第37話 シャルルの事情 ⑭

翌日の朝僕はひとりで朝食の席に着き、いつもの様に新聞を広げて読んだ。

その時――妙な既視感に襲われた。

(――ん?)


毎朝僕等が読んでいるこの新聞は、父上が後継者争いの為の課題として準備する所謂『経済新聞』の様な物だ。


国内だけではなく海外の株などを取引きする会社の一覧なども書いてあり、一般的な大衆記事のみが記載されているものとは内容が異なっている。


(これは…?)

その中の海外のある会社の名前(特徴的な書体なのだ)のアルファベットの一文字が――なんとあの高等科生徒会の意見箱に入っていた脅迫文に貼ってあった文字のひとつと合致する事に気が付いたのだ。


僕は思わず椅子から立ち上った。


『この新聞を読んでいるのは誰だ…!?』

経済に興味のある者なら読んでいる者は多いから、生徒会に入っている人物の中でもデヴィッドを含め何人かは読んでいる筈だ。


高等部の生徒全体で云うなら、成人していて経済界に興味のある者がもっと読んでいる筈である。


そう――我がヘイストン家と共に経済界で躍進しているライバルのフィリプス家長男、レオナルド=フィリプスも読んでいるかもしれない。


そこまで考えて――僕はまた椅子にカタンと静かに座った。


一気に頭が冷えて冷静になったのである。

(それは流石に…飛躍し過ぎか。それに――)


『高等科生徒会関連をどうにかしようとするのが目的なら、あんな子供だましのメモのような紙だけで一体どうしようというのだ』

と思い直した為だ。


その時父上がぷりぷりと怒りながら、足音高く執事トーマスと共に食堂へと入って来た。


 +++++


「…おはよう、シャルル。全くあの強情で苛烈な性格は一体誰に似たんだろうな、なぁ?トーマス」

「おはようございます、父上。それは…まさか姉さまの事ですか?」


「今アリシアを学園へ行く前に捕まえて、昨日の詳細を訊こうとしたら『お父様にお話する事はありません』と言われてな。

『お前の姿勢がそうならしかたがない。今日学園に確認する』と言ったら、反対に激昂しおった」


(そんな姉さまを見た事は無いが…)

「激昂…ですか?」

「全く年々…あれの母親に気性がそっくりになってきておる。困ったもんだ」


「…亡き母上ですか?僕にはいつも優しく微笑んでいたイメージしかありませんが」

何時も母上の優しく慰めてくれる声しか聞いた覚えがない僕は、不思議に思って父上へ尋ねた。


少しフンと鼻で笑ってから思い出したのか、父上はしみじみと語り出した。


「何を言っている…一度怒らせたら、あんなに恐ろしい女はおらんかったぞ。ヘイストン家の誇りを固めた様な女だったからな。

ま…そこがとても愛おしくも美しくもあったが。

いや、とにかくアリシアには

『子供の喧嘩に親がしゃしゃり出るなど…に恥を掻かせないで下さい』

と却って儂が怒られたからな。あそこまで言われたら流石に何も出来ん」


父上は『お手上げだな』と言わんばかりにため息をついて、トーマスに紅茶を頼むと朝食を食べ始めた。


 +++++


「おはようございます。失礼します」


集めた課題のノートを持って管理棟にある職員室に持っていった僕は、担任の先生からビリーと、昨日休んだドワイト=コリンズは今日も休みだと教えてもらった。

どうやらその様な連絡があったらしい。

(ビリーだけじゃなくて、ドワイトもか…)


いつもの様に課題入れの箱へ回収した宿題ノートを入れていた僕は、この間姉さまのクラスをわざわざ教えてくれた先生にまた出会った。


「おはようシャルル君。いい朝だね」

「おはようございます、先生」

「昨日のお姉さん大丈夫だったかい?…大変じゃなかった?」


どうやら先生は昨日の姉さまの件を知っている様子だった。

僕は正直に先生に言った。


「実は…僕等に姉さまは何も言ってくれないんです。

ただ父上は心配したあまりに学園へ連絡しようか迷っていました。

先生…事情をご存じでしたら、姉さまに内緒で少し教えていただけませんか?

