋の隣が姉さまの部屋だが、そこの前で焦る父上と青ざめたメイド長が、部屋の扉を叩きながら扉越しに姉さまを呼んでいたのだ。


「アリシア…アリシア!ここを開けなさい!その頬と髪の毛は一体どうしたのだ!?」

「お嬢様!お嬢様…どうかここを開けてくださいまし!」


僕は父上とメイド長に声を掛けた。

「今帰りました。父上…姉さまは一体どうしたのですか?」


「おお…シャルル、いい所に帰って来た。アリシアを呼んでおくれ。帰宅するなりあの子は部屋に閉じこもって出てこんのだ」

「お嬢様は片頬を腫らして帰って来られて…おまけに片方の髪も短く切られておりました。誰があんな惨い事を…」


メイド長がシクシクと泣きながら訴える内容に僕は驚いた。


(――髪を切られて…頬を張られた?)


今の女生徒達は男子よりも血の気が滾っているやつが多いって事だろうか?

僕は暴力が苦手…流血の類も大嫌いなのである。


そんな酷い事をするのは…ダニエラか取り巻きの誰かだろうか?


一瞬、朝のビリー襲撃の件が僕の脳裏に甦った。

(まさか…兄レオナルドが直接武力行使に出てきた訳じゃなかろうな)


心配になった僕が頷いて父上に合図すると、姉さまの部屋の扉を小さくノックした。

「…姉さま、僕だよ。ここを開けておくれ。父上とメイド長が卒倒しそうになっている」


暫く部屋の中からは反応がなかったが、姉さまの部屋の扉がキィ…と小さな音を立てて細く開いた。


そこには散らかった新聞や羊皮紙に紛れる様に、姉さまのストロベリーブロンドの髪が束になって床の上に落ちているのが扉の隙間から見えた。


そして制服を着たままの青白い顔をした姉さまが、裁ちばさみを持ったまま幽鬼さながらに立っていた。


父上が息を飲む音と、ヒィッと喉を絞る様なメイド長の細い悲鳴が聞こえた。


姉さまは――少年のようなショートボブになっていた。

彼女の目の下の隈は濃く影を落とし、片頬は赤く腫れている。


「何も問題ないわ――頭は軽いし、返ってすっきりした。

たまには短いのも気分転換になっていいわね」


その口調は『オーケー、大した事のないパンチを喰らっちまったぜ』と言い張るボクサーの様である。


「…ね、姉さま、その頬はどうしたんだい?」

「ああ、これね?…安心して。相手の女の子には五倍返しにしてやったから」

姉さまは皮肉っぽく笑って言った。


(という事は…やったのはエリー嬢の取り巻きのひとりか)

僕が考えていると、父上が姉さまを気遣う様に声を掛けた。


「アリシア…学校で何があったのか知らんが、一人で抱え込んでは…」

「お父様、少なくとも今日の事は学校で既に解決しています。ですからこれについては手出し無用です」


姉さまは父上にそうきっぱりと言うと、くるりと向きを変えて無表情に僕を見た。

今まで見た事が無い程冷たい眼差しをした姉さまは、僕へと挑戦的に言った。


「連日遅く帰ってきて…随分余裕なのね、シャルル。明後日の試験勉強は進んでいるの?今回は本当に真剣にやった方がいいわ。

じゃないとわたしにこてんぱに負けるかもしれないわよ?」


「そんなに目の下に隈を作らなくても僕の勉強は終わっているよ。

姉さまこそ…ちゃんと眠れているのかい?」

僕はなるべく感情を交えずに姉さまに言った。


父上が驚いた様な顔をして僕と姉さまを交互に見つめている。


姉さまはまた皮肉気に笑うと、

「…そう?なら、それが口先だけにならずに済むといいわね」


姉さまはそう言ってから『夕食は部屋で食べるから持って来て』とメイド長へ頼んだ。

そして彼女はその場に僕等を残したまま、パタンと部屋の扉を静かに閉めたのだった。

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