第2話 夢から覚める前に

 大河は滅多に夢を見ない。何か見た気がしても、起きたらほとんど覚えていない。たまによく見るのは殺すか殺される夢だった。最近見たのはバラバラ死体の夢だった。バラバラにした死体をどこかに郵送しようと小分けにして詰めていたら、銃を構えた警察が乗り込んできたところで目が覚めた。

 誰かが言っていた。

「数人がかりでなく、一人で死体をバラバラにするのは、かつて愛情があった証だ」

 あの死体は誰だったんだろう。



 〇 〇 〇



「さあ、寝てください!遠慮なく!」

「こんなに明るくて寝れるか」

「そうですか?昼間でも寝る人はたくさんいますが……ここにはまだ夜はないんですよね。うーん、どうしようかなぁ……あ、そうだ!」

 するとスフルは指先からいきなり炎を発生させて大河に向けてきた。

「これは夢の炎です!触っても火傷とかしないので安心してください。めちゃくちゃ熱いですけどね!人間は炎が怖いらしいですから逃げますよね?いっぱい走ったらきっと眠くなりますよ、私と追いかけっこです!」

 なんだこの女神。

「やめろ」

「いきますよ、位置について~」

「……やめろ」

「ひいっ!?」

 スフルの無邪気な暴走と大河のガン飛ばしは大河の勝利だった。

「俺は花以外に何か変わったものがないか探してくる。眠くなったら帰ってくる。分かったらついてくるな、分かったか?」

「……はい」

 しかし、スフルから離れて自由になったと思えた時間は案外退屈だった。

 ろくな発見もなく大河が戻ってくると、スフルの方が先に寝ていた。



 確かにスフルの言う通り、大河が寝ている間に空間はどんどん広がり、変化が起きた。一時間程度の昼寝でも何かしら起きるが、寝た時間が長ければ長いほど変化が大きい。木が生え、川が流れ、地平線の向こう側に山が見えてきた。

「いいペースです!この調子でどんどん寝てください!」

「この木の実甘いですよ!食べてみてください!……あうっ、種噛んじゃった」

 起きてる間はスフルの案内を聞き流しながら適当に散策した。眠れないとまた炎に追い回されるのである程度は働いた方がマシだった。草原も確実に広くなっており、空の壁が遠くなっている。


「ここは私の領域で、あそこの暗闇こそが人々が暮らしていた世界なんです」

 熱いお茶を一気に飲まないよう、ちびちびと啜りながらスフルは語る。

 火の魔法で川の水を沸かし、生まれたてのお茶っ葉で茶を入れた。生前、酒が苦手で緑茶のペットボトルばかり買っていたのを大河は思い出す。


「あの機械群は人々の夢の残骸。見ることはできても、触れることはできない。

 彼らは私と、同じなんです。幻、ただの蜃気楼」

「同じ?」

 スフルはうつむく。

「私のこと……皆忘れちゃったから。私が、皆の悪夢から逃げちゃったから……だから……」

「そんな訳あるか」

「えっ?」

「悪夢見すぎたぐらいで滅ぶような脆い世の中なら、もっと前に他が原因で滅んでる筈だ。よく分からないんだったら適当なこと言うな」

「うん、そっか。そうですよね……うん!大河さんの言う通りです!って、うわ熱っ!」

「炎は怖くないくせに。女神でも、舌は火傷するのか」

 さっきまでどんより暗い顔だったのが急ににこにこし出して、それから熱いお茶をごくごく飲んで咳きこんで、やっぱりよく分からん小娘だと大河は眺めた。



 今見る夢はスフルが作っているというが、起きたら大河は全部忘れてしまう。

「どんな夢作ってるんだ」

「それは内緒です!言ったら見る夢の質が悪くなって、偽物しか作れなくなります。寝てる間にしか見れないから意味があるんです」

「企業秘密ってやつか」

「キギョーヒミツ?でもこの先私たち以外の生き物が増えて、彼らも夢を見るようになります。そうしたら私の影響も薄くなって、ちょっとずつ自力で良い夢を見られるようになりますよ。楽しみですね!」

 そう言われても大河には良い夢も見たい夢も思いつかなかった。



 川が伸びて海ができて、魚が釣れるようになって、それから。

「あ、鳥!」

 スフルが指さす空の先に、への字の形に大きな両翼を広げた鳥が悠々と飛んでいた。鳥も雲も高く、空は広々としている。作り物の天井は徐々に薄くなっていって、本物の空が現れ出した。

「ずいぶん遠くから飛んできたな」

「そうです!大河さんが夢の中から連れて来てくれたんですよっ」

「鳥や魚はまあ、美味いからな」

「ねえねえ、あの山の向こうに行ってみませんか?他にも何か増えてるか確かめにいきましょうよ!」

「分かった、分かったから腕を引っ張るのをやめろ」


 いつもいつも、日差しはあたたかく、頬をくすぐる風も優しく、歩いているうちに小鳥の声まで響いてきた。

 目の前を金色の狐が横切り、スフルは飛び上がった。

「わあっ、動物まで!私たちがいたところより遠くの方が変化に富んでるなんて……やっぱり大河さんの夢は面白いです!多くの人の夢のパワーは身近な周りへの影響がまず強いんですよ。大河さんのおっきな夢のパワーを感じます!」





 身近などいない。

 大河は一生のほとんどを邪魔者扱いされて過ごした。

 他の人間が大河を邪魔に思うのなら、大河も人間が邪魔だった。

 邪魔に扱われない場所も稀にあったが、それはそれで息苦しいのだった。そういう場所は“人間”でいられなければ結局すぐに追い出される。

 流れ着いた裏社会も人間がぎゅうぎゅうに詰まったぐにゃぐにゃの肥溜めに過ぎず、自然と大河は更に更に隅の方へ追いやられた。

 それでいい。

 きっと俺は人ではないのだ。人ではない名づけようのない何かがたまたま人の皮を被っただけなのだ。


「それは、住んでる世界が狭かっただけですっ」


 夢にスフルが出てきた。初めて、夢の中身を覚えていた。



 目が覚めると、大河が死んで以来一番の驚きがあった。

 真っ暗な頭上に、幾つかの星。

 昼間しかなかった世界に、夜が来ている。

 スフルが静かなので寝ているのだろうか、と顔を覗き込んだ大河は夜が来た以上に驚いた。スフルの顔が赤い。汗をかいて、息苦しそうにしている。

「おい、どうした」

「熱みたいです……。そういえばついこの前も、悪夢でお腹いっぱいになったときに熱になったような……。あのときも寝たら治ったから、きっとすぐ治ります……」

 女神なのに熱が出るなんて、などと言ってる場合ではない。

「おとなしくしてろ、水を汲んでくる」

 すっかり真昼の世界に慣れきっていた大河に、久々の暗闇は深く見えた。とはいえ体は暗闇で動くのに慣れている。川はいつもすぐ近くにある。

 月のない夜空、星の光は弱く、遠くの草むらは完全に闇と一体化している。


 これでは、あの虚無のような悪夢の残骸とそっくりだ。

 あれは、永遠にあの底なし闇のままなのだろうか。


 川の水音が聞こえてくる。

 こんなに轟々と速い音だっただろうか。

 とにかく水を汲む。その先に川があると信じ切った大河は、疑いもせず桶を持った腕を伸ばして前にかがんだ。


「大河さん!」

 かすれた声で叫ぶスフルに返事は来ない。大河の身体は頭から穴底に消えた。

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