不眠症の先輩を眠らせる方法5選

御角

その1 悪魔の囁き

 眠い。ひたすらに眠いはずなのに、寝たい気持ちとは裏腹に俺の目はえに冴え渡っている。

 やはり、一日中パソコンと向き合っているのが原因なのだろうか。目頭を押さえたところで、網膜もうまく蓄積ちくせきしたブルーライトは今更どうにもならない。


「せーんぱい!」

「ん? ああ、丸瀬か。何だ」


 放課後、パソコン研究会に咲く紅一点——といっても部員は片手で数えるほどしかいないが——丸瀬は最近立ち上げたばかりのパソ研に入ってくれた、唯一の新入部員にして唯一の後輩だった。

 部長の俺としては大歓迎、むしろ喜ばしいとすら思っていた……のだが。


「あれ? またクマが酷くなってますよ! さては……私のことを思うあまり夜も眠れなかったんですね? そうなんですね!?」


 この後輩、とにかく自意識過剰で口うるさい。はっきりと言おう、可愛いのは見た目だけであると。


「ダメですよー、気持ちは嬉しいけどちゃんと睡眠取らなきゃ。そのうち部室でポックリ……あ、まだ研究会でしたっけ、ここ」

「悪かったな、マニアックな部で! 俺も毎日、寝たいとは思ってるんだけどな……布団に入っても寝付けなくて、結局いつも朝までパッチリ。そのうち本当にポックリ逝っちゃったりしてな」


 ほんの冗談を快活な笑いとともにお届けするつもりだったのだが、口から漏れたのは笑い未満の弱々しいため息のみ。このままでは、不眠の深刻さを自覚すればするほどストレスがたまって眠れないという負のループにおちいってしまいそうだ。


「……そんなに、深刻なんですか?」

「え? まあ、ここ数日は、特に……」

「ふーん」


 俺のしょぼくれた返事に対して、何故かニヤニヤと不敵な笑みを浮かべる後輩。気味が悪いとしか言いようがない。


「……これは、チャンスかも」


 聞き取れないほど小さな声で何かを呟いた後輩は、突然伏せていた顔を上げて目を輝かせた。


「実は私、バイノーラルの……いわゆるASMRの動画を作ってみたくて! 先輩、よかったら私の実験台になってくれませんか?」

「……は?」


 まさかこれが、地獄の5日間の始まりになるとは……この時の俺は、予想だにしていなかったのだった。






『あ、あー。……マイクチェック、マイクチェック』


 後輩の衝撃発言をまとめると、こうだ。


 その1、ASMRの動画を作ってネットに上げたいが自分だと完成度がイマイチわからない。

 その2、そこで不眠症である俺に実験台になってもらいたい。

 その3、動画を毎晩送って翌日感想を聞きたいので連絡先を交換してほしい。


 あれよあれよと流されるまま、俺は今、自室のベッドで送られてきたばかりの音声を聞いている。

 正直、期待はしていない。後輩には言わなかったが、俺はかなりのASMRジャンキー。にも関わらず眠れていない現状を考えると、どんな耳かきもハンドムーブメントもマッサージも、俺の前では意味を成さないだろう。

 それでもわずかばかりの期待を寄せて開いた動画ファイル。そこには、自分の目を疑いたくなるような、とんでもない映像が映っていた。


『えー、今日は……オノマトペささやきをしたいと思います!』


 よくある耳型マイクに口を近づけて囁く後輩。問題はその格好である。


「なんで、血まみれのホッケーマスクなんかつけてるんだ? こいつ……」


 瞬間、周囲の空気が、せきを切ったように震え出す。


『ブォーン、ブオォォォーン、ブーンブンブンブンブォーオオオォ』


 その囁きは、あまりにも、リアルすぎた。まるで真横で殺人鬼が俺を処刑しようとしているかの如く、チェンソーのうなり声が右に左に飛び火する。


『へールプ……へールプ、ミー! プリーズ!』


 目を閉じれば広がる、血みどろな惨劇の一幕。ホラー映画さながらの臨場感。まさに、新感覚。

 これが、ASMR、だと……!?


『ザシュ、プシャー……。ユー、ダァイ』

「いや、違うだろ。根本的に」


 俺は夜明けとともに、まず後輩にASMRの何たるかをみっちりと教え込むことを誓った。


『どうでしたか? 先輩』

「ボツ」


 俺が安心して眠れる日は、はたして本当に来るのだろうか。

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