涙の復讐

「クッキーの家」


 店の名前はこれにした。なんのひねりもないが、分かりやすさを第一にしたのだ。


 もとはピザ屋だったこの店、窯もそのまま使える。それになんと言っても二階が住居になっているのがありがたい。安い簡易ベッドと布団を二セット。これで春といってもまだまだ寒い中を暖かくして眠れる。


 最終的なメニューはプレーン、チョコチップ、ベーコンサンドに加え、ココア、塩味の計五種類。前日から道ゆく人にチラシを配り、今日十時から開店となった。


 母はクッキーを焼く作業に大わらわだ。


 ミールが恥ずかしげに、勇気をふりしぼって声を出す。


「いらっしゃいませー!」




「ゼネ・コルヘと言ったな」


 あれから二日、カルムはこんこんと眠り続けた。今日の朝やっと起き出してきたのだ。


「ああ、間違いない」


 するとカルムは水晶台の前に座り、呪文を唱える。


「クウァエレ メル ゼネ・コルヘ」


 男の顔がはっきり見える。コルヘは仲間たちと一緒に酒を飲んでいる。


「アウディーレ!」


 カルムがコルヘの頭を探ると、カリムド教前の宿場町であるらしい。なんと総本部の神父である!


「腐ってやがる。カリムド教は……」


 少し疲れたようなカルム。サキヤが心配そうに言う。


「休んでからいくか」


「いや、今から行こう」


 ふらふらしたまま、庭に魔方陣を現出する。カルム、サキヤ、ジャン、バームの順に魔方陣から消える。


 四人は大通りに表れた。静かに酒場に進む。横にはあの、カリムド教の総本部が暗闇の中そびえ立っている。


「ぶっ潰してやる……」


 酒場には普通の客のふりをして入った。早速カルムがコルヘに向き直り聞く。


「お前がコルヘだな」


 コルヘは異変を感じ、素早く盾の魔法「スクートゥム!」と唱える。


 しかしカルムはなんとその喉に、五本の指を突き刺した。驚いたのはコルヘの仲間たちである。三人がかりで二人を引き剥がそうとする。それを見てジャンが剣を仲間たちの顔の前に出す。三人が大人しく引き下がる。


「グー!」とうめくことしか出来ないコルヘ。カルムの指は喉深くに達した。飛び散る鮮血。


「こ、これが悪魔の力……」


 サキヤはただその光景を見ているしかなかった。身内をあの怪物に殺されたのは自分も同じだ。


 カルムの指はついに首の後ろの皮を突き破った!


 その顔は醜く歪み、人を寄せ付けない。


「人の命を虫けらとしか思っていないお前のような奴は……」


 そして首の骨を握る。血が流れる。コルヘはもう虫の息だ。


「これがふさわしい死に方だー!」


 ボギィ!


 首の骨が折れた音がした。


 コルヘは息絶えた。


 鬼のような顔をしながら大粒の涙を流すカルム。


「ばあちゃん……姉ちゃん…………」


 サキヤも父を思い出し、つつーと涙をこぼす。


 手を首から抜き出し、上を向くカルムは一言。


「おれを止めることはもう誰にも出来ない……」


 そう言うとがくりと膝をつく。倒れそうなところをバームが抱き止める。


 そのまま気を失うカルム。


 あとに残された仲間はただガクガク震えている。


 ジャンが剣をしまう。


「行こう」


 四人は店をあとにした。




「いまコルヘが死んだな……」


 ここはカリムド教の地下深く。教皇リーガルがぼそりと呟く。


「なんと、あれほどの使い手が」


 ニムズは驚き、リーガルの顔を見る。


 リーガルは水晶をのぞきながら、血だらけのカルムをじっと見つめる。


(こいつもあの七日七晩の地獄に打ち勝ったか……)


