第3話 遺跡と生者

ギリシャの神殿を彷彿とされるような駅のホールに少女はいた。


美しい弧を描いたドーム状の天井は一部が欠け、そこから溢れんばかりの陽光が差し込む。






年月なのだろうか。


崩れ落ちた石材の残骸が転がり、床のタイルには苔が生えている。滴る雫、垂れるツタ。これらは年月によって朽ちてゆき、やがて自然へと還そうとする力学によるものだ。そうやって朽ちてゆき、残骸となり、少しばかりの遺物を残して無くなる。






この少女もまた同じような運命なのだろう。


誰にも知られず、誰からも愛されず、ただ死を待つだけ。少女は大理石の柱にもたれかかり、その死を今か今かと待っている。










かつて少女は愛されていた。


母から愛され、町の人から愛さていた。






かつてこの駅は栄えていた。


大理石を基調として荘厳な駅は来たものを圧倒させしめ、この街の威厳を来る者に見せしめていた。






両者は捨てられたのだ。


前者は母に、後者は町の人から。


人々がいなくなった街はメンテナンスを受けず、やがて朽ちていくように、母がいない子供は自然の脅威にさらされ、その拠り所を見つけない限り死んでしまうだろう。






少女は絶望していた。




「なんで?」




呪いの小言を漏らし、一粒の涙を流しながら、か弱い力でその拳を握る。母から捨てられた悲しみと、抗いきれない激しい空腹、それに伴う脱力感が少女を襲う。






少女は己の運命を悟ったのだろう。最後にはその運命を受け入れ、抗うのを止めて、柱にもたれかかり今に至るのだ。






ただ少女には一つ気がかりな点があった。


孤独だ。






幼い少女にとって誰にも話しかけられず死んでゆくというのは耐えがたいものであった。ここには話しかけるぬいぐるみも存在しないし、人なんてましてやいない。






少女にとって空腹による苦しみよりも孤独からくる寂しさの方がつらいのだ。少女はここで救助が来ることよりも話し相手が来ることを望んだ。








鳥のざわめきが聞こえる。


天井の欠けた穴から鳥たちが南から北へと移動する姿が見えた。






天井の穴からから一羽の鳥が舞いこんできた。


美しい毛並みをした手のひらサイズの小鳥だ。その鳥は地面に足を着くと鳥はその黒い瞳で少女を見つめた。






少女は小鳥に手を差し伸べた。


小鳥は少女の意を察したのだろうか、差し伸べられた少女の手に乗る。






少女は心の中で歓喜した。やっと話し相手を見つけたのだ。


てこてこと歩いてきた鳥を手に乗せると少女は語り始める。






「こんにちは、ニワトリさん」


鳥の反応がない。それでもよい、少女はただ話し相手が欲しいだけなのだから。同じ年頃の少女がぬいぐるみに話しかけるように、この少女も同じように鳥に話しかける。






「ニワトリさん、私ね。夢があってね。旅人になって遠い風景を見てみたいの」


「…」




「おとぎ話みたいにさ、いろんな風景を見て、いろんな出会いをしてさ」


「…」




「だから…もし、私が死んだら、遠くの場所にお骨を埋めてくれる?」


「…いや、俺の図体から見てお前の骨を持つこと自体無理やろ…」




「え?」






少女は驚いた。


まさか話すことができないと思っていた相手が話したのだ。動物が話したなどということは聞いたことがない。これほどの奇跡はあるだろうか。


これは少女が死ぬまえに与えてくれた神様の贈り物だと少女は思った。






「ニワトリさん喋ることができるの?」


「は!? ニワトリじゃねえし、白鳥だ!考えろガキ」






どう見ても白鳥の格好ではない。また、子供に対して使っていい言葉ではない。だが少女にとってニワトリか白鳥とか、丁寧な言葉だとか、そんなものはどうでも良かった。






この静寂の間が支配する廃駅はたった今、二人となったのだ。


少女は嬉しかった。死ぬまでずっと一人で、誰にも自分の悩みを話せずこのまま死んでしまうのではないかと思っていた。そう思うと涙があふれずにはいられなかった。






「やっと、二人…」


「おいおい、いきなり泣いちまって? さっきはすま…」


「いや!」






困惑する小鳥をおいて、少女は泣き出した。


泣きだした理由は小鳥が暴言を吐いたとか、そういうものではない。




少女は胸から溢れるだす何・か・を感じたのだ。


今まで貯めていた鬱憤が話し相手というトリガーをきっかけに外に出ていく。ドアが開き新鮮な風が吹くことにより、少女の心の周りに漂っていた霧が晴れ、むき出しの心が現れたのだ。