そうすれば僕も父上も安心すると思うんです」


「成程、そういう事情があるとは…。僕も他の先生伝手の又聞きだから詳しくは言えないが…」

と言いつつも、先生は知っている事をやたらスムーズに教えてくれた。


「最初は、裁縫の授業の自習中の女の子同士の普通の言い合いだった様だよ。

けれど徐々にエスカレートして、生徒の一人が先生を呼びに行っている間にいつの間にか、取っ組み合いの喧嘩になっていたらしい。

その時には既にお姉さんの髪が裁縫ばさみで切られ、頬っぺをビンタされていた様だったから、先に仕掛けたのはお姉さんの喧嘩相手だと思うけれど」


「まさか…と、取っ組み合いですか?」

(仮にも貴族の子女が…?)


僕はため息をついた。

暴力は美しくない…本当に苦手だ。


「女の子と言えども血気盛んなお年ごろだからね。

引っ掻く、引っ叩く位は時たまあるよ」

先生は腕組をしながら、うんうんと頷いて僕に言った。


「でも君のお姉さん凄いね。三、四人位に取り囲まれたらしいけれど、あんな小柄でも馬乗りになって、相手を引っ叩いていたらしいから」


僕はその時昨夜の姉さまの『安心して。五倍返しにはしてやったから』の台詞を思い出していた。


 +++++


弟である僕に会って余程言いたくて仕方が無かったのだろう。

先生は尚も話続けた。


「流石に仕掛けた相手側の女の子が『親を呼ぶ』って言い出したらしいが、君のお姉さんは頑なに『親は呼ばないで欲しい』と先生にお願いしていた様だよ。不思議だね、先にやられた側の筈なのだが…。


しかも皆の前で相手の女の子に『親を持ち出す気なら、親の目の前であんた達がわたしに今までして来た虐めや盗みを全部ばらすわよ』と脅したから、その場に駆け付けた先生までが初耳の事に度肝を抜かれたと言っていた。


異例だが『今回だけは学園預かり』になって次回は無いよ、と結局話は落ち着いたが…いやあ、君のお姉さん相当気が強いんだね。

びっくりしたよ…お家でもそんな感じなのかい?」


「いや…いえ。違うと思います…けれど」

先生への返事がかなり微妙にはなってしまった。


けれど、僕は姉さまを『図太い』と思う事は有れど『か弱い』とか『繊細』と思った事は無かったので、正直そこまでの驚きは無い。


小さい頃から庭で使用人の子供とくんずほぐれつの泥まみれで遊んでいたのを見ていたからだろう。

(…いや、まぁ流石に…この年での『馬乗りで引っ叩く』にはびっくりしたが)


ただ今までのあのおおらかでのほほん的な姉さまは一体何処に行ってしまったのかとは疑問に思う。


けれど多分…が入ったという事なのだろうと思った。


アリシア=ヘイストンの中で、ヘイストン家が。


 ++++++


僕が教室に戻るなり、早速姉さまとのダンスの朝練を終えたイーサン(また、こいつだ)が勢い込む様に話しかけてきた。


「シャルル!…なぁ教えてくれよ。アリシアの…あの髪の毛は一体どうしたんだ?あの頬は?」

「…僕にもよく分からないよ。姉さまが話したがらないから」


そう答えた僕に業を煮やしてキレてしまったのか、今日の姉さまに完全に萎えたのか、イーサンは髪の毛をガシガシと掻きながら僕へと大声を上げた。


「くそっ…君らってやっぱり兄弟なのに、仲良くはないんだな。

なあ、あの髪何なんだよ、まるで男じゃないか…!

しかもあの頬っぺた…以前の可愛らしさは一体何処に行っちまったんだよ…!以前の話と全く違っているじゃないか…!」

「…………」


そこで何かの圧を感じたのか――叫び終わってふと顔を上げたイーサンは、無言の僕を見て一瞬飛びのいた。


「うわっ!シャルル何だよ、その顔…怖いよ」

「――イーサン=レガート、君に言っておく。

姉さまの頼みを引き受けたからには、自分の言葉には最後まできちんと責任を持ちたまえ。

あと…姉さまは髪が短くなっても頬が腫れても、美しいし可愛らしい。

二度と僕の前で否定的な言葉は言わないでくれ」


「…へ…?君らって…仲が悪いんじゃないのか?」

ぽかんとして僕を見るイーサンをそのままに、僕は自分の席へつかつかと歩いて戻った。


そしてシーンと静まり返った教室の中で、僕はそろそろ始まるだろう授業を受けるべく席に着いた。

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