第32話 シャルルの事情 ⑨

『許せない――僕の姉さまがの男とあんな事をするなんて』



今、僕は何を考えた?

――今…僕は…。


 ++++++


「…ル…シャルル?ねぇ、シャルルってば」


姉さまの声に我に帰ると、いつの間にか姉さまが僕の目の前に立って僕の顔を伺う様に覗き込んでいる。


「な…何…?」

「ねぇ…シャルルまでお父様みたいな反応しないでよ。一緒にカフェに行って、クレープを食べる約束をしただけなんだから」

「…クレープ?」

「うん、そう。新しく出来たカフェがあって…クレープがすごく有名なの。『そこに行きたい』って言ったら『いいよ』って言ってくれたから…ね、シャルル、本当に大丈夫?」


そう言うと、姉さまは手を伸ばして僕の目に垂れかかる前髪をそっと払った。


「なんだか真っ青よシャルル…?座った方が…」

「…大丈夫だよ」

僕は思わず姉さまの指を掴んだ。


「本当?でも何だか…」

姉さまが首を傾げて僕を見上げた。

僕に似てるけれど、僕とは違う色のグレーの瞳が揺れている。


その白い指を見ると僕の為に縫ったハンカチの刺繍の傷はもう癒えて、沢山の絆創膏はすっかり消えていた。


僕は無意識にその指にそっとキスを落とした。

――あのハンカチにした様に。


「――シャ、シャルル…?」

その時、戸惑った様な姉さまの声がした。


『――いけない』

ハッと気付けば目の前には今度は真っ赤になって固まっている姉さまがいた。姉さまはまたあの泣きそうな表情を浮かべている。


「…ご、ごめん。…ええと…」

って一体なんだ)

僕は言い訳にもならない事を言うと、慌てて姉さまの指をパッと放した。


姉さまは真っ赤になったまま後ろ手にまわし少し俯いて、もじもじと足を動かしながら言った。


「…そ、そんなに心配かけたならごめん…シャルル、謝るわ。実はダンスについてはシャルルに相談しようとはしたの。でも…ちょうどその時シャルルが股間にコブラを飼っていたから…」


「――え?…失礼、僕が何だって?」

(飼う?…いきなり何の話しが始まった?)


姉さまの話の飛躍に今度は僕がついていけてない。

ってなんだ?『アブラカタブラ』の様な呪文か?


「コブラはコブラよ、ほら…蛇の」

姉さまは腕を立てて伸ばし、丸めた拳を手首を曲げカクカクと動かした。

「――『ヘイストンの守り刀』の事よ」


『分かるでしょ?』と言わんばかりの態度の姉さまを、今度は僕が唖然として見つめる番だった。


何なんだ。

何故彼女は、時にこんなにノンデリでいられるのだ。

先日の――僕のナニタイム襲来を今擦ってくるとは。

(しかも爬虫類の毒蛇に例えるなんて)


僕も時々指摘はされるが、姉さまは生粋のノンデリだ。


僕は目を瞑り、こめかみを押さえながら姉さまに言った。


「…分かったよ。でも姉さま、を他の男子の前ではやらない方が良いと思うよ」

「…え?そうなの?」

「そうだよ。特に社交界の…貴族の男子の前ではやっては駄目だ。ドン引きされてしまう」

「あ、そうなんだ。知らなかった~…危なかったわね。教えてくれてありがと、シャルル」


(…危なかったわね、じゃないよ)

笑いながらあっけらかんとして云う彼女を見ながら、僕は

『やっぱり姉さまは姉さまだ』

と妙に安心してしまった。


 +++++


「とにかくシャルルに言っておきたいのは…その様子だと色々ともうバレているのかもしれないけれど。

わたしと彼女の喧嘩には口出しをしないで頂戴ってこと」

姉さまはやけにきっぱりと言った。


「それは…彼女自身には罪はないって言いたいのかい?」

「――そこまで知っているの?」

驚いた表情を浮かべた姉さまは僕の方を見た。


「…全く罪が無いとは言い難いわ。でも多分…わたしの学用品やダンスシューズを隠している訳ではないと思うから」


デイヴィッド=ブレナーの乳首を虐めて僕が聞き出しただった。


ダニエラ=フィリプス侯爵令嬢には、厄介な貴族の令嬢のが数人いる。

その貴族の令嬢達は、エリー嬢よりもむしろその兄――レオナルド=フィリプスに媚びを売りたくて、彼の言う通りに動いているのだという。


今年高等科一年目に入ったレオナルドエリーの兄は素行がかなり悪いらしく、数々のトラブルを各所で起こしているが、公になりそうな物については父親が殆ど揉み消している様だ。


高等生徒会でもかなり手を焼いていて、レオナルドは子爵家のデヴィッドの注意などは全く耳に入れず、公爵の名前を持つ生徒会長の云う事しか聞かないのだそうだ。

校内なのに爵位に拘る阿呆がここにいたのである。


今政界のなかでも飛ぶ鳥を落とす勢いのフィリプス家だから、学校への寄付金も多額で学校側も必要以上には強く言えないらしい。


「でも彼女が先に姉さまに喧嘩を売ったんじゃないの?そのきっかけは、僕が彼女の事を御断りしたからじゃないの?」


姉さまは暫く黙って俯いていたが、両手をぎゅっと握り合わせた。

「――例え…あんたの事がきっかけだったとしても、よ」


「取り巻きも含めてだけど、彼女達が事実は変わらないわ。

だから勝負を申し込んだの。わたしが今回の試験科目全てで、ちょうだいって」


「ね…姉さまから?」

まさかの――何てことだ。

(姉さまから試験の勝負を申し込んだのか)


「そうよ、わたしから挑んだの。

だから今日の夕食の席で…あんたはいなかったけれど、お父様にはもう言ったわ。

お父様にもあんたにも…理由はバカバカし過ぎて言えないけれど、この勝負に絶対にって。

わたしは必ず勝つ――勝って、あの子達にこれ以上ヘイストン家の名誉を…を汚させやしないわ」


 ++++++


僕は驚きながらも姉さま――アリシア=ヘイストンの横顔を見つめていた。

改めて姉さまの顔をしっかりと…はっきりと見た感覚だ。


(姉さまが一体何を掛けて戦うのか理由は分からないが)

こんなに雄々しく勝負を挑む女子…いや男子生徒ですらも、僕は見た事が無い。


大抵貴族とはこんな大っぴらに勝負は仕掛けない。

裏から搦め手で波風を立てずにゆっくり目標を落とすのが定石なのである。

でないと下手をすれば先を読まれてしまうからだ。

姉さまのやっている事はむしろ騎士の持つ騎士道に近いものだ。


けれど――彼女は美しかった。


部屋の中は教科書やゴミで散らかり、手で掻きむしったおかげでストロベリ―ブロンドの髪を針の様に逆立ててはいたけれど。


決して『小動物』などではない――凛として雄々しい美しさがそこにはあった。



アリシア=ヘイストンは――美しい。


女の子にはもう巡り合えないだろう…この先きっと。


そう思うと、何故か僕は胸が潰れそうになるくらい苦しかった。

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