「私、死ぬのがいや!」






表れたのは恐怖、






「何も残せないのはいや!」






表れたのは不安、






「何も知らないまま死ぬのがいや!」






表れたのは怒り






「どうして…」






少女は叫んだ。


恐怖と不安と、怒り、自らの嘆きを目の前にいる小鳥にぶつけたのだ。






小鳥から見れば、少女は情緒不安定に見えた。


当然のことだ。


その薄い身体からはあと数時間、もって数日しか生きられないのだと察することができる。おそらくそれが自分であったら発狂している自信がある。


死ぬのが分かっていながら、正気を保つというのは至難の業だからだ。


哀れみさえ感じさせる。






小鳥は少女の手から降りると、少女から離れてゆく。


少女は小鳥を手で追おうとした。






「おい、ガキ。お前が死んだあとに、骨をどっかに運んでくれるかという質問があったな…」






小鳥は少女の方に振り向かず、語る。






「その必要はないと思うぜ」




「あ!」






その鳥ははばたいた。


自称ハクチョウの名に相応しい、力強いはばたきを少女に見せつける。






「風と精霊の加護があらんことを」






旅の成功を祈る言葉を放つと同時に、鳥は急上昇して、廃駅の崩れたドームの穴を抜けて空へと向かう。


その姿はあまりに優雅で、どこか高貴さをまといながら、遠くのそっらに消えてしまった。


残ったのは小鳥に似つかわしくない純白の羽だけ。






少女は後悔した。


自分が叫んでしまったばかりに小鳥を怯えて逃げてしまったのだ。また、一人になったのだ。この暗い、廃駅の中をまた一人で…


死ぬまでひとり、ずっとひとり…






少女はまた、涙を流す。


涙が枯れてしまい、すすり泣きになってしまった。














コツコツ




聞こえる靴の音。






コツコツ




誰かがこちらに近づいてくる。






少女は自分のすすり泣きで靴の音には気づかない。


少女が靴の音に気付いたのは、靴の音が少女の後ろで止まってからだった。






「お前、大丈夫か?」






野太い声、喉を震わしたような男の声だ。


少女の耳元から聞こえる。


少女は振り返ると、その男は少女の姿をじっと眺めた。より厳密にいえば少女の琥珀色の瞳を






少女はその男の全貌を見た。


ギラギラとした目、尖った鼻、大きな口、頭の上には三角の耳がついている。その体は巨体で、あふれんばかりの毛で覆われている。


その男、彼は人狼なのだ。








少女は首を横に振る。


見ての通り、少女は痩せこけて、死にかけなのだ。大丈夫なはずがない。






そうか、と人狼は頷きながら少女を一瞥する。


少女は緊張していた。


少女と人狼では体格差がかなりある。そのため少女から見たら、人狼が自分を見下しているかのようで、あたかもゴミを見ているかのような冷徹なイメージを人狼に持ったのだ。






「名前は?」




名前を聞かれた。


少女は答えた。






「私は、、、 ハンニバル・マニカ」




「そうか、マニカ…か。お前、旅は好きか?」








溢れるような太陽の光が崩れた天井から差し込む。


まるで天の祝福を受けたかのような陽光がマニカと人狼を照らす。


マニカは反射的に好き、と答えた。






「そうか、そうか。じゃあ付いてこい。」






そう人狼は言うと少女をおんぶする。


人狼の背中にはふかふかの毛並みに覆われ、まるでベットのような心地よさだ。






マニカは久しぶりの肌の温もりを感じていた。


最後に肌の温もりを感じたのは、母との最期以来だ。これほどまでに人の肌というのは温かいのだと、改めてマニカは感じた。






「狼さん、名前は?」






マニカは聞く。






「ん?俺の名前か、俺の名はヴァル。 ヴァル・ヴァン・シュタット」






その男…いや、ヴァルは答えた。






もしかしたら、この人は怖い人かもしれない。自分を売り払うような人かもしれない。そういう不安がマニカの中であった。


しかし、狼の名を聞くと安心したのだ。なぜだか、ふと直感的に…


この人は悪い人ではない。






マニカは安堵した。


その瞬間、強烈な眠気がマニカを襲う。


このヴァルの背中が寝心地が良いせいだろうか、はたまたは重たい肩の荷が降りたからだろうか。


少女はその眠気のままに、眠りにつく。






寝る前に、少女はどうしても母親の姿が思い起こす。


色褪せることのない、まるで写真のフラッシュのような強烈な思い出。寝るたびにいつも脳裏に思い起こすのだ。


私を捨てて立ち去る、母の背中を。






「なんで?」






少女は脳裏に浮かぶ母親に手を伸ばす。


だが、母親はマニカの手に触れると霧のように霧散する。


いつもこうなのだ。手を伸しても届かない。




だが、今日は違った。


マニカは母親の霧の中から何か光るものを掴んだのだ。


何なのかは全く分からない。だが、これは母親からの贈り物なのだと思った。


胸が熱くなるのを感じる。


マニカはそれを大事そうに抱え込み、眠りの深海へと入る。






「ママ」






マニカは呟く。


少女の頬には、枯れたはずの涙が一筋通っていた。




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