第8話 旦那様に拒否られて
「きゃあああ!」
いきなり部屋の灯りが消えた事で真っ暗になった。
一瞬の事で、わたしもパニックに陥ってしまった。
「ま…窓…窓…」
ベッドから慌てて転びそうになりながら降りると、窓際まで暗闇の中で手を前に突き出して進む。
やっと窓際に移動して分厚いカーテンを開けると、そこには明るい月明りが――。
――――無かった。
月は分厚い雲に阻まれて、月明りどころか鬱蒼とした森が見え、目には見えない何かが湧き上がってきそうで、先程よりもずっともっと怖くなる。
(ひょえええ……)
慌ててカーテンを閉め直し、また手探りでベッドの布団の中に潜り込んだ。
(めっちゃ怖いじゃないの……)
もぞもぞ動いていると部屋の扉がカチリと開く音がして人影が入ってきた。
廊下も薄暗くさっきの森を見たせいか、入って来る影がなんだか魔物にも見えてくるから不思議だ。
その影は音がしない様に静かに閉めた後、こちらに近づいてきた。
入ってきた人影――多分ジョシュア様だと思うが、暗すぎてベッドの位置が分からないらしい。
ウロウロしているのが、息を潜めているわたしにも分かった。
そのうちガタンと音がして
「痛ッ…!」
と男性の声がした。
気の毒なことに、どうやら暗すぎてベッドの脚かサイドテーブルに足をぶつけてしまったらしい。
「……あの、大丈夫ですか?」
恐る恐る尋ねると、ぎょっとしたように頭がこちらを向くのが分かった。
(多分、眠っていると思われたんだろうな)
と思いつつもわたしの声もひそひそ声になってしまった。
「あの…アリシア=ヘイストンと申します。この度嫁いでまいりました。
…お仕事がお忙しい所に押し掛けるような形になって申し訳ありません」
ジョシュア様はハア…とため息をついたように思われた。
「…持参金の話をバートンから聞いた」
低い抑揚のない声だった。
「それでは…」
「――それはきみの金だから……」
その言葉と共に風を切る音がして、どさっ…バサっという音がした。
手を伸ばすと、わたしとジョシュア様の間に細長い何か――クッションのようなものが置かれている。
眼のまえに…こんもりとした山のシルエットが見えるのは多分ジョシュア様だろうが、背を向けて横になっているのは間違いない。
「あの…、これって…境界線ってことでしょうか?」
恐る恐るジョシュア様に声をかけると、簡潔な一言だけ返ってきた。
「…そうだ」
(めっちゃ避けられてる…なぜ?)
その後はジョシュア様もわたしも身動きしないまま時間が過ぎ、わたしはいつの間にか眠ってしまっていた。
+++++++++++++++++
「…うーん…」
自分の声と花の香りに気がついて目が覚めた。
部屋に瑞々しい花の香りが広がっている。
ふと見れば、サイドテーブルにいつの間にか、一抱え程あるピンク色のバラが花瓶に活けられていた。
(デイジーが眠っている間に活けてくれたのかしら?)
窓を見ると分厚いカーテンの下から太陽の陽が漏れている。
がばっと起き上がってベッドの隣――ジョシュア様が横になっていたらしきところを見ると、確かに横になり休んでいた形跡がある。
(良かった…昨日の夢じゃなかった)
と、ほっとしてしまった――が。
(いやいや…)
安心している場合ではない。
『境界線』のクッションがしっかりと置かれていたままになっているではないの。
ジョシュア様がわたしと『夜の仲良し』をする気が無いというのは、もう昨夜のことを思い返せば明らかだ。
いくらわたしが鈍くても、それは分かる。
(これが続くのはちょっと辛いな…)
確実に『離婚』という警告のサインが見えている気がして、ため息をつく。
そのまま起き上がって、わたしはカーテンを開いた。
朝日が部屋の中を強烈に照らしている。
外は眩しい程の晴天だった。
わたしの心は曇り空だが。
その時、先程までは部屋の中が暗くて分からなかったが、ベッドの枕の上に白いカードが置いてあるのに気づいた。
それをペラッと持ち上げて読んでみる。
美しい筆記体文字で
『おはよう。全てきみの好きにしていい――ジョシュア』
と書いてあった。
わたしはそれを眺め、しばらく考えてから呼び鈴を鳴らしてデイジーを呼んだ。
+++++++++++++++++
「おはようございます」
わたしはデイジーと共に食事を摂る広間に向かった。
今日は色々なところを巡るつもりなので、淡いブルー生地でリボンのついた動きやすい簡素なワンピースに着替えている。
昨夜と同じ様に、バートンとコック帽のイケメンが朝食の準備をしてくれていた。
ふかふかの白パン、自家製のソーセージ、チーズ入りスクランブルエッグとフレッシュな野菜サラダ――やはり味は上等である。
「すごく美味しいわ…卵の味もバターも濃厚ね」
と褒めると、イケメンは満足そうに頷いた。
「ありがとうございます。光栄です」
低めの渋い声だった。
「そう言えばあなたのお名前を知らないわ」
「…コックで結構です。俺しかいませんので」
そう答えるとニヤッと笑った。
(…ジョシュアさまと同じぐらいの年かしら)
何だかちょっとミステリアスな男性だった。
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