死んだヤクザは孤独な女神の夢を見るか
水長テトラ
第1話 せめて、幸せな夢を
まだ瞼が動くのが面白い。心臓に空いた穴の痛みはもう気にならなくなったが、眼球が乾くのは
口中の唾とそこから溢れ出て唇に纏わりつく血混じりの泡が気持ち悪い。早く死ね。敵を殺すときはとどめを刺せば一発だったが、大河にとどめを刺してくれる誰かは現れない。他の肉体は皆空っぽになってて、大河がしぶとく生きている最後の一人だった。銃を蹴っ飛ばして撃てないようにするべきだった。死に際の馬鹿力は馬鹿にできない。
だが遅かれ早かれこうなっていたと思うと、べきだったという表現はおかしい。きっとここで死ぬべきだった。
瞼を動かすのにも疲れて、目を閉じる。見るべきものも聞くべきものもない。思い入れのあるものなど何もない。
やっと死んだ。
〇 〇 〇
風が吹いている。そよぐ草の匂いが鼻を包む。肩のあたりが妙に重い。
肩?
草?
風?
目を覚ました大河の周りに、さっきまでいた裏路地の血生臭い匂いは一切残っていなかった。
代わりにあるのは雑草、土、澄んだ青空。
「すぅすぅ……いただきます、ごちそうさまでした……。ふぅ……むにゃむにゃ……」
そして大河の肩を枕にして眠りこけてる謎の少女。
「おい、起きろ」
邪魔なので起こそうと肩をゆするが全く起きる気配がない。余程いい夢を見ているのか、今にもよだれが垂れそうなにやけきった表情をしている。
仕方がないので強引に腕でどかして立ち上がる。
ここはどこだ。ぐるりと見まわしても地平線は同じような草原が続いていて、始まりも終わりもない。
天国にしては貧相で、地獄にしては退屈すぎる。何も情報がない。
やはり少女を起こすしかないかと思い、しゃがんだ途端大河はぎょっとした。
「うぅ…う……」
さっきまで幸せそうににやけ、もとい微笑んでいた少女の眼尻から涙がこぼれ落ちていた。日差しの下が似合うあたたかそうだった肌も蒼ざめて、見ている大河を不安にさせる。
無理やりにでも起こすべきかと思ったが、ためらわれた。コミュニケーションこそが大河の最も苦手なものだった。だから人を殺して黙らせればいい闇社会に入り、そして最後には自分が黙らせられた。泣かすことは簡単にできても、泣き止ます方法は殺す以外に知らない。
今起こして余計に泣かれたり騒がれたりしても面倒だった。
起きないうちに立ち去ることにする。
(待って、置いてかないで……)
草原はゆるやかな坂になっている。
目印になるようなものは何もない。とりあえず坂を下る方向に歩くことにした。
何も見つからず行き倒れになりそうな予感もあったが、元々行き倒れのようなものと思えば気楽だった。
が、案外早く終りは来た。最初にいた場所が見えなくなるぐらいまで坂を下りきると、草原が無くなり雲海が広がっている場所に出た。ここは空の上か?
しかしよく見ると雲の海は全てただの映像だった。あたかも風に吹かれて少しずつ流れているようだが、手を伸ばすとコツンと壁に突き当たる。行き止まりらしい。
大河は昔観た映画を思い出す。人工的に作られた世界に閉じ込められていることに気付いた主人公が、最後に外の世界へ脱出するラストシーンだ。あれも壁に青空が描かれていて、主人公はずっと本物の空を知らずに生きてきた。
壁沿いに沿って歩き、ドアを見つける。
(お願い、やめて……)
耳元で女性の声が聞こえて振り返るが、誰もいない。
気にせずドアを開けると晴れた青空とは正反対の暗闇が溢れ出した。
目が慣れてくると、細い一本道だけが伸びていて後は全部谷底のように凹んでいることが分かった。一歩踏み出して底を覗き込む。
(起きて、皆起きて……)
遥か下の方で炎が渦巻いていた。それは戦火だった。煙の中崩れ落ちる建物、逃げ惑う人々の叫び声と、それを引き裂く機銃掃射の炸裂音。目を凝らすとところどころに炎や死体とは無関係に青い電子の光がチカチカと点滅しているのが見える。これも作り物の映像らしい。
あの青空を作っているのもこいつらの仕業かもしれない。
「待って……待ってください!!」
突然飛んできた大声に驚いて反射的にドアを閉める。暗闇が見えなくなると、見てはいけないものとしての感覚が強まった。恐れるべきは作り物の戦火ではなく、その頭上で永遠に死んだように沈黙している無限の暗闇だった。
「本当だ……本当に召喚できたんだ……。私が、呼んだ……」
坂道を駆け下りてきた少女は苦しそうに息を吐きながらも、必死に声を押し出す。
「起きたか。ここがどういう場所か、説明してくれ」
「はっ、はい!私、夢の女神スフルと申します。眠ってる人や動物の悪夢を食べて、代わりに良い夢を見てもらうのがお仕事でした。でも最近は食べてばっかりで……良い夢がどんどん消えてしまって、追いつかなくなってしまったんです。私、あんまり悪夢を食べ過ぎたのでしばらく眠りました。……そしたら、世界が滅びてしまっていて……」
「……つまらん冗談だな」
