第35話 シャルルの事情 ⑫
その日の夜はおかしな夢を見た。
ストロベリーブロンドのその子の顔は見えない。
長いサラサラの髪を腕の中に抱きしめると、何故か懐かしい甘い香りがする。
その香りを嗅ぎながら、僕は沢山のキスを落としていた。
その髪と小さな耳朶と白い首筋に。
その瞼と頬と僕の名前を呼ぶ唇に。
僕は分かりやすい愛の言葉を言わなかった。
簡単に口にした言葉は、僕の愛の価値も下げる。
何においてもそうだったが、恋愛の類も僕は必ず優位でいたかった。
相手が僕に夢中になればなる程…僕の『勝ち』。
天秤の秤の重さで云えば、沢山の甘い言葉を吐いて沢山の愛を示した方が、その天秤を重くして負ける。
相手が僕を好きになれば成る秤は下へと傾いて、僕の『勝ち』だ。
今までもずっとそうしてきたし、それこそが僕にとっては『勝負においての勝利』だ。
僕はずっとそう思っていたのだ。
けれど今、そんな僕をあざ笑う如く――。
夢の中の僕は、あの陳腐な恋愛小説さながらその子へと、愛を囁いている。
『好きだ』
『愛してる』
『可愛い』
『君は僕の物だ』
『僕を愛してくれ』の件のやつを。
その子の耳元で何度も何度も沢山のキスを落としながら。
それでもなお言い足りず繰り返す愛の言葉に
『どうか、この子が応えてくれますように』と願いながら。
++++++
「――え?ドワイトがお休みなのかい」
「そうなんだってさ。試験勉強でもしているんじゃない?」
「ふーん…でも珍しいね」
僕は教室でいつもの様に宿題のノートを集めながら、クラスメイトの話を聞いて相槌を打った。
時折だが、試験勉強が間に合わないと学園を休んで勉強する奴もいる。
試験の結果が悪すぎると留年する可能性もあるので、普段なら何とも思わない。
けれどドワイト=コリンズはコツコツと勉強を積み上げる性格で、試験直前にいきなり学園を休むタイプでは無かったので意外に思ったのだ。
(いきなり…体調不良だろうか)
昨日は元気溌剌としていた姿を見たのだが。
そう言えばあの気の弱いビリー=フォレストも、結局学園へ登校して来ない。
通学途中で何者かに乱暴され救護室へと行く様に促したが、結局鼻の骨が折れていたらしく、そのまま『町医者へ行く』と帰宅し教室には戻ってこなかった。
僕は集めたノートを持って、管理棟にある職員室に向かう通路を歩いていた。
その時、僕は後ろから声を掛けられた。
「シャルル!ちょっと待って――話があるんだけれど!」
タタタ、と廊下を走ってくる音が聞こえたと思うと、ダンスシューズを持ったイーサン=レガートが僕の前に現れた。
「ちょっと相談があるんだよ…いいかい?」
心なしか青白い顔をしたイーサンが真剣な口調で僕に言った。
++++++
「実は君のお姉さんのダンスのパートナーをさせて貰っているんだ。彼女の試験の時にも踊る事になっているけれど」
イーサンは改めて僕へと言った。
「ほら…僕らのダンスの試験の練習にもなるだろう?」
僕等男子生徒もダンスの試験は、今回勿論ある。
大抵がハイネ先生の数名いる女性アシスタントと踊るのだ。
(男性アシよりも女性アシの方が人数が多いのである)
僕は適当に頷いた。
「うん、まあ…姉さまから聞いているよ」
「ああ、聞いているんだね――
(…アリシア?)
