その2 人類には早すぎた耳かき

「だーかーらー! ああいうのをASMR詐欺って言うんだよ、このリアルチェンソーウーマンめ!」

「ええー!? 臨場感あるし、画期的だと思ったのに……」

「ロールプレイにしたって、どう見ても一線を画しすぎだろうが。むしろ、より眠れなくなること間違いなし。……あれだな、カフェイン動画と称して上げれば伸びるんじゃないか?」

「なるほど、じゃあキャッチコピーは『見るエナジードリンク! 中毒死間違いなし!』で」

「……お前、本当にちゃんとしたASMR作る気あるのか?」


 放課後、反省の色を見せない後輩にうんざりしつつ、今日も充血気味の目をこする。ますます眠気が酷くなっているというのに、気絶することもできない自分の脳がうらめしい。


「もう、冗談ですよ、冗談! わかってます。先輩のASMR愛は、既に十分じゅうぶんすぎるほど伝わりましたから!」


 携帯をひるがし、後輩は駆け足で部室を飛び出した……と思ったら、何故か綺麗なムーンウォークで入り口まで戻ってきた。


「ま、楽しみにしておいてください。ふふ、今夜は寝かせませんよ……?」


 いつものたくらんだような微笑ほほえみから繰り出される、とっておきの捨て台詞せりふ


「……いや、そこは寝かせてくれよ」


 最大の言い間違いに気がつかないまま、後輩はウキウキとした足取りで帰宅した。






『あ、あー。チェックチェック……みぃぎー、ひだーりー』


 目を半開きにして、今日も送られてきた後輩の動画を再生する。相撲の行司ぎょうじのような左右確認が少しばかり気になるが、画面に映る後輩に特段変わった様子はない。

 少なくとも、昨日のような奇をてらったASMRを披露するつもりはないとわかり、俺はホッと胸を撫で下ろした。


『ではではー、今日はこちらで耳かきをしていきたいと思います!』


 だが安堵あんどしたのも束の間、期待もむなしく、取り出された耳かきは俺の想像の上を軽く背面跳びで超えていった。もちろん、悪い意味で。


『じゃじゃーん、ハエ取り棒ー!』


 いくら国民的言い方で誤魔化しても、その鮮やかなぶっ飛び具合は全く隠しきれていない。

 明らかに、耳には負荷が強すぎる粘着力。こんな非人道的行為を耳かきと呼ぶには、数万年ほど早すぎる。そう、人類には、この刺激は早すぎたのだ。


『ネッチャァ……』


 実際に出来ないという一点で、ある意味、これは貴重な音声となるのかもしれない。容赦なく棒を突っ込まれ悲鳴を上げるマイク。やつは今、後輩の好奇心の犠牲となり成仏した。


『……あれ、とれない。どうしよう』


 そりゃそうだ。内心でツッコミを入れながら、荒れ狂う粘着音に耳を澄ませる。


『仕方ない。両方入れちゃうか』


 こうして俺の両耳は、かつてないネットリ感に支配された。


『ネチョ……グッチャァ……ベリリッ!』


 ……まあ、ビジュアルを度外視すれば、粘着綿棒に近い感じで案外悪くない、かもしれない。少々、音に迫力がありすぎる気もするが。

 二度と日の目を見ないであろうマイクに黙祷もくとうを捧げつつ、俺は不思議と心地よい眠気に包まれていた。


『はー、やっととれた……。あ、よく見たらこれ、ハエついてるじゃん』

「ボツ! ボツ、ボツ、ボツ!」


 一気に目が覚めてしまった俺は、乱高下らんこうげする感情に任せて携帯を枕に投げつけた。外れたイヤホンの隙間から、やけに清々しい空気が流れ込む。本当に、この悪趣味なASMRがただの動画であったことに、これほど感謝したことはない。


 後輩がまともなASMRの動画を作れるようになる日は……俺の求める安眠は、まだまだ遠い道のりの先にあるようだ。

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