「冗談なんかじゃないです!冗談なら、どれほどよかったか……。起きたら何もかも滅茶苦茶になってて、それからすぐに、全部闇に飲み込まれてしまいました……。さっきあなたが見たドアの向こうはその残骸です。世界とは、それを受け取り、何かを思い、中に新しい宇宙を描く心があって初めて成り立ちます。私一人しかいない世界では、もうこんなにしぼんでしまって……」
「唯心論か」
物質はそれを観測して意味づける精神があってこそ成り立つ。物質より精神が上位であるとする考え。
大河の認識はその程度だったが、不確かで不安定な人の心がそんな重荷を背負える筈ないだろとうんざりする考えだった。
「だから私、昔学んだ召喚魔法で他の世界から人を招こうとしたんです。一回きりしか使えないから失敗したらどうしよう、って怖くて怖くて……。でもでもっ、あなたが来てくれたからにはもう安心です!どうか私と一緒に世界を復活させてください!お願いします!」
お辞儀するスフルが差し出す右手を、大河は冷たく見下ろす。
「残念だったな、あんたの召喚は失敗だったよ」
「えっ、何言ってるんですか成功してるじゃないですか?あっ、生け贄なんかにしませんよ!安心してください!そんな風習は大昔に廃止になりました。それに、今はこんなにちっぽけな世界ですが滅びる前は本当に美しくて豊かだったんですから!復活させればきっとあなたの欲しいものだって出てくる筈です!欲しいもの、言ってくれたら私ががんばって探します!」
ぴょんぴょんと立ちはだかり下手なプレゼンをしてくるこの面倒な少女から離れようとして、大河は足を止める。
大河には行きたい場所も帰りたい場所もなかった。それにあの暗闇に身を投げ出したところで、また物悲しげな幻聴が耳にまとわりつくと思うとげっそりする。
「なぜ、俺が呼ばれた」
「え?」
「俺に夢などない。あったとしてもあの奈落の底のような、ろくでもない景色ばかりだ。地獄絵図にしかならない」
「そ、そんなことありません!あなたの夢、すっごく美味しかったです!」
「何だと?」
「あなたの悪夢、すっごく悲しかったけどすっごく切なくて、優しくて……。私、一口食べて分かりましたもん!この人となら、きっと豊かで素晴らしい世界が創れるって!だからお返しに精一杯の夢を詰め込んだんですけど……見て、くれましたか?」
「知らん。血まみれのまま死んで、起きたらここにいた。人違いでもしたか?」
「ううっ、久しぶりの夢作りだから失敗しちゃったのかな……。って、うわわ、待ってくださいってば!」
すたすたと歩いていく大河をスフルが追いかける。スフルを振り払おうにも、ここには逃げ場も隠れ場もない。どこまで行っても草草草、草と青空だけ。
「わわわっ!」
叫び声がして大河が振り向くと、スフルの姿が消えていた。正確に言うとこけて草むらに頭を突っ込んでいた。女神だと言うからには人智を超越した存在なのだろうが、今のところ大河の目には頼りない小娘にしか映らない。ついつい目で追ってしまう。代りばえのしない単調な青と緑の世界の中で、スフルだけが鬱陶しく、そして目まぐるしく変化していた。
「えへへ……」
見るとさらさらした前髪に草がまとわりついていて、無様にこけたというのにスフルは満面の笑みだった。
「見てください!お花です!」
草むらに這いつくばったままのスフルが指さす先で、白く小さな花が一輪揺れていた。
「あなたのおかげです!あなたが来るまで花なんか咲かなかったのに……。あなたが咲かせたお花ですよ!これ!」
「はあ?」
「あなたの悪夢を私が食べて、それを浄化して私が新たに夢を作る。その過程で発生したエネルギーがこうして起きたときの世界に根付くんです!あなたの中にお花を見たいって気持ちがあったから咲いたんですよ。えへん!分かりましたか?」
「分かるが、分からん。俺は花なんか興味を持ったことがない」
「夢ってのは、自分も知らない自分が入ってるんです。あなたは花に興味なくても、心の奥底で花を見たかったのかもしれませんよ?」
「あーもう、ご演説は勘弁してくれ。よく分からんことがいっぺんに起きて疲れた」
「疲れた!?だったらもう一度寝てください!次はどんな花が咲くかな~?」
寝転ばせようと袖をぐいぐい引っ張ってくるスフルを大河は振り払い、座るだけにした。
大河は、人とかいうすぐ心変わりする矛盾だらけの生き物を信じずに生きてきた。その方針は死んでも変わらない。
この女神が黒幕で、何か企んでる可能性だってある。
裏切るなら殺すべき敵。裏切らなければ人智を超えた機構であり、人と交わることなき女神。
どちらにせよ今はこいつに協力しなければ、死んで楽になることもままならないらしい。
(待ってるから、私……)
「おい、今何か言ったか?」
「え?何も言ってませんよ?あ、子守歌歌いましょうか?私得意なんです子守歌!夢の女神だから!」
「いや、いらない。絶対に歌うな」
ぶーぶーとふてくされるスフルを尻目に、こんなまだあどけなさの残る少女にさえ疑いを向ける自分と、そんな自分が礎になるかもしれない世界を、大河は嘲った。
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