僕はイーサンの『アリシア』呼びに『勝手に呼び捨てするなよ』と内心イライラしてしまった。
するとイーサンは不思議そうな表情で僕に尋ねた。
「あれ?今舌打ちした?」
「してないよ――それで?」
(早く要件を言ってくれ)
僕はにっこりと微笑ながらイーサンへと尋ねた。
「実はさ。この間君のお姉さんにデートの申し込みをしに行ったんだけど」
「うん、クレープを食べにカフェに行くんだろ?それで、それが何?」
「なんだよ、シャルル。急かさないでくれよ」
「僕も職員室に集めたノートを出しに行かなきゃいけないから、悪いがあまり時間が無い(これは嘘だ)んだよ」
「ああ、そっか。ごめんよ。実はね…」
++++++
イーサンの要領を得ない話を纏めるとこうだ。
先日姉さまのいる女子棟入口付近で三人で姉さまを待っていたらしい。
それがビリー=フォレストと今日学園を休んだドワイト=コリンズとイーサンだ。勿論三人で(何て事だ、三人とは…許せん)デートに誘う為である。
待っている間に、立ち話で姉さまの話題で盛り上がっていると、通りかかった
『アリシア=ヘイストンを待っているの?』
とそのきつい顔立ちの女の子に尋ねられた。
『そうだよ。デートに誘うんだ』
と巻き髪の女の子に答えたところで、姉さまが丁度馬車に乗る為に校舎から出て来た。
三人が取り囲み一斉にデートに誘うと、姉さまは少し困った様に
『ええと…じゃあ、ダンスのパートナーをやってくれたら…』
と了承したらしい。
そのきつい顔立ちの巻き髪の子は、終始観察する様にイーサン達の様子をじっと見ていたので、イーサンは姉さまに尋ねた。
『ずっとこっちを見ているあの女の子…彼女は友達?』
『あの子は…エリーは違うわ。むしろ…』
と言葉を濁しながら、姉さまは首を振ったと云う。
++++++
「…
思わず呟く僕の言葉を聞いたイーサンには
「え!?…シャルル、彼女の事を知っているのかい?」
と反対に尋ねられたが、残念ながらこの時点で、僕の頭に彼女の顔は思い出せなかった。
頭の痛い事だが、ここに来て女の子の顔が全て『もへじ』化する現象が僕の足を引っ張っているのである。
「いや、会っている…筈だけど、僕は顔を覚えていない」
「
少なくとも一度会っていたら覚えるだろ」
「…とにかく覚えていないんだよ」
「まあいいや、…それでさ」
イーサンは、通学中に鼻を骨折し今も学園を休んでいるビリーの自宅へとお見舞いに行ったらしい。
その時に彼が怪我をしたことの経緯を聞いてきたのだと言う。
ビリーは大まかにイーサンにこう説明した。
「僕が歩いている時に派手な通学用の馬車が横づけしたと思ったら、そこから学園の制服を着た大柄な生徒が降りて来て、いきなり僕を殴ったんだ」
++++++
「え?…学園の制服を着た男が殴った…?」
僕はイーサンの言葉を鸚鵡の様に繰り返した。
「ちょっと待ってくれ。そんな乱暴な事をする生徒がいるって事?」
「僕も最初は信じられなかったよ。でもビリーがそんな見間違いをするわけないじゃないか」
イーサンは僕へ言い聞かせるように言った。
「それは…確かにね」
我が学園は一般的な市井の子供が入る学校では無い。
王家と貴族が入る王立学園だから制服や身に着ける物もきちんと指定で決まっている。
イーサンの言う通り、在校生であるビリー=フォレストがそんな見間違いをするとは考えにくい。
「ただね。ビリーの親は『この件をもう外では話すな』とビリーに釘を刺してきたらしいんだ。
彼は試験が始まる迄は怖くて学校に来れないと言っていたよ」
「…そうか、それは気の毒に」
僕はイーサンの言葉に頷いた。
(そんな事があれば、学校に歩いて来るのは怖くなってしまうだろうな)
僕の言葉にイーサンも『そうだろう?』と言った風に頷いた。
「…それでね、実はシャルルに訊きたいのが
「――紋章?」
「そうなんだ…僕等の家の階級だと紋章が無いけれど、伯爵家の上級からは紋章があるじゃない」
「うん…そうだね。我が家にもあるよ」
僕はイーサンに答えた。
伯爵の上級からはそれぞれ家名を表す紋章を持つことを、王家より許される。
我がヘイストン侯爵家の紋章は『銀色の牡牛』のモチーフのものだ。
「金色の鵞鳥のモチーフの家名は分る?」
「――え?」
「金色の鵞鳥だよ。ビリーを殴った男が乗っていた派手な馬車に、その紋章が付いていたのを
本当はそれも含めて親に『話してはいけない』と言われたらしいけれど」
――『金色の鵞鳥』
社交界にまだ出ていない僕でも直ぐに分かった。
『フィリプス侯爵家』の紋章だ。
となれば…『学園の制服を着た大柄な男』
つまりビリーを道端で殴ったのは、レオナルド=フィリプスの可能性が高くなる。
(でも何故だ?)
『何故レオナルドはいきなりビリーを殴ったのだ?』
その疑問は残る。
(ただ単純に腹立たしくて…いや?――)
その為に、わざわざ自分の馬車を道端に寄せてまで通学中の
そう…『狙って』襲ったようにしか思えない。
途端にきな臭くなる話の展開に、僕は黙って考え込んでしまった。
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