 リーガルは自分の半生を思い出していた。


 田舎の農家の家に生まれ、貧しい子供時代を生きてきた。食べるものも少なくいつも腹をすかしていた少年のころ、口減らしのため辺境の協会に預けられた。神父になると食べものに困らなくなるという口実で親に捨てられたのだ。


 それからは親を呪い世を呪い、生まれて来たことさえ呪い続けた。最下層の神父になると、その呪いは、やがて野望に変わっていった。(教皇になってやる!) と。そのためには上の邪魔な奴等を全員潰していくしかない。書庫にあったメールド流の本で独学で魔法を身につけ、上へ上へと昇っていった。しかし魔法が通じない男が表れた。部下を使い探査をすると、なんと本で見た悪魔召還の儀式を行い、悪魔の力を持ってカリムド教を手中にしていた、前教皇であった。


 リーガルは決意する。少なくとも同じ力を手に入れなくてはならない。それはもう執念であった。悪魔召還の儀式を行い、七日七晩の地獄を味わい、ついに悪魔が乗り移った。そしてその夜がきた。寝室に忍びこみ無防備なところを狙い、頭の内側を狙い小さな爆発を起こした。脳内出血であっけなく死んでしまった前教皇。副教皇だったリーガルは、そのまま教皇の座を手に入れた。


 しかしリーガルにとってはそこがゴールではなかった。カリムドの十三戒など取っ払い、世界を手にすることを夢見るようになっていった。


 いまはまだその端緒にいるにすぎない……


 生きてきた道筋をたどるリーガル。ワイングラスを揺らしながら、前の老いた肉体を思い出す。


 肉体の衰えは魂の永続性に比べはるかに早い。


 こんなところでぐずぐずしている場合ではないのた。


 量子の海に生きていた時を思い出す。そう、これは悪魔の記憶だ。


 あの頃は平和だった。平和であるがゆえに退屈だった。次第に争いを望み、この一見巨大に見える街が小さな仮想空間であるのを思うとき、猛烈に外の現実世界で暴れてみたくなった。


 リーガルに召還されると魂の融合を果たし、いまこうして望んでいた戦争の最中にいる……


「ふふふ、あっはっは!」


 突如笑いだしたリーガルを困惑の表情で見るニムズ。


「なにかおかしなことでも?」


「ふっ、おれはたまに自分の犯したことに戦慄を覚えることがある。そうは思わんか、ニムズよ」


「戦争というものはそういうものかと」


 リーガルは唇を歪め、またワインを口に注ぎ込んだ。




 カリムド教の総本部にほど近い宿屋で夜明け前に目を覚ましたカルム。横のベッドでサキヤはまだ熟睡している。


 ベッドの中で考える。三人はメールド流の魔導師ではない。自分とリーガルの戦いに巻き込まれて、命を落とすことも十分考えられる。ここは一人で挑むしかない。


 リーガルとの決戦を前にして、様々な思いが心の中を行き交う。


(おれはやれることは全てやった。思い残すことはなにもない)


 ぐっと拳を握りしめ、サキヤの横顔を見る。


(もしおれが悪魔でなかったら、よき友になれたものを……)


 上着の軍服に身を包み、静かに部屋を出ようとした時、後ろから声が。


「一人でかたをつける気か」


 金の盾のへりに座っているピリアである。


(なんだこの小人は)


 と、目を細めるカルム。


「金の盾は持っていかんでもいいのか」


 ピリアの問いかけに顔を険しくするカルム。


「必要ない。それはサキヤのものだ」


「ならばもう何も言わん。慎重に行ってまいれ」


「分かった」


 そっと宿屋を抜け出し、そこで魔方陣を出す。そして消える。リーガルとの決戦のために。




 朝がきた。サキヤがジャンの部屋に倒れ込む。


「カルムがいない!」


「何だって!一人で行きやがったのかあいつ」


 バームが起き上がりながら言う。


「魔導師同士の戦いだからおれたちを巻き込むことを心配したんじゃないかな」


 サキヤが焦る。


「とにかく総本部へ急ごう!」




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